大阪支部法座~余韻が形になる~
連続して法座が続く。もう1泊京都に宿泊された方も複数あって、大半が3日間の法座をご一緒くださった方もある。皆さんの中でも、ずいぶんザワザワと動いているものが垣間見えた。頭で作ったものでないので取り扱い注意だか、それだけ動きだす可能性があって、面白い。ぼくの中でも余韻が響いていて、3日間が一つなりの法座のように感じられている。
今日は、「修行者(雪山童子)と羅刹(鬼)」をテーマにしたが、やはりこの2日間の気持ちを伝えずにはおれなかった。
結局、出会ったものが大きかったのだ。その教えを喜び、お伝えしようという「得道の人」に出会たのだ。そして、その方からお教えいただき、お聞かせに預かった。それは厳しい鬼の声だった時もあったが、如来の直説、真実の声だった。
それをいつ聴くのか。明日でも、明後日でも、いつかでもない。
いま、ここで聞く。それ以外に、真宗の聞はない。
その声は、羅刹でもいい、菩薩でもいい、そして仏様ならなおさらいい。声なき声が、誰の声なのかを問題ではない。身をなげて叫んでくださっている声ならば、その声に飛び込んでいくかしない。
座談でも、皆さんが随分と動いて有り難かった。
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