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2021年10月の19件の記事

名古屋での寺院布教

    広島法座の翌日は、名古屋での寺院布教は報恩講のご縁をいただく。

    報恩講なので、改めて「報恩講」の意味や意義から入る。親鸞聖人のご恩徳に報いるといっても、そのご恩徳が遠いお話に終わっているのが現実ではないか。親や先祖ならまだ分かるだろうし、他人でも目の前の先生のおかげも味わうことはできる。がしかし、今の私にどう親鸞様が関わってくるのかは、話として聞けても、どこかボンヤリしいる方が、大大半ではなかろうか。でもそれは当たり前の話で、いくらご苦労があると聞かされても、結局、私自身が仏法を喜ぶ身にならなければ、聖人のご恩徳に知ることはない。それで蓮如上人は、

「御正忌のうちに参詣をいたし、こころざしをはこび、報恩謝徳をなさんとおもひて、聖人の御まへにまゐらんひとのなかにおいて、信心を獲得せしめたるひともあるべし、また不信心のともがらもあるべし。もつてのほかの大事なり。そのゆゑは、信心を決定せずは今度の報土の往生は不定なり。されば不信のひともすみやかに決定のこころをとるべし」

「日ごろの信心のとほり決定せざらん未安心のひとも、すみやかに本願真実の他力信心をとりて、わが身の今度の報土往生を決定せしめんこそ、まことに聖人報恩謝徳の懇志にあひかなふべけれ。」

と、何度もおっしゃている。

   要は、そこを話で終わるのではなく、いかに我が身に引き寄せることができるのか。正解を覚えて言うのなら、いくらでもできる。しかし、ほんとうにその身になっているのか。「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずれば,親鸞一人(いちにん)がためなりけり」は、聖人のご持言、つまり常の仰せのひとつで、何度も何度も、回りの人達に語っておられる。「親鸞一人」は、「わたし一人」である。そこまでご本願を引き寄せ、お救いを引き寄せているのか。口先だけ、もしくは昔の体験だけを握って、「救われた」といっているだけなら、それはカビのはえた喜びだ。法は生きている。生きものを握りしめていると、必ず腐ってくる。腐ったものでも、捨てられないのが私だ。「必ず救う」というお言葉をどう聞くのか。あらためて、わたし一人のお救いを問うご法話となった。

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広島法供養法座

 こちらは年忌ではないが、通常の支部法座を法供養法座として、ひとりでもご縁のある方にお参りいただこうと営んでくださった。おかけで、真宗カウンセリングではご縁結びながら、法座では初参加の方や久しぶりに参加くださる方もあって有り難かった。

 ただ導師を勤めるぼくは間抜けそのもの。五条袈裟や輪袈裟は持参しながら、黒衣を入れ忘れるという大失態。いやお恥ずかしいかぎり。気分的にはひきずりつつ、「ごめん、ごめん」と頭を下げて気持ちを切り換え、「救われるとは」と題したご法話。

 このところ続けて、『御伝鈔』の「まったくわたくしなし」、いろは歌のもとになった「雪山童子と羅刹」、そして「食法餓鬼」の3つの法話を味わってきた。同じテーマでも、聴衆や会場の雰囲気によって、内容は同じでないから不思議だ。また皆さんの反応や声を聞いて、ぼく自身が気づかされ味わい直すことも多く、一番最初にご法話をした時とは違ったものになってくるから不思議だ。

 今日は、初めて話すテーマ。最初なので、モタモタもするが、率直にいま味わっているところ、一番、伝えたいところに絞って話させてもらった。

 「お救い」とか「お助け」、「お救いあう」という風に使われ、真宗では最重要なテーマだ。それでいて、有り難いような、どこかぼんやりして、ハッキリしたようでしないのが、「救い」ということではないか。今日の浄土真宗のお救いの説ぶりを批判的に捉えながらも、人のことではなく、自分の上で、はっきりとその一点に焦点を絞って聴聞しているのか。「私はほんとうに救われいるのか」「そこがハッキリ喜べるのか」、そのうえで「真宗のお救いとは何か」という要点を、皆さんに問いかけながら聞いていただいた。

 しばらく、このテーマでご法話をさせていただくことになるが、皆さんのお声に触発されながら深めていきたいと思っている。

 

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F家の年忌法要

 毎年四月に法供養として法要をもってくださるF家だが、親族の皆様の法要も欠かさずに営んでくださる。施主の義姉の方の年忌法要。勤行の後、正信偈の冒頭の「帰命無量寿如来、南無不可思議光」についていただく。なぜ、無量寿、無量光の如来様になってくださったのか。そして、「帰命無量寿如来」と「南無不可思議光如来」とは、きいかなるお働きの如来様であるのかを、なるべく分かりやすい言葉でお伝えさせていただいた。
 短時間ではあったが、お世話になりありがとうございました。

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「箱根霊告」(3) 何故聖人は帰京されたか?

