「瑞香抄」より
年に2度、1月と7月に同人会ニュースを発行しているが、先週、令和3年7月号を発行した。
巻頭は、古い華光誌から伊藤康善先生の誌上法話を掲載してきたが、それもとうとう一巡した。
ということで、今回から、40年前に「月報」という形で月刊のニュースレター形式を考えたのだが、肝心の華光誌が発行できず、2年持たずに取り止められた。そこに再掲載していた創刊2~5年のもっとも古い伊藤先生の随想(法話という一言集)を゛もう一度掲載することにした。
華光誌も創刊80年を迎えたが、月報発行から40年を過ぎ、当時を知る人もごく少数派となっている。
ところで、月報では、伊藤康善先生の法名にちなみ「瑞光抄」と名付けると悟朗先生が命名されたのだ。ところが、伊藤先生の一昨年、50回忌記念の聞法旅行で墓参したところ、墓石に刻まれていたのは「瑞光院」ではなく「瑞香院釋康善」だったことが判明したのだ。善知識の院号を間違えいたのである。いかにも華光らしいおおらかな話ではある。それならば、「瑞光抄」は拙い。それで「瑞香抄」と命名することにした。
すると光から香りとは有り難いなと思う。香光荘厳(こうこうしょうごん)ではないか。
「染香人のその身には 香気あるがごとくなり
これをすなはちなづけてぞ 香光荘厳とまうすなる」(大勢至和讃)
とある。その「染香人」に、親鸞聖人は「念仏は智慧なり」と左訓されている。阿弥陀仏よりたまわった智慧の香りと光によって、念仏者が飾られていくことを表しているのである。
さて、伊藤先生の文からは、どんな香りが伝わってくるのだろうか。どうぞ、これからの連載をお楽しみに。
「瑞香抄」(1)「閃光雑記」(第2巻1号・昭和18年)より抜粋
ある娘曰く、「何だか『同行巡礼記』に書いてある妙好人などは、薄のろで、お馬鹿さんのような気がする」と。華光道場の人々も、世間的には薄馬鹿であろう。
現に罪悪を犯しつつある人に限って、「罪悪の見方をどうすればよいか」と尋ねる。「どうすれば」の言葉を聞く度に、胸に針を刺される思いがする。沈黙を守れ! 何でもない一言で相手を殺している。日々の殺人罪八万四千なり。日々の生死もまたしかり。
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