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寺院布教~永代経法要と報恩講~

 昨日の碧南市での東海支部法座の終了後、8名の男たちは、刈谷市まで移動して懇親会。予定していなかったが、緊急事態宣言か解除されたこともあって、法座が終了すると、皆さんソワソワしだして、ぼくも誘われたら断る理由はない。法座では、醜い餓鬼のスライドを観て、仏様のいのちを捨てた叫びを聞いた後なのに、もう飲酒罪を造る相談だ。この体たらくはなんだ。法座の時は少しは堪えたふりをしても、そこを離れた瞬間、まったく懲りない無仏・無仏法の凡夫の姿に戻る。なんとも哀れで、かつなんと有り難いことか。まさに教えに添うことがないはずなのに、見事に教えにかなっている。これぞ活きたご説法。

 翌日は、泉佐野への2日間の寺院布教。昨年は新型コロナの感染拡大で出講がなく1年ぶりだ。昨日の夏の陽気が一転、急に冷えた。しかも風が強い。泉佐野の海沿いは、冷たい北風が吹いて一段と寒さが厳しかった。温暖化は、天気を極端にしてしまうようで、夏から初秋を越して一気に晩秋になったようだ。

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 コロナの影響では、春の永代経が延期なり、今回の報恩講は、初日に永代経法要、2日目を報恩講としてお勤めされた。法座の回数は同じだが、参詣者の顔ぶりはずいぶん違った。永代経につかれた方が礼服で座っておられる。日曜日ということもあるが、若い方も多かった。一方、報恩講は、平日ということもあって、年輩の方が中心。参加者の高齢化が進み、寺院での仏法相続もますます厳しい状況になるのだろう。

 このところ続けて、「餓鬼」の話とスライド、そして「雪山童子と羅刹」のご法話をさせていただいている。

 今回は、そこに自分自身の聞法の歩みが重ねさせてもらった。自分自身が、雪山童子になることはなかった。食法餓鬼のまま、むしゃむしゃと仏様の命を食べつづけてきただけであった。それは、今もそうである。それでも、そんなものに命をがけで向かい合い、真実ひとつをお伝えてくださった方に出会ったのだ。それは、活きて躍動するみ法だった。だからこそ、ぼくが喜ばせてもらっている仏法は、今も活きて働いてくださっている。そのことをひとつ、聞いてもらいたかった。

 法話が終わってから皆さんのお声を聞いたが、反応はいまひとつ。でもご住職とそこでの話が出る。無碍に仏法を喜んでおられたお母様に育てられ、青年期からご法を求めておられた方なので、通じるところがあったようだ。南無阿弥陀仏 

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