 さてなぜ聖人は帰京されたのであろう。『御伝鈔』には帰京の年齢、理由には一切触れておられず、山伏帰依から、関東から京都に帰京途中のエピソードに移っている。しかし、なんの理由もなく、20年におよぶ関東の布教を終え、京都に戻られたとは考えられない。それを他の資料から補ってみる。

 まず、聖人の帰京の年齢だが、諸説はあるが六十歳~六十二、三歳頃だと推測されている。途中、相模(神奈川県)、三河(愛知県)、近江(滋賀県)などに逗留されて教化活動をされたご旧跡が残っている。また、妻子が一緒だったかどうかも諸説がある。晩年、恵信尼公が越後に戻っておられるので、いろいろな推察を生むが、いまは妻子を伴った帰京とみていいのではないか。

 では二十年間の関東教化を終え、京都に戻られた理由は何か。それにも諸説がある。家庭の事情、善光勧進聖に関係すること、望郷の念、執筆活動の専念、門弟間での騷動、鎌倉幕府による専修念仏の取り締まりの強化などがあげれられる。もっとも鎌倉以上に、京都では専修念仏者の活動制限されていた。当たり前のことだが、今日の私達は、聖人が九十歳まで長命であったことを知っているが、しかし、当時の聖人は、残りの余生を知るよしもない。当時、六十歳の還暦を過ぎれば余命はわずかだっただろう。もう最晩年の実感をお持ちだったろう。そして、その結果は長生きされ、晩年の京都で多くの著作が残ることになった。

 ここからは推論だが、いくら同信の念仏者とはいえ、人が集うということはそれだけ問題が起こるということだ。声聞が集う釈尊当時の教団でもトラブルがあった。いわんや末法の凡夫の集いにおいてをや。また純粋な念仏者であればあるほど起こる信仰面の軋轢にしても、ちっぼけな華光の集いでも日々痛感させられることである。その時、仰ぐべきは親鸞聖人の言動であった。みな聖人を仰ぎ頼っていたのは、想像に難くない。これは釈尊でも、法然聖人の上でも起こった信仰や運営をめぐる師弟関係の大問題だ。そしてまたいかなるカリスマでも、このパワー、権力の問題で躓く凡人が大半で、そこが宗教界の常である。 このあたりは、晩年の関東の門弟の『御消息』や『歎異抄』の異義をみても明らかだ。

 たとえば、『歎異抄』の第六章には、

「専修念仏のともがらのわが弟子、ひとの弟子といふ相論の候ふらんこと、もつてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたず候ふ。」

と語られている。続いて、「つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるることのあるをも…」と言われた。付く縁もあれば、また同じように離れる縁もある、そのすべてが仏縁であるというは、聖人の実体験であろう。

 最晩年の『三帖和讃』を終える結示の和讃は、聖人の深い内省の歌である。文字も知らない田舎の人々を前にした名利に人師をこのむ我が身の恐ろしさ、愚かさを切実と懺悔され、和讃が結ばれていく。この和讃には関東での布教を通した内省があるのではないか。法に帰ってこそ、聖人が関東を離れられた深い思いが窺える気がしてならない。南無阿弥陀仏

 よしあしの文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを
 善悪の字しりがほは おほそらごとのかたちなり

 是非しらず邪正もわかぬ このみなり
 小慈小悲もなけれども  名利に人師をこのむなり
 

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『御伝鈔』下第四段「箱根零告」(2)

 まず第一は、親鸞聖人の神祇観である。

 ◎「冥衆護持の益」

 「金剛の真心を獲得すれば、横に五趣八難の道を超え、かならず現生に十種の益を獲。なにものか十とする。一つには冥衆護持の益、二つには至徳具足の益、三つには転悪成善の益、四つには諸仏護念の益、五つには諸仏称讃の益、六つには心光常護の益、七つには心多歓喜の益、八つには知恩報徳の益、九つには常行大悲の益、十には正定聚に入る益なり。」(『信巻』)

 とあるが、現生十益の一番目が「冥衆護持の益」、つまり、真実信心の者は、常に諸菩薩・諸天善神に護られているというのである。

 同じことが、『現世利益和讃』十五首の中でも歌われていて、「冥衆護持の益」を現わす和讃が続いていく。

 ◎念仏者は無碍の一道⇒神祇不拝

 『歎異抄』の第七章も有名なお言葉だ。

「一、念仏者は無碍の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。」(『歎異抄』第七章)

 念仏者は何にも妨げられたる畏れることもない。むしろ、天の神や地の神の方が敬伏し、魔界・外道を畏れずとも妨げにもならないというのである。従って、けっして神祇を拝む必要がないというのである。

 次は、この箱根に関するお別れの伝承である。
 これは伝説ではあるが、権現の夢告を受けた社人に温かく迎えられた聖人は、三日間この地に留まられたという。その際、聖人は自作の御影と十字名号を箱根権現に授与されて、それを今に伝えるのが大谷派「箱根山萬福寺」にある。芦ノ湖を望む地にあり、廃仏毀釈の際に箱根権現から移された夢告の阿弥陀如来像も蔵する。付近には、関東から同行してきた性信房と聖人とが、腰掛けて別れを惜しんだ「別れの石」や、箱根神社(権現跡) などの旧跡も点在する。
『親鸞聖人正統伝』では、同行の弟子は、顕智、専信、善念、性信。一説では、蓮位もいたと言われるが、別れの際、聖人は性信房に『教行信証』が入った笈(おい) を預ける。現地は笈ノ平と呼ばれる。性信房は、横曽根門徒の中心人物で報恩寺の開基。この時の『教行信証』が、国宝の草稿本、坂東本(現在、東本願寺所蔵)、というあくまで伝承である。

