「サイコドラマと聞法の集い」
講義に続いて、翌日は実践である。
朝のチエックインに続いて、グループわけ。仏青のグループで一つ、後はアットランダムに二グループの3グループに分けた。一応、経験のある方が各グループに1~2名、役員さんに加わってもらったが、別にその方が司会をするというわけでもない。
それぞれが課題を語り、また取り上げるテーマを話し合う。決して、押しつけや決めつけないで進めない。このプロセスが大切だ。テーマを決めれば、細かな設定はあまり作らないでおくし、当たり前ことだがリハーサルなどもしない。といって、行き当たりばったりというのではない。また、まったくかけ離れた話をするのではない。ある程度、自分たちの課題や問題点を取り上げるからだ。しかし、それをそのまま演じるのでもない。その時、その場での、つまりは「今、ここで」の、私を大切にして動いていくのである。「こうせねばならない」とか「こうしたほうが面白い」と動くではない。アウトラインの設定はあっても、あくまでも自分の今の気持ちを出して、動くことが一番大切なのである。
あるグループの話し合いの場面を見学させていただいた。輪には加わらず、ドアの外に座る。皆さんが、自分のことをイキイキと発言されている。何かに向う目的が明確なので、皆さんの姿勢が違った。ただ、人間なので、やはりうまくやりたい、面白くやりたいという欲が動く。ドラマ、芝居と聞くと、あらすじがあって、シナリオがありセリフがある考えてしまうである。どうしても設定や登場人物を凝ってしまう。これは逆効果で、一人一人の動きが制約されてしまうのだ。
各グループのサイコ・ドラマが始まる。やはり面白かった。思わぬ生の声が聴こえてくる。驚くような反応がある。まったく気づけなかった相手の立場に気づく。うまく進行せずに落ち込んだ方もあったようだ。その一つ一つを一緒に味わっていく。一々に触れられないのが残念だったが、その後の座談会での声は作られたものではなく、生の声がでているように思えた。
短時間だったが、いいグループになったところもあれど、どこか消化不良、モヤモヤが残ったグループもあったようが、それもすべて含めて、今、ここの私のところで起きている事実である。そのことを存分に味わってもらい、分かち合ってもらいたかった。
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