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2021年7月の21件の記事

「瑞香抄」より

   年に2度、1月と7月に同人会ニュースを発行しているが、先週、令和3年7月号を発行した。

 巻頭は、古い華光誌から伊藤康善先生の誌上法話を掲載してきたが、それもとうとう一巡した。

 ということで、今回から、40年前に「月報」という形で月刊のニュースレター形式を考えたのだが、肝心の華光誌が発行できず、2年持たずに取り止められた。そこに再掲載していた創刊2~5年のもっとも古い伊藤先生の随想(法話という一言集)を゛もう一度掲載することにした。

 華光誌も創刊80年を迎えたが、月報発行から40年を過ぎ、当時を知る人もごく少数派となっている。

 ところで、月報では、伊藤康善先生の法名にちなみ「瑞光抄」と名付けると悟朗先生が命名されたのだ。ところが、伊藤先生の一昨年、50回忌記念の聞法旅行で墓参したところ、墓石に刻まれていたのは「瑞光院」ではなく「瑞香院釋康善」だったことが判明したのだ。善知識の院号を間違えいたのである。いかにも華光らしいおおらかな話ではある。それならば、「瑞光抄」は拙い。それで「瑞香抄」と命名することにした。

 すると光から香りとは有り難いなと思う。香光荘厳(こうこうしょうごん)ではないか。

「染香人のその身には 香気あるがごとくなり
 これをすなはちなづけてぞ 香光荘厳とまうすなる」(大勢至和讃)

とある。その「染香人」に、親鸞聖人は「念仏は智慧なり」と左訓されている。阿弥陀仏よりたまわった智慧の香りと光によって、念仏者が飾られていくことを表しているのである。

 さて、伊藤先生の文からは、どんな香りが伝わってくるのだろうか。どうぞ、これからの連載をお楽しみに。
 
 「瑞香抄」(1)「閃光雑記」(第2巻1号・昭和18年)より抜粋

ある娘曰く、「何だか『同行巡礼記』に書いてある妙好人などは、薄のろで、お馬鹿さんのような気がする」と。華光道場の人々も、世間的には薄馬鹿であろう。

現に罪悪を犯しつつある人に限って、「罪悪の見方をどうすればよいか」と尋ねる。「どうすれば」の言葉を聞く度に、胸に針を刺される思いがする。沈黙を守れ! 何でもない一言で相手を殺している。日々の殺人罪八万四千なり。日々の生死もまたしかり。

 

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『御伝鈔』下巻 第一段「師資遷謫」

 下巻の第一段「師資遷謫」と、」後に段名がつけられる。
この「師資遷謫」(ししせんちゃく)とは、「師資」は師匠と弟子(親鸞様)のことで、師匠の法然聖人と、弟子の親鸞聖人のこである。「遷」は「左遷」と熟語されるように、「追いやる」「遠方に追放すること」だ。「謫」は呉音「ちゃく」と読み、「責める」こと。「謫居」と熟語すると「罪によって流され、そこにいること」である。師匠法然聖人と共に弟子親鸞聖人、師弟共に流罪に処されたという意味で、つまりは、承元の法難の顛末、専修「念仏停止」のことである。。

 それを次ぎの三段(覚如上人の文と『化身土巻』の引用部分を分けなら、小さく五段となる)に分けて頂いた。

一、「浄土宗興行 ~ あだをむすぶ」
 法難の興り、僧俗の昏迷(『化身土巻』の引用)
 
二、「これによりて ~ みなこれを略す」
  法難の顛末((化身土巻』の引用)と、師弟の罪状

三、「皇帝 諱守成 ~ 在国したまひけり」
  流刑赦免と教化の始まり

 その大意は以下のとおりである。
一、浄土宗の興隆による聖道門の衰退は、法然聖人のせいだと、奈良や比叡山の僧侶が憤って、朝廷にその罪を罰するように訴えた(承元の法難)。
 そのことを親鸞聖人は『化身土巻』後条で、「聖道門の教えは廃れ、浄土真宗の教えは悟りを開く道として、今盛んである。ところか、諸寺の僧侶や学者も、正しい教えとよこしまな教えの区別がつかない。それで興福寺の学者が朝廷に訴えて、承元元年に念仏停止が決まる。天皇や臣下も、法に背き道理に外れ、怒りと怨みの心での不実の行いなのだ。