 また、帰京の前か、その帰路であったのか分からないが、六十三歳にあったと言われる、「一切経校合(きょうごう)」についてのエピソードを『口伝鈔』からいただいた。
一切経は、仏教聖典の総称で、大蔵経ともいわれる。経・律・論の三蔵とその注釈書を集大成したものである。校合(きょうごう)とは、本文の異同を他の本と合せて正すことである。鎌倉幕府の執権、北条泰時は北条政子の十三回忌供養のために一切経の書写を行っており、一説では、この時の校合事業に、親鸞聖人が参加したともいわれている。『口伝鈔』では、北条泰時が九歳の開寿殿で、袈裟のまま肉食をされる親鸞聖人との問答を詳細に掲載している(『口伝鈔』第八段「一切経校合の事」。)
 また、京都市仏光寺本の『御伝鈔』には、独自の「一切経校合の段」が加わる全十四段の構成である。(続く)

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『御伝鈔』下第四段「箱根霊告」(1)

 『御伝鈔』下巻第四段「箱根霊告」。
 前段の修験道(山伏帰依)につづき、神道の神にも尊敬される聖人は、ただ人ではないことを示すと共に、他力信心の徳である「冥衆護持」の現世利益を示す段である。

 そう長くはない段だが、一応、二段に分けていただいた。
一、「聖人 東関の堺 ~ 孤嶺にかたぶきぬ」
 箱根の難所=親鸞聖人が関東から帰洛の途中、険しい箱根の山道で夜も更け、宿を請われた。
二、「時に、聖人あゆみ ~ 珍味を調えけり」
 箱根権現の尊敬=たまたま訪ねられたのは箱根権現に仕える神官の社務で、「今、夢に、箱根権現が現われて『私の尊敬する客人が通るので、丁重に歓待するように』と告げられた」と述べ、聖人を丁寧にもてなしたといのが、分科と大意である。

 ところで、「権現」とは、本地垂迹説により、日本の神が仏や菩薩が仮に現われたものであり、その尊称が権現。仮に現われたの意である。ここでは箱根権現のことであがるが、箱根三社権現と称し、「瓊々杵尊」「彦火々出見尊」「木花開耶姫」を祭り、法体は「文殊菩薩」、俗体は「弥勒菩薩」、女体は「施無畏観音」である。明治維新の神仏分離によって、箱根権現は箱根神社となっている。その箱根権現での出来事である。

 「東関の堺」「華城」「晩陰」「険阻」「暁更」「慇懃」「饗応」「示現」「忽爾」「影向」「炳焉」「感応」「尊重屈請」などなど、見慣れない漢語調の言葉のオンパレードで、原文を一読した時は、皆さん「?」という感じだったが、語句をおさえていくと、内容的には難しい一段ではない。ある意味、たわいのない内容でもあり、覚如上人の記述も出来事のみで、どう真宗の教えの上で、また聖人の歩むの中でおさえていくのかというあたりは、少し補足が必要だった。(つづく)

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ZOOM会議

 予定なら、週末は新潟の布教だった。新型コロナの影響で、2年続けての延期となった。この2年間、福井、富山、新潟と北陸方面の布教は軒並み中止となり、また北陸や新潟の同人方方の参詣もないので、交流が途絶えているのは、ご縁ごととはいえ寂しいことだ。

 代わりに、拡大運営委員会を開く。運営委員と支部長、事務局が揃う会議だ。華光大会で全員が集う会合がもてなくなっり、リモートでの開催となる。その分、日程さえ合えば、遠近各地からの参加が可能になる。また何かあるとすぐに会議が開けるのも、コロナ禍のおかげでのメリットである。いつのまにか、各支部、運営委員、全員が参加できるようになっている。

 華光大会での総会に向けての事業報告と計画や決算報告と予算案などを審議して、承認されたものを同人に事前配布するのだ。来年の新型コロナの影響は未確定で、決定的な計画や予算は建てづらいのだが、今年度に習った計画や予算を計上した。合せて、運営委員の交代などの報告を行う。また法座や座談会、同人の減少や法座参加者の固定化、地域性の偏りなど問題点をあげて説明をした。

これからも御同行・御同朋が集い、それぞれが真摯に法を求め、法を喜ぶ聞法集団であり、また華光が真の聴聞の場として輝くためにも、地道な活動が大切になるのてある。詳しくは、華光大会の総会の場で。

 

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フィンランド映画『トーベ』

 娘のリクエストで、京都シネマでフィンランド映画『トーベ』を観る。今も世界中で愛されているムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソンの半生記だ。娘は小さな時からムーミンが大好きで、二人で最初に観に行っ映画もムーミンで、劇場晩『ムーミン谷の彗星』だったと思う。10年以上前のことだ。

 さて本作は、誰もが知るムーミンは、妖精の不思議な世界での出来事だが、それがどのような背景で生まれたのか、ムーミン誕生の舞台裏を描いた作品でもあった。いろいろな分野で才能を発揮したり、伝統的な画壇の異端児だったり、私生活では、情熱的でスキャンダラスな、そしてさまざまな恋の形や結婚生活も、一筋縄ではなかったようか描かれる。北欧という開かれた地とはいっても、まだ若い女性の地位もまだ低く、同性愛に対してもいまほどの理解がなかったようだ。ただぼくには映画の流れが平板で、途中、ウトウトする場面もあったのは、残念。最近、映画の途中の居眠りが増えているのは、歳のせいか。

 終わってから廃校になった小学校を施設が芸術センターになっていて、木造の教室の雰囲気を残すカフェでお茶をした。町中にあった小学校の雰囲気がレトロな洒落た雰囲気。ほっこりした。

