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『御伝鈔』下第四段「箱根零告」(2)

 まず第一は、親鸞聖人の神祇観である。

 ◎「冥衆護持の益」

 「金剛の真心を獲得すれば、横に五趣八難の道を超え、かならず現生に十種の益を獲。なにものか十とする。一つには冥衆護持の益、二つには至徳具足の益、三つには転悪成善の益、四つには諸仏護念の益、五つには諸仏称讃の益、六つには心光常護の益、七つには心多歓喜の益、八つには知恩報徳の益、九つには常行大悲の益、十には正定聚に入る益なり。」(『信巻』)

 とあるが、現生十益の一番目が「冥衆護持の益」、つまり、真実信心の者は、常に諸菩薩・諸天善神に護られているというのである。

 同じことが、『現世利益和讃』十五首の中でも歌われていて、「冥衆護持の益」を現わす和讃が続いていく。

 ◎念仏者は無碍の一道⇒神祇不拝

 『歎異抄』の第七章も有名なお言葉だ。

「一、念仏者は無碍の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。」(『歎異抄』第七章)

 念仏者は何にも妨げられたる畏れることもない。むしろ、天の神や地の神の方が敬伏し、魔界・外道を畏れずとも妨げにもならないというのである。従って、けっして神祇を拝む必要がないというのである。

 次は、この箱根に関するお別れの伝承である。
 これは伝説ではあるが、権現の夢告を受けた社人に温かく迎えられた聖人は、三日間この地に留まられたという。その際、聖人は自作の御影と十字名号を箱根権現に授与されて、それを今に伝えるのが大谷派「箱根山萬福寺」にある。芦ノ湖を望む地にあり、廃仏毀釈の際に箱根権現から移された夢告の阿弥陀如来像も蔵する。付近には、関東から同行してきた性信房と聖人とが、腰掛けて別れを惜しんだ「別れの石」や、箱根神社(権現跡) などの旧跡も点在する。
『親鸞聖人正統伝』では、同行の弟子は、顕智、専信、善念、性信。一説では、蓮位もいたと言われるが、別れの際、聖人は性信房に『教行信証』が入った笈(おい) を預ける。現地は笈ノ平と呼ばれる。性信房は、横曽根門徒の中心人物で報恩寺の開基。この時の『教行信証』が、国宝の草稿本、坂東本(現在、東本願寺所蔵)、というあくまで伝承である。

 また、帰京の前か、その帰路であったのか分からないが、六十三歳にあったと言われる、「一切経校合(きょうごう)」についてのエピソードを『口伝鈔』からいただいた。
一切経は、仏教聖典の総称で、大蔵経ともいわれる。経・律・論の三蔵とその注釈書を集大成したものである。校合(きょうごう)とは、本文の異同を他の本と合せて正すことである。鎌倉幕府の執権、北条泰時は北条政子の十三回忌供養のために一切経の書写を行っており、一説では、この時の校合事業に、親鸞聖人が参加したともいわれている。『口伝鈔』では、北条泰時が九歳の開寿殿で、袈裟のまま肉食をされる親鸞聖人との問答を詳細に掲載している(『口伝鈔』第八段「一切経校合の事」。)
 また、京都市仏光寺本の『御伝鈔』には、独自の「一切経校合の段」が加わる全十四段の構成である。(続く)

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