二、それで、法然聖人をはじめ、門下の数人について、罪の内容を問うことなく、不当にも死罪に処し、あるいは僧侶の身分を奪い、俗名を与えられ、遠く離れた地に流罪に処した。私もその一人だ。だからもはや僧侶でも俗人でもない。そんなわけで、禿の字をもって自らの姓とする。流罪は五年間にも及んだ」と。
 法然聖人は藤井元彦で、土佐国幡多。親鸞聖人は藤井善信で、越後国国府に流罪となる。

三、順徳天皇の時、建暦元年に罪を許された。その時「禿」と名告られたことに、天皇は大変感激された。罪が許されても、教化のためにしばらく越後に留まられた。

 『化身土巻』後序の引用は、第五段「選択付属」に続いて2ケ所目であるが、法然聖人のご往生の様子を除いて、親鸞聖人の事跡の記述がすべて引用されていることになる。その『化身土巻』後序の記述は、法然聖人の遺徳の讃嘆で、流罪の記述は、真実の教えを伝えたものが、不当な無実の罪を背負わされたことへの抗議の意味があるのだ。

 一方、『御伝鈔』は、親鸞聖人の伝記で、聖人を讃仰するためのもので、また親鸞聖人こそが、法然聖人の正統な後継者であることが明示されていくので、同じ文でも、意図か異なってくる。

 それにしても、東国での教化も流罪となったことがきっかけで浄土真実のみのりは、民衆へと大きく広がることになる。もし聖人の流罪がなければ、今日の浄土真宗は存在していなっかただろう。『御伝鈔』では、親鸞様の言葉として、それもすべて法然聖人のご恩徳のおかげであると、上巻第三段「六角夢想」で東国での教化の夢告と共に述べられている。このことは、改めて下巻第二段(次回)に触れることにする。

 また、『御伝鈔』では触れられていない、法難の興り(専修念仏弾圧)の経過と理由として、『七箇条起請文』(七箇条制誡)や貞慶上人の『興福寺奏状』(専修念仏批判)の要旨などから窺った。政治的な面はとにかくも、それだけ法然聖人の専修念仏の教えが、日本の仏教界を変革される革新性をもったものであることは、明白である。詳しくは通信CDをお聞きください。
 
 また時間の都合で、「愚禿の称号と名告り」は、次回8月で触れることにする。

 

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『御伝鈔』上巻まとめ

『御伝鈔』も前回で上巻が終わり、今回から下巻にはいるので、簡単に上巻のまとめと、下巻の大要をお話した。

『御伝鈔』を大きく窺うと、

 上巻は、親鸞聖人の自利の徳を嘆じる
     覚如上人は、聖人の三十五歳までの行状を自利の徳と御覧になった。

 下巻は、親鸞聖人の利他の徳を讃ずる
     流罪以降の東国での伝道活動を化他の徳とみられている。      
 
 加えて、『御伝鈔』は親鸞聖人の伝記であって、親鸞聖人こそが法然聖人の真意を継承する者であり、その浄土真宗の正しい教義を顕す目的をもって書かれている。その場合、
 上巻は、法の真実を顕し、
 下巻は、機の真実を顕している。                     