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寺院布教~永代経法要と報恩講~

 昨日の碧南市での東海支部法座の終了後、8名の男たちは、刈谷市まで移動して懇親会。予定していなかったが、緊急事態宣言か解除されたこともあって、法座が終了すると、皆さんソワソワしだして、ぼくも誘われたら断る理由はない。法座では、醜い餓鬼のスライドを観て、仏様のいのちを捨てた叫びを聞いた後なのに、もう飲酒罪を造る相談だ。この体たらくはなんだ。法座の時は少しは堪えたふりをしても、そこを離れた瞬間、まったく懲りない無仏・無仏法の凡夫の姿に戻る。なんとも哀れで、かつなんと有り難いことか。まさに教えに添うことがないはずなのに、見事に教えにかなっている。これぞ活きたご説法。

 翌日は、泉佐野への2日間の寺院布教。昨年は新型コロナの感染拡大で出講がなく1年ぶりだ。昨日の夏の陽気が一転、急に冷えた。しかも風が強い。泉佐野の海沿いは、冷たい北風が吹いて一段と寒さが厳しかった。温暖化は、天気を極端にしてしまうようで、夏から初秋を越して一気に晩秋になったようだ。

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 コロナの影響では、春の永代経が延期なり、今回の報恩講は、初日に永代経法要、2日目を報恩講としてお勤めされた。法座の回数は同じだが、参詣者の顔ぶりはずいぶん違った。永代経につかれた方が礼服で座っておられる。日曜日ということもあるが、若い方も多かった。一方、報恩講は、平日ということもあって、年輩の方が中心。参加者の高齢化が進み、寺院での仏法相続もますます厳しい状況になるのだろう。

 このところ続けて、「餓鬼」の話とスライド、そして「雪山童子と羅刹」のご法話をさせていただいている。

 今回は、そこに自分自身の聞法の歩みが重ねさせてもらった。自分自身が、雪山童子になることはなかった。食法餓鬼のまま、むしゃむしゃと仏様の命を食べつづけてきただけであった。それは、今もそうである。それでも、そんなものに命をがけで向かい合い、真実ひとつをお伝えてくださった方に出会ったのだ。それは、活きて躍動するみ法だった。だからこそ、ぼくが喜ばせてもらっている仏法は、今も活きて働いてくださっている。そのことをひとつ、聞いてもらいたかった。

 法話が終わってから皆さんのお声を聞いたが、反応はいまひとつ。でもご住職とそこでの話が出る。無碍に仏法を喜んでおられたお母様に育てられ、青年期からご法を求めておられた方なので、通じるところがあったようだ。南無阿弥陀仏 

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東海支部法座~阿弥陀様が決めてくださる~

 10月も半ばを過ぎたのに、半袖でもまだ汗ばむ陽気である。
 今年2回目の碧南市での東海支部法座。新幹線、JR、そして名鉄の碧南線と乗り継いで会場入りした。「華光」の大きな文字が目印だ。支部法座でも会場に大きな仏壇のあるところで法座が開かれるのは、それだけでも尊い。大声でお念仏しようが、泣き喚こうが、出入り禁止になる心配はない。

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 法話の後の座談会はご示談となる。

 「如来様は見えません。どうしたら食べてもらえますか」という質問に、白熱したやりとりが続く。だか、求める側と勧める側のやりとりがかみ合わないまま進んでいく。それでも「なんとか」という思いが強く関わり続けた。

 「今、ここで葬式をせよ」と迫る。

 が「真宗は信心正因。往生のためにはまずそれが第一で、そこがはっきりしていないうちに、このいのちを捨てるわけにはいかない」という常識的な答えに、勧める方の声も一層熱くなる。自分中心にしか求められないのだ。そんな保険や保証など一切を捨てて、阿弥陀様はお命を差し出してくださっているのだ。
 
 かと言って、それを正しく指摘したところでも始まらない。相手が鎧兜なら、こちら先に裸にるなしかない。覚悟をもって最終宣告。が、それもすべて自分の頭で分別できる常識の範囲でしか捉えてもらえない。どこまでも自分の造った「こうならねばならない」という範囲で考え続けておられる。それは「教えに沿っていく」ことが仏法だという常識だ。それでいて、自分自身は教えに沿っていないのも分かっおられる。だからこそ、理想どうりになろう、なろう。そうならねば聞けない、という歪みから離れることがでなきない。残念ながら、その添うべき理想の教えこそが、自分自身が勝手に造りあげた妄念に過ぎないのだ。それに合せて「こうあるべきだ」「こうならればならない」という理想像ばかりを追う聞法は、何百年やっても他力廻向信になるはずがない。

 それでも、頑張ることに意味があるように思うのは、この世の常識の範囲での話。むしろ、不実な自分を(自分の理想とする)正統な教えの名のもとで正当化するだけで、法にかななっていないのだ。

 もしかすると見えないのは仏様だけではない。目の前に向き合っているぼくの姿も見えず、その声も届かないようだ。

 それでいて、その当事者よりも、その姿を通して回りの人達に法が響いていくのが不思議だ。結局、グズグズ畏れているのは私の方だ。宝の山を目の前にグルグル回るだけで、この命を終えるようならあまりにも勿体ないではないか。

 今、ここで、聞いてくれ!

