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入門「真宗カウンセリング」講座

当初は、「念仏と黙想の集い」の計画だったが、緊急事態宣言下の中で車座で輪になって、大声で称名念仏することは避けたかった。

 それで、「壮年の集い」で要望があった「サイコ・ドラマ」が面白いのではないかと思った。ただそれだけ2日間では参加者が少ないだろう。ふと、真宗カウンセリングの入門的な講義をもつことを思いついた。と言っても単なる勉強形式の講義ではなく、自分自身の歩みに即した体験的な話をすることにした。

 初めての試みなのに、とてもワクワク感があった。始まってみないと分からないのに、なぜか不安感はなく楽しみでしかない。きっと今、一番話したいことだからだろう。
 ところか、急に、台風が進路を変えて、近畿に上陸するという。日本海を抜け温帯低気圧になるという予報が、外れたのだ。台風としては「弱い」のだが、今は警告を発する度合いが過度に増している。被害よりも、新幹線や交通機関が停まることを心配した。結局、台風の前に雨が少し強めに降った程度で、台風最接近中は、雨も降らず、風もなく、朝から交通機関も通常どおりで、皆さん、無事に出席することができて、よかった。

 ぼくとカウンセリングとの出会いは、それを体現された先達との出会いであった。同時に真宗念仏に出会い、歩む先達・得道の人との出会いでもある。具体的な人や言葉、場面を通しての思い出を、主に子供時代から青年期にかけて語らせていただいた。たった一言、たった一瞬の出会いでも、人生を決定づけるものに出会えたのことは、まったくもって幸せである。これか、少しでも皆さんの聞法や学びのヒントになればは願っている。
 
 予定では、初日の昼座が「講座」。夜座は、「こころの天気」を中心にした自己表現やワーク予定だった。しかしレジュメを作った段階で、昼座では収まらないことは分かった。自分の歩みだけで昼座を全部使うことになる。少しは「真宗カウンセリング」の理論面も話しておきたい。資料を探すうちに、本願寺のビハーラ研修会の講師として、「真宗カウンセリング」の講義と実習を受け持った時の資料に手が触れた。昔のことでほとんど忘れていたが、よくまとまっている。西光先生が作られて、それを3名で検討したものだ。新たに入力し直したが、その打ち直しの過程で、当時の出来事が甦ってくるのが不思議だった。またカウンセリングの基本の基本を確認するうちに、改めて、ぼくが人の話の何を、どのように聴いているのか。また自分の何に触れて、どう伝えているのか。そのことを再確認すると同時に、少しでも皆さんにお伝したかった。ぜひ、ご法を伝えたいと思う方には学んでいただきたい。また未信の方にとっても、自分の枠で聴くのではなく、自分のどこに触れていくのか。どのように語っていくのか。もうすでにその指針は示されているのだから、自分よがりの無駄な寄り道は勿体なさすぎる。もちろん、それを1度語ったからといって、すぐにすべて理解され、また身につくという代物ではないのは重々承知している。でも、参加された一人でも、二人でも、自らかの聞法の姿勢、伝道の姿勢を顧みて、悩みながらでも新たな一歩を踏み出してくださる機縁、もしくは刺激になればと願ってやまない。

 その意味では、ZOOMを含めると、支部長さん、役員さんの大半が、ご参加くださったことはほんとうに有り難かった。今後も、率直に、また遠慮なく発信を続けていきいたと思った。 

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