 その観点からみると、上巻第一段「出家学道」と、第二段「吉水入室」は、聖人が聖道門を捨て浄土門に帰入し、第三段「六角夢想」に至って、観音菩薩(聖徳太子)と勢至菩薩(法然聖人)の引導によって真宗を興行されたこと。そして、第五段「選択付属」で法然聖人より『選択集』を付属され、そして法然門下における第六段「信行両座」と第七段「信心諍論」の二つの諍論を通して、親鸞聖人こそが法然聖人の真の後継者であり、信心為本、他力廻向の真宗教義の核心を宣揚されるのである。その中心となるのは、第六段「信行両座」であろう。
(第四段「蓮位夢想」・第八段「入西観察(定禅夢想)」は、帰洛後の晩年の聖人の行状で、共に内部、外部から聖人が弥陀の化身であることを示される)
 
 これから窺う下巻は、以下の七段に分かれるが、利他の徳、機の真実を顕すとすると、その中心は、第三段「山伏済度」で山伏弁円の救済ということになる。
(1)師資遷謫 (2)稲田興法 (3)山伏済度 (4)箱根霊告 (5)熊野霊告 (6)洛陽遷化 (7)廟堂創立
 最後の(7)だけは、親鸞聖人ご一生ではなく、ご往生後の大谷祖堂の建立について。本願寺こそが親鸞聖人の正統の後継者であることを示そうとされたものである。

 

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映画『ライトハウス』

 京都シネマで『ライトハウス』 を観る。
 
 最近、話題作連発のA24製作のサスペンス。孤島の灯台に派遣されたベテランと新人の二人の灯台守。年齢も、性格も、経歴も違う二人が、4週間の間、外部と完全に遮断された閉ざされた空間の中でも、二人きりの閉ざされた関係で起こる出来事を、左右をカットした極端に小さな画面と、重厚て不気味な音楽を重ね、美しいモノクロ映像で二人の男の闇を映し出していく。結局、真実は……。男優二人のぶつかり合いもあって、なかなかの力作だった。

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東寺に卵?

 散歩。今日は、東寺まで歩くコース。境内をぐるっと大回りしても、往復で35分のコースだ。

 南大門からはいる、見慣れない光景が広がっていた。

 「なんだ、これ?」

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 卵型の風船が境内を埋めつくしている。

 なにかイベントがあるのだろうが、何かがあるのかは分からなかった。

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 今夜は、いよいよ東京オリンピックの開会式。哀れなぐらい、批判とケチがつきまくったセレモーニもないだろう。それでもいろいろツッコミながらなんとなく見るのだろう。

 

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祇園祭~後祭の山鉾

 京都シネマで『ライトハウス』を観終わて、四条烏丸の映画館をでると、祇園祭の「後祭」で一部の山鉾が建てられていた。戦後、17日の「先祭」と合同で行われていたのものを、本来の形(前祭・17日と、後祭・24日)に戻して、最近ではすっかり定着してきたが、やはりコロナの感染対策で、一部の山鉾だけが建てられて、巡行は中止となった。

 それにしても暑い。19日に梅雨明けしたかと思うと、いきなり37度越えが続いて、連続の猛暑日。慣れたとはいえ、マスクは堪えるな。

<曳山の南観音山↓>

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<同じく曳山の北観音山↓>
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<大船鉾・龍頭に金箔が張られ黄金の輝き↓>

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7月の月例会「パーソナリティ変化の必要にして十分な条件」(2)

 昨年から、メーリングリストとZOOMの活用が功を奏し、ご縁が広がっている。今回も新会員と、お試しの方の参加があり、会館に6名、ZOOM参加と合せると20名も参加があった。
 
 ロジャーズのもっとも有名な代表的な論文である「セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件」の2回目。
 心理療法における建設的で、意味の深い、前向きなパーソナリティ変化-人格変化が起こるためには、ある「関係」が必要であって、それが満たされているならば、それだけで十分であるという。その関係とはどういことなのかを、経験に基づいた科学的な仮説として提示されたものである。これはけっして聞き方の技術や方法ではなく、人と向き合うこと時の「態度」、姿勢を示されたもので2人の人が心理的な接触をもっていることあることだ。