 グズグズして決めらな私のために、阿弥陀様がそう決めてくださった。教えに添わねばと言われるのなら、この仰せの一言に沿うだけでいい。浄土真宗の信の一念、廻向信の凄まじさがここにある。

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<この「華光会」が目印↑>

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箸休め

 10月に入り、京都も緊急事態宣言が解除され、お店でアルコールがお店でも飲めるようになった。感染者は減り続け、府独自の時短要請、もうしばらくで全面解除になる。

 会計の話が終わり、Y先生を誘って烏丸御池の「じじばば・木馬亭」へ。コロナ禍の間はご無沙汰だったので約2年ぶりか。Yさんは1週間ぶりだと言っている。ぼくより九州の方が常連になっておられた。例によって楽しくお酒飲んで、いろいろと雑談に花を咲かせた。もう1軒行こうと言うことになった。梯子酒は久しぶりだー。だが次のbarは断れたので、9月末にオープンしたばかりの韓国居酒屋に入る。
 ただ前の店で何を話したかはよく覚えているが、この店で話したことは見事に何も覚えていない。大したことを話していなかったのだと思うが、久しぶりに酔っぱらった。 

 ブログが停滞して厳しめの法座の話題ばかり続くので、ちょっと箸休め。

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<マッコリ、小学生の時の給食を思いだす>

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決算と予算~釈尊のご恩徳~

 華光会は9月が年度末になる。11月の華光大会では総会を開いて、決算報告と予算書(案)を審議することになっている。

 福岡からY先生が来館される。毎月、定期的に月次の説明を受けているので、決算については把握できている。やはりコロナ禍で、一部の寺院布教が中止になったり、行事の人数制限がある中でも、伝道(公益)事業では、同人に皆様に支えられて久々の黒字となった。故人の意志を尊重してご喜捨をくださる方が複数あったからだ。おかげで、来年度の予算も編成しやすかった。同人の高齢化は進み、コロナ禍で新しい方の定着は難しく、また法座の参加者の固定化などの問題もあるし、今後も課題も大きい。危機感もあるが、一方で何があってもこころは落ちている。

 『往生要集』を拝読していると、たとえ無戒のかたちだけの僧であっても、衣をまとった者には、そのものが衣食住の最低限の生活に窮することなく仏道修行を励めるようにと、お釈迦様がご自分の功徳を投げ出してくださったというのだ。ご自身の成仏のために1/3、正法時代の修行者のために1/3、そして像法の形だけの仏法者のためにも1/3の功徳を廻向くださっている。末法になっても、その広大な陰徳がこぼれおちていると味わっている。同じことの繰り返しであっても、いのちのあらん限り、愚直に法を喜び、お伝えしていくしかないのである。そのことを皆様のおかげで喜ばせてらもっているのだ。南無阿弥陀仏

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1日だけの仏青大会でも、、

  停滞していた仏教青年会だが、ここにきて少しずつだが明るい兆しが見えてきている。1日だけの仏青大会ではあったが、学生を中心にして10~20代の青年が集った。子供大会からのご縁の人が多く、小学生の時以来、大学生となっての再会は、懐かしかった。なぜか、昔から仏青は男性よりも女性が多いが、それは同じ。こちらは、若者の姿がまぶしい歳になっている。ご聴聞の上ではこれからなのだか、仏法に明日という日はなく、また老若男女が問題としない教えだ。若い日にこそ仏法を嗜んでほしい。とはいっても、妙なところで分かったり、知ったりする必要はない。ぜひ仏道の真ん中を歩んでもらいたい。そして、仏法を喜ぶ人に出会ってもらいたい。結局、ぼく自身の幸せは、若き日に善き師に出会い、善き友に出会ったことだ。先達の喜ぶ仏法に出会えたことが、今日のぼくのすべてなのであるからだ。

 前夜には、K先生の音頭で食事会もあって、楽しそうだった。特に多感の時代は、法座の前後の飲み会や懇親会の時間も大切で、お念仏を喜んでいる人達と生に接する貴重な機会だ。仏法を喜ぶ先達に触れることがなければ、文字や言葉だけの頭でっかちな聞法に終わってしまう。余談だが、娘も参加したが、彼女の20年間の人生で初めての「焼き肉」の経験となった。子供の時から、にくにくしい肉や生魚(刺身)を食べるのが苦手だったので、新鮮だったようだが、やはり同じ世代の仏法を求める人達と触れ合えたのも、楽しかったようだ。

 

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10月の華光誌輪読法座

「一度も、自らを差し出すこともなく、欲望を満たすために法を取り込もうと、必死に求めている。実はあり余るほどの法水を浴びているのだが、「分からん、分からん。もっとくれ、くれ」と、法を貪り続けている私の姿ではないか。
厄介なのは、そんな聞法でも、仏法求道という美名の下に正当化されて、醜い餓鬼の姿が見えなくなっているのだ。それで、必死に法を求めながらも、まったく法に出会うことがなかった。

 ところが、阿弥陀様は、そんな愚かな私に、一方的に自らのお命を差し出しておられる。昨日今日のことではない。無始以来、迷い続ける私に、ずっと命を差し出し続けておられるのだ。

 しかもだ。悪業で固められて腐り切った私を、喜んで食べてくださるというのも、阿弥陀様である。「閻魔さんに食べてもらってよい。鬼に食べてもらってもいい。仏・菩薩ならなお結構だ」とは、伊藤先生のお言葉。さあ、法を貪り求めることをやめて、一度、さっぱりと食べられてみてはどうか。」

 一段目に関して、自分が食法餓鬼だとは思う。
 二段面に関して、阿弥陀様がお命を差し出しておられるとは信じられない。
 三段面に関して、食べられると言われても、どうすることかさっぱり分からない。

