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2021年12月の14件の記事

今年211本目は『CHAINチェイン』

 今年、最後の映画のために、京都シネマに出かける。5年前から映画館での鑑賞が200本に到達していた。昨年は新型コロナの影響で、一時、映画館が閉館されて、結局、170本に止まりだったので、2年ぶりの大台。しかも211本は新記録である。あれこれ印象に残った映画はあったが、またの機会に触れられたらうれしいが、11、12月に観た映画の印象が強く、特に12月の後半は好みの映画が続いて、満足した。 

 さて、決して、万人に受ける映画ではないが、日本映画『CHAIN(チェイン)』 は、王政復古の直前、坂本龍馬・中岡慎太郎が近江屋で殺害される。その3日後、油小路七条で起こった伊東甲子太郎一党の斬殺事件。油小路の変と呼ばれ、いわば新撰組の終焉を象徴する事件だ。新撰組から分離した伊東甲子太郎の御陵衛士との対立。所詮、末端組織の内ゲバ事件で、明治維新という激動に比べると瑣末な事件ではあるが、その一つ一つにも無名の市井の男女の営みが絡みあっているのである。

 現在から155年前。かなり大昔の出来事のように思うが、ここから第二次世界大戦の終焉までが78年。そして終戦後から現在が77年と、ほぼ年数が同じだ。そう考えると、歴史は時代が変わったとたんに、すべてがブッツリと途切れ、変化するわけではない。たとえ人の営みや思いは変化しても、現代の日本人にも綿々と列なる何かがあるのかもしれない。そんなことを象徴する演出、撮影だった。

 大半が時代劇だが、侍の姿のままで現代の京都がそのまま舞台になる。京都タワーや四条大橋の風景の中で、殺陣が行われる。何よりも驚いたのは、油小路七条での斬殺現場で、いま風景そのままで撮影されていたことだ。十条油小路(今は、新堀川と呼ばれるが)に住んでいるぼくとしては、馴染みがある。何よりも、今日も、ここを通って映画館にきた。帰路も、興味をもって通ったら、斬殺場所のお寺のお隣には病院がなって、いまならすぐに搬送されていたことだろうと。

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 ちなみに、この事件の1ケ月後、御陵衛士の残党に、近藤勇は襲われて重傷を負うことになる。こちらは伏見の墨染通、有名な料亭前。

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<油小路にある幻の頓所跡>
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忘年会

 恒例の元日の会食はなくなったので、年末に、連れ合いと子供の3名だけで忘年会を行った。

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 八坂の塔から高台寺を通って、石塀小路へ。少し人出は戻ってきたとはいえまだ少ない。でもこの界隈は、着物姿で散策している観光客が多かった。石塀小路まで行くと、もともと静かな界隈ではあるが、すれ違う人もない。

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 別に忘年会といっても、今年も振り返ることもなく、1月にやってくる一大イベントについて少し話した。たぶん、来年はそれにともなう種々の問題で、きっと心悩まされることも増えるであろう。もちろん、先のことは未定なので何が起こるかは分からないが、業なれば受けていかねばならない。

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 それにしても今年もコロナに振り回された1年で、実にいろいろなことがあった。さまざまな出来事、出会い、別れ、それにともなう種々の気持ちや思いを経験させてもらった。
 それでも、最後には、常に一味のお念仏にかえられせていただくのである。南無阿弥陀仏

 

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今年最後の法座で

 一年の締めくくりはM家の家庭法座であることが多いが、今年は、華光会館での最後のご法座でもあった。

 今年の後半戦(8月以降)のご法話では、「餓鬼道」(往生要集)、「修行者と羅刹」(雪山童子)、「まったくわたしくなし」(御伝鈔)、「救われるとは」、そして大会以降は、『末代無智章』を繰り返しいただいてきた。今は、ZOOM参加があって、だいたい同じような方が参加されているので、同じ題材の法話を複数回聞いてもらうことになった。それでも有り難いことに、毎回、顔ぶれによって違う反応があるおかげて、改めて気づかせていただくことがあるのだ。その意味では、ぼくも新鮮な気持ちで法話をさせていただけたし、前回にことが、次回の法話に反映されるので、いわば少しずつだがアップデートされていたのではないかと思う。