  1. 2人の人が心理的な接触をもっていること。 
  2. 第1の人(クライエントと呼ぶことにする)は、不一致の状態にあり、傷つきやすく、不安な状態にあること。
  3. 第2の人セラピストと呼ぶことにするは、その関係のなかで一致しており、統合していること。 
  4. セラピストは、クライエントに対して無条件の肯定的配慮を経験していること。 
  5. セラピストは、クライエントの内的照合枠を共感的に理解しており、この経験をクライエントに伝えようと努めていること。 
  6. セラピストの共感的理解と無条件の肯定的配慮が、最低限クライエントに伝わっていること。 

 この六つの条件は、パーソナリティー変化のプロセスにとって基本的なもので、建設的なパーソナリティー変化が起こるためには、このような諸条件が存在し、しばらくの期間存在しつづけることが必要であるという。

 その六条件として示された中での第一条件の「関係」のところだ。

 「2人の人が心理的な接触をもっていること」。前提条件のようなものではあるが、この条件がなければ、以下の項目も意味を失ってしまうので、ある意味、当たり前だがもっとも重要な条件である。

 セラピストをカウンセラーと置き換えていいが、要は二人の人間関係において、その間に何らかの心理的接触、心の触れ合いがあることが重要である。この二人の出会い、心理的な接触というところに大きな意味を持つ。ここでは言語以前のノンバーバルな部分での出会いの意味も大きい。

 論文の記述とは離れるが、普段の生活においても、誰かを前にして向き合ったときの、自分の中に起こっている感覚を思い起こしてみればそれは分かるだろう。初めての方と向き合う時、安心して向き合って座れる時、または防衛的に向き合っている時などがある。そこにどんな言葉以前の感覚が起こっているのか。また相手がどんな態度で接してこられると、それはどう変わるのか。普段は意識して目を向けることはないが(実際は身で感じている)、このあたりを十分に意識して生きていくことで、これからの条件が身近になってくるのはないか。
 

 

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無我について(3)~南無阿弥陀仏は無我そのもの~

 それでは浄土真宗では、無我はどう理解されているのか。

 実は、親鸞聖人はほとんど「無我」という言葉を使われていないが、これが仏法の基本であるこには違いはなく、表現は少なくても、その意味内容には触れておられる。たとえば、『浄土和讃・諸経讃』では、

「無上上は真解脱   真解脱は如来なり
 真解脱にいたりてぞ  無愛・無疑とはあらはるる」

とあって、その「無愛無疑」に、「欲のこころなし、疑ふこころなしとなり」と左訓されている。

 「無上上というのは、究極の悟りであり、これが真の解脱―「まことにさとりを開くなり」―である。真解脱こそが如来さま。如来になりえてこそ、無愛無疑となりうる」である。無我とは真解脱―仏になることであり、つまり仏果を悟らないかぎり、我々は無我にはなれないというである。それどころか、我々はどこまでいっても、大我の真反対の「我痴」であり、「我見」であり、「我慢」であり、「我愛」そのものであり、迷いそのものである。その輪廻を繰り返す迷いの連鎖を、天親菩薩は「業風薪火のたとえ」で痛ましくお示しくださってる。

 結局は、この私は仏法でいうところの無我なることはできない。ところが、絶対に助かることのない、自分の力では仏になれないものに対して、自らが無我になりきってくださったのが南無阿弥陀仏様である。南無阿弥陀仏こそが無我そのものなのである。その南無阿弥陀仏に出会わない限り、絶対に私は救われることはない。そしてその南無阿弥陀仏に出会うとは、単なる自我というレベルではなく、自力執心の心こそが捨て果てせさられる、まさに無我としてまるまる帰入させれる世界が、真宗の核心なのである。南無阿弥陀仏

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壮年の集い~無我について(2)

(2)仮我
 以上の実我を否定する考え方で、無我へ導きいれるための仮の説明 心身が仮に和合して、因縁によって出来たものだ。自他を区別する便宜上、我と仮(かり)に名ずけたにすぎない。「如是我聞」の我。