という意味内容のことを仰る方があった。率直な気持ちの表明ではある。そんな思いをもたれる方も多いようだ。しかし、いくら率直な表明をしたところで、それだけではご聴聞にはならない。「私が思う。私は信じられない。私には分からない」。結局、全部、「自分」が思ったことから離れならない。もし「私は固く信じています」と言ったところで、結局、同じことなのだ。

 私こそ食法餓鬼であったと聞かせていただいのなら、それで終止符が打つではないか。食法餓鬼には、分かるの分からないの、信じるの信じられないの、そんなことを言う資格さえない。ただ必死に自分を満足さるために貪るばかりで、自分が餓鬼だとも分からない哀れな身なのである。もしも、そんなものが「私は餓鬼です」と言えるとしたならば、それは仏智に照らされたからにほかならない。そのために、阿弥陀様が餓鬼の私に頭を下げ、お命をお捨てくださっている。そこを聞かせていただきたい。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 11月は変則開催で、「華光誌輪読法座」と「仏書に親しむ会」の連続で行います。『仏書』の時間帯にご注意ください。また一方だけでも出席でます。

 11月3日(祝)13時30分~16時30分=華光誌輪読法座
 (誌上法話『弥陀の一心』)
  同      17時(夕5時)~19時(夜7時)
  =仏書に親しむ会
 (『春風吹かば』『悟痰録』収録(二)電報が飛ぶ)

 

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水浸し

  朝、2度目の洗濯機を回し終えた頃、連れ合いの叫び声が聴こえた。覗きに行くと、洗濯の排水が出来ずに、部屋中が水浸しになっている。
   
 洗濯機の排水管が外れていないので、原因は外だ。4~5年前にあったことなので、外の下水管につながる排水口を見ると、やはり汚水が流れずに一杯になっている。元が詰まっていては、いくら流しても流れはずはなく、流した分だけすぐに溢れたようだ。

 急いで濡れた荷物を動かす。大きな段ボールに2箱が、底が水浸しだ。中身と、法座や法話関係の未整理の書類。慌てて取り出し、広げると部屋は書類だらけになった。底が濡れた書棚を動かすのに、中身も取り出さねばならない。法座を前に予定外の事態である。

 水が使えないことほど不自由なことはない。ちょうど和歌山市の水道管事故のニュースをやっいていた。水が出ない不便さは想像できるが、水が出るのに使えなくなる事態は思いもよらなかった。入れることばかりに大切にしても、しっかり出すほうも同じだけ大事だということだ。業者の到着は、昼をかなり回るという。水が使えないと、食事は造りないので、お昼は外食をすることにした。
 
 連れ合いは法座を欠席して対応に追われていた。駆けつけた業者によって、この数年でたまりにたまったヘドロをかき出してもらって、元通り使えるようになった。すべて普段の生活からでた垢である。

 目には見えていないだけで、アスファルトの下に、無数の水道管や下水管、ガス管などが十重二十重に巡らせられているという、当たり前に気づかされた。東京都の水道管だけでも地球を何周もするとテレビで言っていた。下水が溢れたことで、日ごろは見ていない地下の下水管の存在に気づかされた。見えないところで巡られていて、そこに日ごろ少しずつ少しずつ暮らしの中で出る垢が、たまりにたまってたいへんなことになるのである。まるで私の業と同じではないか。日ごろ厚く飾って隠されているのだが、そこに毎日毎日、業の種子を貯めていくるである。そして、何か事が起こったなら、すぐ溢れだして、自分のことでありながら自分でも手がつけられない事態を起こすのである。必ず、最後に、この人生の総決算をしなければならない時がやってくるのだから、ほんとうに恐ろしい。

 排水は直ったが、書棚を動かしたり、広げた書類を整理する作業が、待ち構えていた。二人とも疲労困憊で、夕食も外食となり、久々に「来人」で飲んだ。ほぼ1年ぶりかな~
 

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『悟痰録』始まる

 前回、経緯に触れたが、10月から『悟痰録』を読むことになった。内容に先駆けて少し説明をする。

 今、発行されている『悟痰録』には、二人の先輩同人の文章が収録さている。貴伝名博著の『春風吹くかば』と、尾上実著の『悟痰録』である。お二人は、『死を凝視して』に別の文章が収録されている。また尾上さんのものは、合せて『華光出佛』の納められいる。それを合せて読んでいくことにした。

 貴伝名博著『春風吹くかば』 (『悟痰録』収録)
 同    『死の日記』(『死を凝視して』収録)

 尾上 実著『悟痰録』 (『悟痰録』・『華光出佛』収録)
 同    『最後の手紙』(『死を凝視して』・『華光出佛』収録)) 

 貴伝名博さんは、昭和十八年に、二十七歳で、結核のためにご往生された。実業家としての活躍の夢は適わず、喉頭結核病であった。
 尾上実さんは、昭和二十年に、二十七歳で、結核のためにご往生された。尾上さんは、大阪商大から大阪大学医学部に転じら、医者として活躍される前の闘病であった。

 「仏説が嘘だといっても、出てくる念仏が承知しません。私はこの法と、二十七歳の生涯を取り代えても、ちょっとも惜しくないです」(尾上実)

 まずは、 貴伝名博著『春風吹くかば』から輪読を始めた。慣れない旧字体に苦戦しながらも、逆に集中した輪読になったのではないか。ZOOMでの参加からも、一緒に参加できてよかったと好評だった。

