ZOOM広島真宗カウンセリングWS
9月の広島での真宗カウンセリングワークショップ。その直前に広島にも緊急事態宣言か発令された。世話人の間では、感染対策を十分にとれば開催はできると考えていたが、参加者の中にはさまざまな事情があって欠席が増え、今回は中止と決めた。緊急の中止は西日本豪雨以来。、致し方ないとは思うが、たいへん残念だった。
代わりに、ZOOMでの開催に移行するので、案内文を急きょ作成した。この1年半、ZOOM法話や座談会にも慣れてきた。少人数での座談会の経験もあるが、2~3時間程度で、今回のように、朝、昼を通して7時間を2日間行うエンカウターグループは初めてだ。世話人を含めると10名も参加があり、初めての方もおられる。大半が1年に1度、ここでお会いする方々である。この長時間のZOOMグループはぼくにも初の試みで、うまくいくかどうか心配だった。ワークショップではなく「交流会」と名付けて、取りあえず1日だけの開催として、翌日の開催は、皆さんと相談の上で決めることにした。
緊張しながら早めにバソコンの前にスタンバイ。皆さんがうまくアクセスできるのかの心配もあったが、不慣れな方も揃われて、スタートできた。ただ一番難しいのは、場の雰囲気を肌で感じることができないことだ。画面の上と実際に車座に座るのでは、その味わいはまったく違う。おかしなことだが、自分の顔が見えるのがZOOMである。よほどのナルシストでなければ、これが苦手だという人が多い。でも実際は悪いことではない。自分が嫌であっても、この顔、この姿こそが、相手の目に映っている私そのものなのだ。だから自分が、どんな顔で、どんな姿勢で、相手の前に立ち、接し、聞いているのかを教えていただける、たいへん貴重な機会となっている。この経験は、実際の対面にも生かされるのではないかと思っている。
また、ZOOMのグループがうまくいくかという心配も、杞憂に終わった。ZOOMでも、内容の濃厚な集いとなった。午前中の2時間だけでも十分に堪能できた。すでに長年の関係性が構築されていること、そしてその信頼関係の中で、自分を開き、率直な自己表明がなされたこと。それを参加者が、受容的に、また共感的に関わったこと。ぼく自身の気づきのところでは、聞くことは、「受容的に聞かねばならない」「共感的に聞かねばならない」という不自由なことではないのだ。いま、目の前で自分を表明しようという方があれば、その方を尊重し、その場に身を任せて、お聞かせ頂くだけだ。その話しに身を任せていると、まったく不思議なことに、一瞬であっても相手の方の人生の一部を共に過ごさせてもらった喜び、そして暖かい、豊かな気持ちが満ち満ちてくる、不思議があるのだ。以前から課題にされていた、親しい方を亡くされたお話であったが、ほんとうに「よかったですね」と、言わずにおれない気持ちになり、それを率直に表明させてもらえた。そこには、これまで1年に1度だけであっても、何年かの間で築かれてきた関係が大きい。たとえ毎日顔を合せていても、うわべの付き合い、見せかけだけのつきあいでは得られない、深い出会いを経験させてもらったきたかもしれない。しかもその方の、飾らない、率直な態度は、外の方に伝播して、自分のところを開いた尊い話が続いたように思った。たまたまた昨年からこの1年間の間に、親しい方との別れを経験された方が多かったことも、影響があったのだろう。
おかげでZOOMでもそれなりのWSが行へ、ほんとうによかった。来年に向けて、定期的な継続WSも開くことが決定。楽しみである。
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