 五蘊(ごうん)仮和合
※五蘊(物・心)が仮に和合-因縁によってできることをいう。我とは因縁生。
 五蘊=色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊
  蘊(うん)とは、集まり。すべての存在を物質と精神に五分類。

 色蘊=物質または肉体。あとの四つは精神作用。
 受蘊=感受作用。外からの感触を受けいれる感覚、単純な感情。  
想蘊=表象作用、受から進んで、それを心に思い浮かべてくる。 
行蘊=潜在的なもので、意志的な形成力。衝動的な欲求といった心の働き。
識蘊=認識作用で、意識そのもの。前の三つの心の動きをとりまとめる。

(1)物質・(2)感覚・(3)表象・(4)意志的形成力・(5)認識作用・物質と精神の集まりで、すべて生減変化するものの。五つが調和している時と、調和が崩れた時がある。この仮我をよく顕すのが、次ぎの有名な歌であり、これにすべてがこめられる。

 「引き寄せて 結べば柴の庵にて 解ればもとの 野原なりけり」

(3)真我。大我ともいう。本当の我。
 では、仏教でいう真の我とはなにか。
「涅槃寂静」の涅槃には、「常・楽・我・浄」の四つの徳。
「悟りは、永遠の生命そのものだから常、
 それが本当の楽-弥陀の浄土を極楽とか安楽-。
  我というのは、迷いの我が否定しつくされて無我となるとき、真の依り所となるべき自が完成するのが、我。
 そしてその悟りこそが、浄なのだ」
 仏教でいう無我とは、この真我に導き入れようとして説かれたものであって、世間一般の「我を忘れる」程度の無我とは大違いなのである。

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壮年の集い~無我について(1)

 「壮年の集い」か開催される。コロナのための定員を設けたか、定員一杯の参加がある。

 初日は「無我について」のご法話をする。法話集『後生の一大事』を新版にするときに、増補版として「無我について」を加えることにした。そのときに、つくったメモをもとにご法話した。詳しくは、法話集『後生の一大事』をご熟読ください。

 あわせて、華光誌の「聖教のこころ」で、

「総体、人にはおとるまじきと思ふ心あり。この心にて世間には物をしならふなり。仏法には無我にて候ふうへは、人にまけて信をとるべきなり。理をみて情を折るこそ、仏の御慈悲よと仰せられ候ふ。」(一六〇条)

という蓮如上人御一代記聞書をいただいたからだ。他にも、蓮如上人は、

「仏法には無我と仰せられ候ふ。われと思ふことはいささかあるまじきことなり。われはわろしとおもふ人なし。これ聖人(親鸞)の御罰(ごばつ)なりと、御詞(おんことば)候ふ。他力の御すすめにて候ふ。ゆめゆめわれといふことはあるまじく候ふ。無我といふこと、前住上人(実如)もたびたび仰せられ候ふ。」(八十条)

と仰る。仏法は無我が基本中の基本なのである。仏教の旗印である「三法印・四法印」は、
 「諸行無常 諸法無我
  一切皆苦 涅槃寂静」
 「すべてのものは無常であり、無我なのだが、われわれはすべては常住と思い込み、我に執着するから、一切は苦とならざるおえない。だからこの無常、無我、苦を正見して、迷いを転じて、涅槃を悟るならば、そこに寂静の境地が開ける」
というものである。

 また馴染みのあるところでは、龍樹菩薩は『十二礼』で「諸有無常無我等」と、うたっておられる。

 だた、無我ほど一般に誤解されているものもない。しばしば馴染みの仏教用語では興ることではある。それで、仏教における無我を次ぎの三点で説明する。

 第一、世間で使われる無我と、仏教で言われる無我とは、まったくケタ違いの内容であること。
 世間での、無我の境地とは、自分を折って、欲や怒りを我慢する程度の理解であったり、無我夢中のように、我を忘れて必死になって行う程度の理解である。しかし、それはまったく仏教の無我とは異なるものなのである。