 次回は変則で、華光誌輪読法座と連続での合せた開催。

 11月3日(祝) 13時30分~16時30分=華光誌輪読法座
  同       17時~19時=仏書に親しむ会(春風吹くかば』(『悟痰録』収録))の(二)電報が飛ぶから)

 同人会員は、ZOOMからもご参加いただけます。

 

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あなたの声が聴きたい

 「どうすれば」という方法論を尋ねる方。
 「なぜか?」と理由を尋ねる方。
 「それはどこにありますか?」と根拠を尋ねる方。
 そして、自分の意見や考えを滔々と述べる方。
 中には、法話の要点をしっかり復習しながらまったく言葉と離れている方もある。
 雄弁だったり、澱(よど)みなく話されたすることが多い。
 そんな自分の意見や考えを滔々と語られた時は、語り終わられたら、その問いに答えるよりも、「それで、今、どう感じておられますか?」とか、「語り終わって、どんな感じがしていますか?」などと、「今、体が味わっている、感じ」を、言葉にするように求めていることが多い。特に最近はしつこく「で、今の感じは?」と聞き返している。

 そうすると、だいたいが「え? 感じですか。感じと言われても…」と戸惑い、言い澱んで、「エー」とか「ウン」となって、やっと事柄ではなく、自分自身に向き合ってもらえる。が、それも束の間、また頭で造った正解や、こうならればならないという理想、自分の枠に戻って、自分の考えを繰り返して話されていく。それが自分の中でのゆるぎない「正解」だからだ。
 ぼくの方も、それでもめげないずに、また「で、今の感じは」とか「今、語り終えてどんな感じがしますか?」と聞き返している。今回の座談会はそれの繰り返しだった。だから、他の皆さんは、ずいぶん退屈されたかもしれない。
 
 でも、いくら澱みなく続く正解よりも、「ああでもない」「こうでもない」と戸惑いながら、自分に少しでも触れてもらいたいのである。特に、きっちりと正確に法話の要点を返される方ほど、「耳で聞いただけで、実感はありません」とか、「頭では分かりますが、胸が承知しませんが」などと、腑に落ちないことを語られている。それはこちらにも十分伝わってくる。その方と、発せられている言葉との間の乖離が、聞いていてもよく分かるからだ。要は、腑に落ちませんと、顔に書いてある。
 
 それもこれも、自分の実感に触れることがないからで、「実感がない」のも当然なのだ。だから常に「頭では分かりますが、、、」で終わっていく。それで、こちらは実感に触れるように聴き返しすのだが、なかなかそう聞いてくださる方は稀だ。

 よくあるのは、それは「本音を話すことですか」とか、「正直な考えを話せばいいのですか」との聞き返しだ。または「そんな感じを話しても、意味はない」という自説を述べる方もある。でもいくら「本音」であろうが、「正直な考え」であろうが、すでに自分の中で出来上がった思いならば、いくら語っても新たな気づきになることはない。もうすでに自分で気づいていることなのだからね。またはいくら感情的になっでも、一時の感情の起伏であるから、すぐに覚めたり、落ち込んだするのがオチだ。

 気づきとは、からだ感じているがまだ言葉になる前の、もしくは気づいてきることの周辺で、まだはっきりしないモヤモヤした感じに焦点があたり、それがハッキリと形になり、それに名付けがおこってぴったりした言葉になったときに、「ハッ」とする体験的一歩を踏み出すのである。いくら、頭での絶対的な正解に、気持ちの方を合せていこうとしても、絶対に、もやもやした不全感が残りつづける。

 だから、単純な喜怒哀楽といって感情ではなく、まだ言葉になる前のからだ感じている感じ(ほんとうの意味での実感)に触れてもらって、それを言葉にしていく作業の方が、ずっとみのりがあるのだ。なかなかそこに気づかないままの語り合いが続くのは、けっこう勿体ない。むしら、これが正解、座談ではこうするべきだ、という自分の枠を壊して、モトモト、ノツノツしながらでも、自分の声を出してもらいたいのだ。

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東京支部法座~地獄の話~

  8月は完全リモートになった東京支部法座だったが、今回は、今年2度目のリアルでの開催。現地に加えZOOM参加もある二本立て。ただ、宿泊会場と兼用だった会館が、コロナ禍以降、貸会場のみの利用となり、夜を早く切り上げねばならない。ということで、今回は、昼座の後、小休止を挟んで夕座と連続した2座の法話。19時に終了してたら、1階のレストランで希望者と夕食も食べたのも、また、2日目の終了後、懇親会も開いたが、共に1年10ケ月ぶりだ。緊急事態が長く、外食で生ビールを飲むのは、7月の福岡法座以来、ほんとうに久しぶりだった。

 連続した法座で、法話も一つのテーマでを掘り下げた。「地獄」についてである。

 「地獄行き」とか「地獄一定」か法座の常套句ではあるが、では「地獄」のことをどれだけ知っているか。主に二つの意見に分類された。地獄そのものの特徴を語る人と、自己の味わい、自覚のところで語られる方である。今日は前者の話から基本をおさえることにした。

 『往生要集』の現代語訳で「地獄」を読む。また、八大熱地獄の業相、前世での罪科、年数などまとめたもて確認していった。内省の世界では、この世の罪業とは、正反対の罪の報いを受けねばならない。この世ではあまり罪が深くない、口業や飲酒(おんじゅ)の方が身業よりも深い。さらにこの世では何の罪にも問われない、仏法を謗ったり、仏道修行者を辱めるといった謗法罪が、無間地獄に落ちる罪となるのである。しかも肉体的な苦だけでなく、精神的な苦もあり、また罪の呵責もあり、それが長時間、何度も何度も苦しみが業が尽きるまで果てることなく続いていくというのである。夕座は、『往生要集』の忠実な地獄のスライドを観た。等活地獄では、「活、活」の獄卒の轟声が響くと、バラバラだった体が再び甦って苦しみが延々と続く下りは、業報の恐ろしさである。