 今回は、初めてのテーマ「無漸無愧」について。和讃や安心決定鈔を中心に、何が大いに恥じるべきことなのかをお話申し上げた。冒頭で、「罪悪感」と「罪悪観」に違いを、具体的に座談会での発言に即しながら考えていただいた。座談会で語られるのは、自身の罪悪感が中心で、それを慰めてもらうようなことではないか? 法の上での罪悪観とは似て非なるものだが、この見極めが結構難しいようだ。これは大切な課題のように思うので、皆様に助けてもらいながら、今後も深めていこうと思っている。

 ところで、今日はこの冬一番の寒気に覆われて、寒い一日だったが、同時に忙しい1日だった。
 法座の前には、運営委員と京都支部などの有志の皆さんが、大掃除。窓やブライド、外回りなども丁寧に掃除してくださる。終了後、連れ合いが粕汁をふるまっていたが、皆でワイワイ会食したいところだか、壁に向って黙食をする。

 そして法座終了後は、報恩講(R4年1月15日(土)16日(日))リアルとZOOM併用会議。運営委員に加えて、お世話役の二人も参加くださった。どうぞよろしくお願いします。

 会議を終えた頃には外は雪が舞っていた。法座参加者の有志での懇親会にも顔を出す。京都支部法座の後にあるのは珍しいが、メンバーは京都支部というより、大阪や広島、東海各支部の有志連合軍だ。みなみ会館(映画館)の隣の居酒屋に、かなり遅れた参加したら、もうすでに皆さん出来あがり盛り上がっていた。法座や座談会では見せない姿で、はしゃいでいる方もある。ああそうそう。法座のよそいきの姿は捨てて、今のそのままで聞いていけばよいよと指摘すると、急に神妙になられたりする。今日のテーマなのだが、誰も法に帰られることはないので、思わず「なかなかのポンコツ揃いやな」と。ここが一番有り難かった。

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一筆添える

 新年号の華光誌を発送する。助っ人2人を交えて、5名で作業。夕方には、集配が済んだので、年賀交換も合せて、年内には届くだろう。

 合せて、1月の法座案内を年賀状にして、全員に一筆添える。今年は、20日から開始している。例年より、1~2日間ほど早く作業を開始したので、華光誌発送に合せて投函できそうである。一筆の文章は、その人を思いだしながら、お味わいを添える。今年は、5つのパターンをアレンジしてい添えた。あの顔、この顔、それそれの思いが甦る。スッと書ける人、なかなか書きづらい人。なんとなく後回しになっていく人。関係が近しい人やなんとなくいま気になっている人の方が、筆が停まる。逆に、疎遠の方は、あいさつ程度で書くことが決まっているのであっさりと済む。

 ああ、最後はこの方々が残ったか。最近、法座でちょっと気になるやりとりをして、その後お顔を合せていない人だった。こんな一言を添える些細な作業でも、心に、ちょっとした揺れが起こるのが面白い。

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華光誌輪読法座~弥陀直々の名乗り~

 12月の華光誌輪読法座は久しぶりに平日の昼間の開催で、参加者は少な目。皆で、孤杉師の『弥陀の一心』を声に出して読み進む。

 御文章『疫癘の章』は、別名『勅命の章』と呼ばれる。阿弥陀様が、蓮如様のお口を通して「我を一心にたのめ。必ず救うぞ」とのご勅命、ご命令が示されているのだ。

では、それをを教えてくださったのはどなたなのか。『蓮如上人御一代記聞書』に、次のような条がある。
 蓮如上人が弟子の法敬坊に、「この弥陀をたのめということを、お教え下さった人を知っているか」とお尋ねになられる。法敬坊は「存じません」と答えると、「弥陀をたのめということを教えられた人は、阿弥陀如来である。阿弥陀如来が、我をたのめ、とお教えになっているのである」と。
 
 もちろん、阿弥陀様のお心を取り次いで教えて下さったのは、お釈迦様。そして親鸞聖人や蓮如上人。しかし、それを何々聖人の話、何々先生の話と思って聞いてるうちはダメ。法座は「浄土の出店」。仏様や菩薩方が、浄土からやって来て、法を聞くための座を、こうして設けて下さっている。つまり、ここは極楽浄土と直接、パイプで繋がっている。華光の法座は、パイプを通して極楽浄土の今現在説法を今、聞かせてもらっている。私が、これまで聞かせてもらったお説教は、極楽浄土から届けられる阿弥陀如来のご説法を聞かせてもらっている。
 まして、南無阿弥陀仏は、阿弥陀様から私への直々の生の呼び声、血潮沸き立つような呼び声。この罪悪深重の私に向かって、「罪はいかほど深くとも、我を一心にたのまん衆生を必ず救う」と、名乗りをあげて下さっているのだと。
 
