高山支部法座
山岳地帯を高速道路で走っていると「トンネル6カ所連続」という表示を目にする。ぼくはこのシルバー・ウイークは、法座ウィークで、連続して6日間の、さまざまな形態の法座が続いている。2日間の「真宗カウンセリング」と聞法の集い。そして大阪支部法座。1日あけて、2日間の高山法座、週末の奈良の寺院布教まで続く。
出張の宿泊法座は久しぶりだ。8月、9月上旬は、コロナの感染拡大で、 出張の宿泊法座はがZOOM法座に代わったので、緊急事態が発令中の京都から、同じく発令中の岐阜に移動も、新鮮だ。
初日は、平日だったので、高山支部の皆さんが中心。そこに地元出身の同人か加わる。彼は、京都での3日間の法座からなので、ぼくと同じく5日間の法縁だ。
活発だった高山も高齢化が進み、人数も少なくなった。諸行無常はさけられない。富山や北陸からの参加者ないと、顔ぶれも固定化されている。肉体的な衰えは仕方ないが、問題は精神的な衰えだ。講習会や研修会、カウンセリングの集いなどには関心のない方が多いのは寂しい。まだ老けるには早すぎる。これまでの法の相続の尊さを思うと、ご法のためにももう一頑張りも、二頑張りもしていただきたい顔ぶれであるが、どこかで留まっておられる勿体ない。
法話は、餓鬼道について、今度の誌上法話にでる「疫癘の章」(勅命の章)を改めていただいた。2日目には、富山からの参詣者があって、少し賑やかになった。法は握ると留まる。信未信に関わらず、法の循環こそが真宗の生命線だ。
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