 では、第二に仏教でいう無我とは、そもそもどういうことなのか。それを(1)実我、(2)仮我、(3)真我の3つで窺う。
(1)実我
 私が固執している「自分」という誤った考えが実我。この「実我は存在しない」
 仏教の無我説の対象となるこの実我は、凡夫が執着している「おれが」という自我。
「自分の心身を常(じょう)・一(いつ)・主宰(しゅさい)しようとする主体」
「常」=自分は死なぬものと思っている。つまり無常を否定していく。
「一」=自分はかけがえのないものと思いこんでいる。たった一つという執着。
「主宰」=宰相とか国王のように、どんなことも自由自在になるということ。
 永久・不変・自在の三つの根強い作用をもったものが、「我」
 「人執」と「法執」の形をとって表われる。

 

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祇園祭~前祭の山鉾~

 昨年に続き、今年も新型コロナの感染拡大で、祇園祭の山鉾巡行の中止が早々に決定していた。
 ただ昨年と少し違うのは、技術継承の意味もあって、一部の山鉾が建てられることになった。それでも、宵々山、宵山という形式は中止で、夜になっても駒形提灯も灯らず、屋台も出ずに、寂しい限りではある。当たり前と思っていことが、ここでも崩れきたことを感じさせられる。

 「静かに見守ってください」というお願いはあったが、一部でも山鉾が建てられたおかげで、少しは祇園祭の風情を楽しむことができたのは、よかった。
 さて、来年は、例年どおりの祇園祭になるだろうか。

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長刀鉾↑
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放下鉾↑
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月鉾↑
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鶏鉾↑
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函谷鉾↑
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霰天神山↑

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スコール?

 ここ数日、大気が不安定な日が続く。近畿地方は、連日、激しい雷雨に見舞われている。雨は一時だけで、しかも局地的、それでも降れば激しい。

 夕方、散歩に出かける。東寺まで歩いて、蓮を愛でた。

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  妄念のうちより申しいだしける念仏は、濁りに染まぬ蓮のごとくにて、決定往生疑いあるべからず  横川法語

 帰路、もう家まで5、6分のところで雷が鳴りだす。急ぎ足で進むも、大粒の雨が降りだし、突然、雨足が強くなってきた。激しい雷雨。怖くなって軒下で雨宿りするが、横からも雨が入っきて、ずぶ濡れになる。しばらく待っていたが止みそうもない。道路が川のようだ。すでにずぶ濡れなので雨の中を強行突破することにした。傘も役立たない。結局、帰宅して30分ほどで雨は止んだが、まるで南国のスコールのようだった。これも気象変動の一貫なのだろう。

 もうしばらくこの状態が続きそうで、梅雨明けは週明けにあるのだろうか。

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凡夫丸出しの姿

 法話や信仰座談会の法座も大切だが、休み時間のやりとり、懇親会での防衛が外れた姿などを通して知らない一面がかいま見れると、「なるほど」と、相手への理解が進むことも多いのだ。

 その意味でも、今回の家庭法座はことのほか、尊かった。
 
 休憩時間の支部長とAさんとの司会依頼をめぐってのやりとりでは、座談会に臨むAさんの姿勢、態度がよく分かった。司会役は自分を殺して相手に会わせることでも、我慢して話を聞くことでもなく、キャパ以上にそれを受け入れることもいらない。しかし、自由な態度で座談に臨み、たとえ失礼な発言になろうとも、自分を偽らずにいたいというAさんがおられるのだということが、よく分かった。そして、そこにAさんの居場所の一端があると感じておられる節もあった。なるほどね。そのやりとりを聞いているが、ダイナミックでよかったです。でも、せっかく華光の集いにご縁ができたのに、もう一歩のところは勿体ないですがね。