 南無阿弥陀仏

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終い弘法

 弘法さんとは、毎月21日は東寺での縁日で、親しみを込めて「弘法さん」と呼ばれている。日本で一番大きな寺社の境内の縁日だそうで、12月の「終い弘法」は20万人もの人が訪れる年中行事だ。ただ、緊急事態中は中止されていたので今年は数回しかなく、さすがに出店の数も人出も、かなり少なく感じた。海外からの観光客もなかったが、それでも少しは活気が戻っているように思えた。

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 連れ合いと娘は朝から弘法さんに出かけていた。それぞれお目当てがあった。着物関係の掘り出し物を探していてようで、同じ出店で合流したようだ。今年から着付け教室に通いだし、連れ合いはいまだに続けて通っている。

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 ということで、散歩方々、何を買うわけでもないが、少しぶらついてきた。この日は、有料拝観ゾーンにある国宝の金堂の薬師如来像が拝むことができる。司馬遼太郎原作の映画『燃えよ剣』では、この金堂の中でも撮影があり、薬師如来像の上から演説するシーンがあって驚いた。他にも、東西本願寺や今年訪れた長谷寺など見慣れた場所がロケ地だったのて、内容以上に興味があった。

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濱口竜彦監督『偶然と想像』


みなみ会館で、濱口竜彦監督の『偶然と想像』を観る。世界中で高評価を獲得した『ドライブ・マイ・カー』 は、今年の邦画のナンバーワンで、今、一番輝きを放ている監督だ。長編作品が多い中で、『偶然と想像』は1話40分程度の短編オニムバスだった。

第1話「 魔法(よりもっと不確か)」(古川琴音、玄理、中島歩)
第2話「 扉は開けたままで」(森郁月、渋川清彦、甲斐翔真)
第3話 「 もう一度」占部房子、河井青葉)

 どれも登場人物は2~3名でほとんど一対一の密室での会話劇である。偶然の出会いがもたらす運命の綾をテーマに、言葉の力を感じさせる作品だった。科白を平板の発するのは、『ドライブ・マイ・カー』の劇中で劇でもあったことで、なるほどと感じた。感情が先行するのではなく、実は、言葉や姿勢が感情を生むだしているのではないかと思わされた。特に第3話の設定は、ールプレイやサイコドラマの即興劇のようなことを劇中で行っていた。どの作品も印象深くかなり高得点。以前見逃した5時間以上の長編作品『ハッピー・アワー』を年明けに観ることにしている。楽しみだ。

 ところで、平日はガラガラのみなみ会館なのにボチボチとお客が入っていた。さすがは、今年を代表する監督だからと思ったが、それだけではないようだ。21日なので誰でも1000円均一料金になっていたからだ。

 なぜ21日に安いのか。それは弘法さんの日だからだ。

 

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「熊野霊告」(3)~一向専念が眼目~

 第五段を四分類していただいた内、第3節は親鸞聖人が、浄土真宗の根本である一向専念の伝統を示すと共に、真宗の神祇観を説かれる一節である。この「聖人のご教説」をさらに三につ分けて頂いた中の、(b)一向専念の教えである。

 そして、三国の祖師方の伝統の中でも、「一向専念の義」こそが浄土真宗の根本であると示されている。今は、関連の聖教のみを掲載するに留めておく。

 冒頭にある「三経に隠顕あり」とは、浄土三部経-『大無量寿経』(大経)・『観無量寿経』(観経)・『阿弥陀経』(小経)に「顕彰隠密」の義がある。顕彰隠密は「顕隠」ともいうが、「顕説」は顕著に説かれる教えで、『観経』は定散二善の諸行往生(十九願・要門)・『小経』は、自力念仏往生(二十願・真門)であるが、「隠彰」の穏微に顕されている真実義は、すべて『大経』に説かれる他力念仏往生、つまり十八願の弘願門であることを示しておられる(化身土巻381頁・397頁)。
 「三経の大綱、顕彰隠密の義ありといえどれも、信心を彰して能入とす」(化身土巻・398頁)