 皆さんの声を聞いて驚いたのは、求道の過程で地獄行きが怖くなるとか、身震いするような体験をすることが、「地獄一定」の身となるという認識の方が多かった。だから、スライドを観ても、「以前は怖かったのに、大人になったので平気だった」とか、「気持ち悪かった」とか「怖かった」などという感想を述べる人があった。しかし、「怖い」とか「怖くない」とか、「聞かねばならない」とか、聞法の発奮材料にするものでも、恐怖を植えつける手段でもないのた。

 あくまでも、地獄の闇がありのままに明かになるのは、仏様の光明のおかげ、仏智に照らされたからである。どこまでも仏様が恐れずに立ち向かってくださている私の闇の恐ろしさ、そして深さに出会うのである。しかもその内省は、身(行い)や口(言葉)に留まらず、意(こころ)の内省でなくてはならない。行いや口だけなら飾り誤魔化せずに、抑えることもできよう。だが表に出なくても、心の中で一瞬一瞬に起こる煩悩の火を誤魔化すこはできない。それが種子となって貯えられ、地獄の業相として現われてくるだけのことである。

「火の車 造る大工はなけれども
  おのが造りて
  おのが乗りゆく」

という厳然たる業の道理が横たわっている。そこにしっかり光を照らしてくださったのが阿弥陀様であり、凡夫の私が誤魔化さずに向き合っていけるのも、阿弥陀様のおかげにほかならない。なぜなら、そこに阿弥陀様のお命を捨ててくださっているからである。

 結局、地獄を聴くことは、自分と出会いことであり、阿弥陀様に出会うことなのだ。冒頭のご讃題では、四八願の第一願「無三悪趣の願」、第二願「不更悪趣の願」を頂いたのである。南無阿弥陀仏 

 

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『サマー・オブ・ソウル』~あるいは革命がテレビで放送されなかった時~

   いやこんな映像に出会えるなんてね、びっくり。

 『サマー・オブ・ソウル』~あるいは革命がテレビで放送されなかった時あるいは革命がテレビで放送されなかった時

は、1969年夏、30万人を動員した「ハーレム・カルチュラル・フェステバル」、暗殺されたキング牧師の一周忌を期して開催された黒人を中心にした音楽フェスだ。このフェステバルの最中、アプロ11号が人類初の月面着陸に成功したので、その映像も挿入されている。小さかったぼくは、夏休みの絵日記にアポロのことを書いた、そして父が興奮して深夜まで中継をみていたことだけは覚えている。

 しかもこの年の夏、同じ時、それほど離れていない場所で、あまりにも有名な『ウッドストック・フェスティバル』が開催されている。ラブ&ピースだ。一方は、未だに語り継がれる伝説のフェスとなるのに、こちらもなかなかのメンツが揃って、エネルギー全開なのに、すぐに忘れさらていく。この長尺の記録映像も、50年間以上もまったく表に現われることなくお蔵入りしていた。一重に、黒人の集まりだからののだろう。警備にあたるのも警察ではなく、プラックパンサー党の面々だ。アメリカでの人種差別(ここでは黒人対する)ものが、いかに根強いのかが、この一つでもわかる。

 それで、この映画も単なるコンサート映画ではなく、公民権運動からプラックパワー、さらには黒人のアィデンティティーに根ざした新しいブラックカルチャアの誕生を映像化しているというのである。
 
 がそれはそれとして、以下はまったくの個人の趣味世界。もし関心のある方が、読んだくださるとうれしいです。

 映像のトップバッターは、スティービー・ワンダー。かっこいい。しかもドラムソロも披露している。そしてBBキングと大御所が続く。さらにはクラゲィス・ナイト&ザ・ピップスやスライなどが続く。ポップなグループ、そしてマヘリア・ジャクソンなどのゴスペル音楽がが続き、ラテンやリズムセッションの音楽、そしてジャズの流れを汲む人達が締めていく流れで、編集されている。

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 ぼくの関心は後半部分になるほど強くなる。モンゴ・サンタマリアのラテンバンドの後で、レイ・バレットがコンガを叩いたり映像があってびっくり。今朝、聴いたアルバム(ブルーノートのルードナルドソン)に彼が参加していたのだ。さらにラスト近くにジャズドラマーのマックス・ローチが、かっこいいヒップな衣裳でドラムを叩き、同士であるアビー・リンカーンが登場する。いや、かっこいい。マックス・ローチが政治的な発信し、政治色の強いアルバムを連発するのは、アビー・リンカーンとの出会いからだ。そのことをマックス・ローチの息子が語る場面があって、えー、これがご子息ですかということでまた感激。そしてクライマックがニーナ・シモン(下の写真)。これがすごくかっこいい。アフリカの女王の登場。しかも3曲も収録されているが、最後は暴動でも煽るような詩を朗読する。圧倒的な迫力だ。

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 ということで、じっくり音楽を楽しむという映画ではないが、CDやLPの音でしか知らなかったアーチストの動く映像が観られてのが、時代の空気、ファションや文化でなどにも触れられて、満足した。

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