 そりより何よりも、福岡の家庭法座の目玉は、施主様が、率先して凡夫の姿を体現し、「これこそが阿弥陀様のお目当て。阿弥陀様に願われている凡夫の姿だぞ」と、身を挺してお示しくだところにある。しかもそれは、ぼくしか拝ませていただけないのであるから、なおさら有り難い。

 コロナ禍もお構いなし。懇親会を終えて、ご家族との二次会。戻ってきたのは、また21時過ぎで、普段なら夜座がまだ続いている時間で、すでにお互いが出来上がっていた。しかし、ここから三次会が始まり、本領を発揮されていくのだ。そこで尊く思うことが二つある。
 
 酔っぱらい愚痴を吐き出す、凡夫の姿のところまで、ぼくをお招きくださることが、安心して、信頼してくだる証であるということ。

 それでも、深い時間になって延々続く愚痴(たとえほんとうのとこあっても)に付き合ううちに、どんどんこちらの気分は滅入っくる。が、そのときに思った。真っ黒で、真っ暗闇の私の中に飛び込んでくださった阿弥陀様は、けっしてそんな煩悩に犯されることも、影響もうけることもなく、光輝やき続けておられるというのである。しかも、目の前で酔っぱらい、嫌になるのほどの愚痴一杯の姿こそが、そのまま救うぞとのお目当ての姿そのものなのだ。結局、どんなに飾り隠そうとも、一皮むけば、同じ姿なのである。隠しとおせると自惚れているのは自分だけで、すべてがお見通し。ケツの穴どころか、その中身まで知り尽くし、そこに飛び込んでくださっている。それでいて、その闇にの闇に染まることなく、清浄のままで呼び続けてくださるのだ。

 「わからん~」と嘆くあなた。きれいごとや安物のプライドはかなぐり捨てて、この身、このままで聞いてください!

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開催か、中止か

  明日から福岡で家庭法座だ。冬(1月)と夏(7月)の恒例行事でもあり、そこでしかお会いできない方もあり楽しみな法座だ。

 梅雨末期となって、西日本のあちらこちらで線上降水帯が発生して、大雨になっている。昨日は、山陽新幹線も、一時、ストップしたようだ。
 
 昼過ぎ、施主様からお電話。「早めに中止の判断をすべきかと思いますが」という相談。昨年の大分でも帰路が台風でたいへんだった。今回も、大分や熊本からの参加者もあり、h明日以降も九州は大雨が予想されていて、止めるのなら早めにということらしい。
 新幹線が停まれば行けなくなる。ただ遅延程度なら早めに出発すればいいし、帰路ならなんとかなる。新幹線が動くなら開催してもいいと思っていた。ただ京都は降るときは土砂降りだが、止め間も多くてうっすら晴れ間もあって、中止となる実感はなかった。それで、もう少し様子をみてもらうことにして、最終決定は、九州の状況をみて判断はおまかせることにした。

 コロナだろうが、地震だろうが、独自の情報をお持ちで動じない方からの申し出は、意外だった。それだけ状況が悪いということか。ニュースをみると、九州南部は特別警報級の大雨になる(実際、翌朝には発令された)との予報。電話の口ぶりから「中止やむなし」が伝わってきて、急に力が抜けてきた。一旦、緊張の糸が切れると、作業が手につかなくなる。中止の場合の段取り(ZOOM開催は出来るか)を考え出した。そうなると、無理をするより、中止がいいような気がするから不思議なものだ。

 夕方にもう1度電話。雨も弱くなったきたので、やはり予定どおり開催をするとのことだ。はい、それはそれでよかったです。が、もう一度気持ちをつく直して、教材の準備を始めることにした。

 翌朝、九州南部は特別警報が発令される。でもこちらは曇り空で、山陽新幹線も通常運転。雨は覚悟していてたが、西に向えば向うほど天気が回復していきて、山口あたりから晴れ間が広がって、拍子抜け。2日間、傘を開くことはなかった。おかげで、大分、熊本組も無事に参加、事務所の新人の方も初参加もあり、予定通り法座が開かれ、懇親会もせつことができた。