要は、「三経に隠顕あり」といえも、その心は一つで、いずれも「一向専念」が示されるというのである。そのために、浄土三部経、天親菩薩、善導大師の文が引かれている。

一、『大経』の三輩段(41頁)-上輩・中輩・下輩のそれぞれで、
  「一向専念 無量寿仏」(一向にもっぱら無量寿仏を念ず)ることを勧める。
二、『大経』の流通分(81頁)-弥勒付属
 『大経』を弥勒菩薩に付属(与えて、後世に広く流通することを託する)される。
三、『観経』の九品段・上品上生(108頁)
 「一つには至誠心、二つには深心、三つには廻向発願心なり。三心を具するものは、かならず彼の国に生じる」、と三心が説かれる。
四、『観経』の流通分(117頁)-阿難付属
 「なんぢよくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり」
五、『小経』の因果段(124頁)
 「執持名号(略)一心不乱」(名号を執持すること、…一心にして乱れざれば)
六、『小経』の証誠(六方)段(125頁)-六方(全宇宙)の諸仏が証誠する。
七、「論主」=天親菩薩『浄土論』-一心 
 「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国」
  (世尊、われ一心に尽十方の無碍光如来に帰命したてまつり、安楽国に生ぜんと願ず)(『信巻』訓点・357頁)
八、「和尚」=善導大師『観経疏』(「散善義」・『信巻』404頁)
 「一向専念 弥陀仏名号」(一向にもっぱら弥陀仏の名を称する)

 「一向専念」とは、阿弥陀如来の本願を信じて、ひとすじに専らその名号を称念すること。「一向専修」にも同じ。専修念仏ということである。これを受けた聖人の『一念多念文意』のご解釈である。

 「一心専念」といふは、「一心」は金剛の信心なり。「専念」は一向専修なり。一向は、余の善にうつらず、余の仏を念ぜず。専修は、本願のみな(御名)をふたごころ(二心)なくもっぱら(専)修するなり」(『一念多念文意』687頁)

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「熊野霊告」(2)~お勧めも、さらにわたくしなし~

 下巻第五段を四分類していただいた内、第3節は親鸞聖人が、浄土真宗の根本である一向専念の伝統を示すと共に、真宗の神祇観を説かれる一節である。この「聖人のご教説」を、さらに三につ分けて頂いた。
 (a)時機相応の教え(三国七高僧の伝承)
 (b)一向専念の教え
 (c)本地垂迹のこころ(真宗の神祇観)

 親鸞聖人の教説(1)時機相応の教え(三国七高僧の伝承)

 釈尊のみ教えは対機説法で、聖教も千差万別であるが、今、末法の世では、浄土一門のみが、私達が救われる唯一の教えである(時機相応の教え)。それは釈尊の金言であり、また「三国の祖師、おのおのこの一宗を興行」されたものである(三国七高僧の伝承)。

 末法とは、釈尊の滅後(仏滅後)の時間の経過と共に、その広大な威光も徐々に薄れ、仏法が衰退してくを経過を顕している三時の一つである。まさに時の一大事である。まず、仏滅後、五百年間を正法(教・行・証)、次の一千年を像法(教・行)、次の一万年が末法(教)で、末法では教法のみが残り、修行する者も証る者もいない時代だといわれる。

 その末法の時代では、聖道門=「聖」は大聖、釈尊のごとく今生で悟りに至る「道」。つまりお釈迦様のごとく修行し、この世で仏となることが難しい時代であり、それに対して浄土門こそが盛んになるといのうである。

「我末法時中億々衆生 起行修道 未有一人得者」(道綽禅師『安楽集』)
「わが末法の時のなかの億々の衆生、行を起し道を修せんに、いまだ一人も得るものあらじ」(親鸞聖人の訓点)

「唯有浄土一門可通入路」(道綽禅師『安楽集』) 
「ただ浄土の一門のみありて通入すべき路なり」(『化身土巻』の訓点)

「道綽決聖道難証 唯明浄土可通入」(『正信偈』道綽章)

 それは、まず、インドにおいて、龍樹菩薩が『易行品』で、難易二道を判じ、現生正定聚の義を示され、天親菩薩は『浄土論』を造って、一心帰命の安心を宣布された。
 中国では、曇鸞大師が『浄土論註』で、他力廻向(往還二廻向・自力他力)の義を明かし、道綽禅師は『安楽集』において、聖浄二門を判じて浄土往生を勧め、善導大師は『観経四帖疏』で釈尊の正意を明かにして凡夫往生を示された。
 日本の源信僧都は『往生要集』を撰して、報化二土を弁立し、源空(法然)聖人は『選択集』で信疑決判されて、念仏往生の浄土真宗を興行された。
 あくまでも釈尊、七高僧という先達の示された道であって、「愚禿すすむるところ、さらに私(わたしく)なし」なのである。

