「熊野霊告」(3)~一向専念が眼目~
第五段を四分類していただいた内、第3節は親鸞聖人が、浄土真宗の根本である一向専念の伝統を示すと共に、真宗の神祇観を説かれる一節である。この「聖人のご教説」をさらに三につ分けて頂いた中の、(b)一向専念の教えである。
そして、三国の祖師方の伝統の中でも、「一向専念の義」こそが浄土真宗の根本であると示されている。今は、関連の聖教のみを掲載するに留めておく。
冒頭にある「三経に隠顕あり」とは、浄土三部経-『大無量寿経』(大経)・『観無量寿経』(観経)・『阿弥陀経』(小経)に「顕彰隠密」の義がある。顕彰隠密は「顕隠」ともいうが、「顕説」は顕著に説かれる教えで、『観経』は定散二善の諸行往生(十九願・要門)・『小経』は、自力念仏往生(二十願・真門)であるが、「隠彰」の穏微に顕されている真実義は、すべて『大経』に説かれる他力念仏往生、つまり十八願の弘願門であることを示しておられる(化身土巻381頁・397頁)。
「三経の大綱、顕彰隠密の義ありといえどれも、信心を彰して能入とす」(化身土巻・398頁)
要は、「三経に隠顕あり」といえも、その心は一つで、いずれも「一向専念」が示されるというのである。そのために、浄土三部経、天親菩薩、善導大師の文が引かれている。
一、『大経』の三輩段(41頁)-上輩・中輩・下輩のそれぞれで、
「一向専念 無量寿仏」(一向にもっぱら無量寿仏を念ず)ることを勧める。
二、『大経』の流通分(81頁)-弥勒付属
『大経』を弥勒菩薩に付属(与えて、後世に広く流通することを託する)される。
三、『観経』の九品段・上品上生(108頁)
「一つには至誠心、二つには深心、三つには廻向発願心なり。三心を具するものは、かならず彼の国に生じる」、と三心が説かれる。
四、『観経』の流通分(117頁)-阿難付属
「なんぢよくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり」
五、『小経』の因果段(124頁)
「執持名号(略)一心不乱」(名号を執持すること、…一心にして乱れざれば)
六、『小経』の証誠(六方)段(125頁)-六方(全宇宙)の諸仏が証誠する。
七、「論主」=天親菩薩『浄土論』-一心
「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国」
(世尊、われ一心に尽十方の無碍光如来に帰命したてまつり、安楽国に生ぜんと願ず)(『信巻』訓点・357頁)
八、「和尚」=善導大師『観経疏』(「散善義」・『信巻』404頁)
「一向専念 弥陀仏名号」(一向にもっぱら弥陀仏の名を称する)
「一向専念」とは、阿弥陀如来の本願を信じて、ひとすじに専らその名号を称念すること。「一向専修」にも同じ。専修念仏ということである。これを受けた聖人の『一念多念文意』のご解釈である。
「一心専念」といふは、「一心」は金剛の信心なり。「専念」は一向専修なり。一向は、余の善にうつらず、余の仏を念ぜず。専修は、本願のみな(御名)をふたごころ(二心)なくもっぱら(専)修するなり」(『一念多念文意』687頁)
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