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水浸し

  朝、2度目の洗濯機を回し終えた頃、連れ合いの叫び声が聴こえた。覗きに行くと、洗濯の排水が出来ずに、部屋中が水浸しになっている。
   
 洗濯機の排水管が外れていないので、原因は外だ。4~5年前にあったことなので、外の下水管につながる排水口を見ると、やはり汚水が流れずに一杯になっている。元が詰まっていては、いくら流しても流れはずはなく、流した分だけすぐに溢れたようだ。

 急いで濡れた荷物を動かす。大きな段ボールに2箱が、底が水浸しだ。中身と、法座や法話関係の未整理の書類。慌てて取り出し、広げると部屋は書類だらけになった。底が濡れた書棚を動かすのに、中身も取り出さねばならない。法座を前に予定外の事態である。

 水が使えないことほど不自由なことはない。ちょうど和歌山市の水道管事故のニュースをやっいていた。水が出ない不便さは想像できるが、水が出るのに使えなくなる事態は思いもよらなかった。入れることばかりに大切にしても、しっかり出すほうも同じだけ大事だということだ。業者の到着は、昼をかなり回るという。水が使えないと、食事は造りないので、お昼は外食をすることにした。
 
 連れ合いは法座を欠席して対応に追われていた。駆けつけた業者によって、この数年でたまりにたまったヘドロをかき出してもらって、元通り使えるようになった。すべて普段の生活からでた垢である。

 目には見えていないだけで、アスファルトの下に、無数の水道管や下水管、ガス管などが十重二十重に巡らせられているという、当たり前に気づかされた。東京都の水道管だけでも地球を何周もするとテレビで言っていた。下水が溢れたことで、日ごろは見ていない地下の下水管の存在に気づかされた。見えないところで巡られていて、そこに日ごろ少しずつ少しずつ暮らしの中で出る垢が、たまりにたまってたいへんなことになるのである。まるで私の業と同じではないか。日ごろ厚く飾って隠されているのだが、そこに毎日毎日、業の種子を貯めていくるである。そして、何か事が起こったなら、すぐ溢れだして、自分のことでありながら自分でも手がつけられない事態を起こすのである。必ず、最後に、この人生の総決算をしなければならない時がやってくるのだから、ほんとうに恐ろしい。

 排水は直ったが、書棚を動かしたり、広げた書類を整理する作業が、待ち構えていた。二人とも疲労困憊で、夕食も外食となり、久々に「来人」で飲んだ。ほぼ1年ぶりかな~
 

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