 お勧めでも、「さらにわたしくがなし」という言葉に出会たのが、今年一番の収穫。

*「ひとたび他力信心のことわりをうけたまはりしよりこのかた、まったくわたくしなし」(上巻・第七段)「自信」
*「愚禿すすむるところ、さらにわたくしなし」(下巻・第五段)「教人信」

 わが信の上でも、またお勧めのところでも、「わたしくがなし」、つまり自力を離れるが浄土真宗のご安心の真骨頂であるということを明かにされているのだ。南無阿弥陀仏気

 

 

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『御伝鈔』下巻五段「熊野霊告」(1)

    12月の聖典講座の前に、パスしていた11月の聖典講座に少しだけ触れておこう。
 11月は、下巻第五段で「熊野霊告」とか「平太郎夢告」「平太郎熊野詣」といわれる一段を頂く。ここは御伝鈔』で一番長い段で、以下の四段に分けて味わった。その大意は次の通り。 
(1)帰洛後の聖人は住まいを転々としておられたがも五条西洞院にとどまり、しばしば関東の門弟が尋ねて来られた。
(2)大部の平太郎が、職務で熊野権現に詣でることとなり、聖人に相談される。
(3)聖人は、真宗の根本である一向専念の伝統を示すと共に、真宗の神祇観を説く。
この第3節「聖人のご教示」を次ぎの三節に分科していた炊いた。
 (a)時機相応の教え(三国七高僧の伝承)
 (b)一向専念の教え
 (c)本地垂迹のこころ(真宗の神祇観)
(4)平太郎が泥凡夫のまま参詣していると、夢に熊野権現が現われて、「なぜ精進潔斎せず参詣するのか」と詰問された。すると親鸞聖人が現れ、「この者は他力念仏を喜ぶ者だ」と告げられると、権現はただ平伏するばかりであった。後にそのことを聖人に申すと「そういうことである」と申された。

 長い段であること、史実かどうか曖昧であること、何よりも聖人の神祇観とは毛色が異なることもあって、簡単に読みとばしてきた段であった。が、今回、第3節の聖人のご教示が読み応えがあったし、ここまで『御伝鈔』読んできたおかげで、以前は、馴染めなかった覚如上人の意図が尊く思えてきて有り難かった。

 決して、覚如さまは、親鸞様が阿弥陀様の生れ変わりだと仰っているのではない。いま、私一人のために、阿弥陀様が親鸞様という姿を通して現われてきてくださっているのだと頂いておられるのだと思う。どちらも同じように聴こえてくるかもしれないが、ぼくの中ではこの差は大きい。そのことに気づかせてもらっただけでも、『御伝鈔』を読ませていただいた甲斐があったと思っている。南無阿弥陀仏

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宍粟市での報恩講法座

  11月に引き続いて宍粟市山崎町での寺院布教だ。

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 それでも、師走の楽しみの法座の一つである。僕もおつきいはずいぶん長いが、連れ合いの方が古くて、深いおつきあいを頂いていて、同士のようである。山崎町でのお寺の布教はいつも夫婦でお邪魔している。彼女の活躍の場も用意されていて、懇親会が深まればその力を発揮する。今年の懇親会では、朝4時過ぎまで住職と指しで飲んでいたようだが、これもまた恒例である。昨年は、コロナでいろいろたいへんな中だったが、今年は少し落ち着きあって、参詣も、また懇親会の出席者も、かなり例年並みに戻ってきていた。お斎も1年ぶりに復活した。

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 3日間で、6座の法話を担当する。法要もとても丁寧であるが、法話の形式も本堂での講演台からだけなく、昔ながらの高座からお説教もあり、お内仏法座もあり、また広く座談会をもったりと、バラエティに富んでいる。教案の準備もしていくが、だいたいそのときの雰囲気を大事にしている。また最後は、事前の準備はせずに、3日間のまとめとるなような法話をしている。今年は、3年後に継職が決まった新発意(しんぼっち=新たに菩提心を起した菩薩、転じて次ぎの住職後継者)のリレー法話を、その場で決めて行った。結局、何かお経や教えのためになる解説をしても、ここでは喜ばれない。それよりも、自分を開いてお伝えすることが、お互いのご聴聞である。結局、ぼくは何を喜び、お伝えしたいのか、その原点に返ったお話となる。それがうまく伝るどうかは,かなり難しいことではある。座談や懇親会での反響を聴ければ、わかるのだ。それでも、ご縁のある方もおられるし、念仏者が生きておられるのか尊い。有縁のご住職、僧侶、坊守さんのお参りも多くて、座談会や懇親会はに盛り上がるので、遠慮なくお話をさせていただけるのである。

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 それでも、長年、育まれてきている本的な信仰や因習を破ることは難しいとも痛感させれらた。まさに超世の法の絶望的な難しさと、広大な素晴らしさを味わわすにはおれなかった。尊いご縁でした。

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華光誌データ渡し

 例年、この時期の日程が一番厳しい。華光誌の編集に、年賀広告が加わる。年内発行のための印刷所への〆切日が決まっている。そこへ3日間の寺院布教。曜日に関わらず「13日、14日、15日」と日程が決まっていて、〆切日と重なるってしまう。しかもその前後の週末は支部法座が続くかちだ。今年も、岐阜の寺院会所にした東海法座と宍粟市山崎町での3日間の報恩講と続いたので、その出発の朝に華光誌の渡して、すぐ宍粟市山崎町に出発した。

 おかけで、華光誌は24日に完成することになった。すぐに発送したら、年内にはお手許に届くだろう。お楽しみに。

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東海支部法座~すばらしい勝縁~

  東海支部法座は、あるお寺が会場。具体的には触れられないが、そこで、いま、起ころう動きだしたことがとても尊い。新たに動きだした場面は、なかなか出会いない勝縁だと思ったので、ぼくも気持ちだけだが協力させていただくことにした。2年後が楽しみである。

 法話は、華光大会でも触れた『末代無智章』である。華光大会でも取り上げたが、そのときは、「末代」や「無智」、そして「在家止住」という冒頭の一文が中心になった。時機相応の教えとはどういうものかということである。時間の関係で、詳しくは話せなかった「たのむ機」、すなわち「ころをひとつにして阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に仏たすけたまへと申さん衆生」をテーマ^にする。

 皆さん、難しかったようだ(もっとも、翌日の寺院布教でも同じテーマでご法話したら、おそろしいほど反響はなかった)。それで、「分かりやすい」ところ、また有り難いところで、「末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくひましますべし。これすなはち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。」と、自分に都合よく読んでいる。これなら本当に都合がいいいし、おおかたの説教も、喜びはここで留まっているのではないか。
 
 結局、一番ア大切な「たのむ機」「たのむ一念」のところを飛ばしていることになる。それが、蓮如上人が批判される「無帰命安心」そのものなのだ。

 「たのむ機」と「すくう法」の南無阿弥陀仏のおいわれを聴くことが浄土真宗の安心だ。南無の機、たのむ一念、帰命の一念、ここが浄土真宗の肝要なのである。

「末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に仏たすけたまへと申さん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくひましますべし。これすなはち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。かくのごとく決定してのうへには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。」「末代無智章」

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全休

 11月のブログを全休した。全休は10年以上ぶりか。

 しかし、11月にブログを書かなかったわけではない。11月に入って、ノロノロと10月後半の法座に触れていたのだ。そのうちに遅れすぎて、あズルズルと時間が過ぎてたしまった。

 もう一つは、11月の法座の印象が強すぎて、言葉にしづらかったのもある。

 特に強烈だったのが日高支部法座、面白かった報恩講の寺院布教。が、何もよりも華光大会の3日間の感銘深かった。分科会からの3日目の朝座の分級座談会の流れも、キリキリと突き刺さる痛みを伴っていて、しんどかったが、同時に感じるところ大である。目が覚めたといっもいい。
 他にも、輪読法座、仏書に親しむ会、聖典講座、大阪支部と続いて、触れておかねばらないことが多すぎて、逆に書けなかったのだ。

 12月に入っても更新できないでいた。今度は華光誌の編集に追われていたのだ。年末は〆切日が厳しい。そこに年賀交換の作業がある。加えて寺院布教を含む法座日程の関係で、いつもよりも早く手渡しする予定になっていたからだ。

  頑張った甲斐あって、おかげさまで無事に山を超えることができた。

 明日からも、岐阜のお寺を会所とした東海支部法座、そして3日間の寺院布教(報恩講)、カウンセリング研究会、そして12月の聖典講座と続いていく。

 ということで、久しぶりに声をだすことが出来ました。

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