 当たり前のことではあるが、種々のご因縁が整わないと法座は開かれず、一座一座のご縁を大切にせねばということを、改めて感じさせられた。

 

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7月の仏書に親しむ会~如来の三身~

 参加者のリクエストで始まった『真宗安心一夕談』。前回、第1章が終わって、第2章に入る予定でいた。

 今回は、事務局の問題で、急遽、Zoom配信が取り止めになったが、本文にはいる前から質問が出された。有志が前日に集い、自主学習会を持つほど力を入れておられるのだ。その意気込みのは感服するばかり。予習より、復習が中心に、みんなで話し合ったが分からなかった疑問点を質問されたのである。

 その過程で、「そこは分かっています」といわれた如来の三身について、念のためにお答えしてもらった。すると、法身仏が法蔵菩薩、報身仏が阿弥陀如来、応身仏は釈迦如来との返答。「如来」の三身なのだがら、法蔵「菩薩」が出てくる点でおかしいのだが、誰もそのことに疑問がなかったというである。

 こうなると、このまま終わるわけにはいかない。本文からは脱線してしまうが、かなり基本的なところからおさえて、如来の三身についてお話をさせてもらった。語句の説明というよりご法話になって、ほぼ時間を終えてしまった。最後の感想では、けっこうポイントを押さえてくださっている方もあったが、三身の話が尊かったと喜んでおられる方もあった。でもそれも当たり前の話で、そのような法話をしたからである。できれば、もう一歩でてほしかった。この会の趣旨は、『仏書に親しむ会』なのであって、一方的な講義や法話を聞いてもらうためのものではない。そんな集いにしたくないのである。自主学習会を持つほど力を入れておられるのはすごいことなので、単に有り難かったとか、尊かったという感想で収めずに、ここをどう聞かれ、どう理解されたのかに目を向けてもらいたい。別に、知的な理解を尋ねているのではないが、せっかく伊藤先生の聖教量にあたっているのに、「有り難い」「尊い」という感情で終わるのでは、意味ない。結局、何が一番伝えたかったことかという読解力と、本質をつかんでもらいたいのだ。もしくはそんな姿勢で臨んでいただくことで、次へとつながりを聞いて頂きたいのだ。もちろん、それにはこの文章を読めるだけの知識も必要だから、その点はなかなか厳しい点もある。しかし、華光同人には、受け身でおわらないで、なお一層の力を付けてもらいたいのである。それにはこのテキストが相応しいかどうかはわからないが、皆さんの同意で始まったのだから、もう少し続けていくことにしよう。

 8月は夏休み。次回は9月4日(水)18時50分の予定。今回読めなかった「第十八願」から読みます。

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アップリンク京都~『名も無き日』~『いとみち』

 ぼくが見に行く映画の半数以上は、京都シネマで上映されているものだ。残り半分は、京都みなみ会館と、2つあるイオンシネマ そしてMOVIX京都で分けあい、たまに二条TOHOシネマズに行くこともある。ここまではみんな会員になっていて、割引と特典がある。小学校の隣に立つTジョイは徒歩でも行けるのだが、割引や会員制度がないので滅多にいかない。

 ほかに京都市内の映画館は2つのミニシアターがある。
 一つが「出町座」。名前のとおり出町柳にあるで遠くてご縁がない。
 もう一つが、新風館内の「アップリング京都」で、一番新しい映画館だ。京都シネマより地下鉄一駅分だけ遠いが、MOVIX京都よりは若干近く、自転車で行ける。やはり3スクリーンあって、上映数も多い。今でも年間200本以上見ているのに、この映画館を守備範囲に入れると、ますます訳がわからなってしまいうそうで、これまで避けてきたのだ。

 が、その禁を破る日がきた。イオンシネマで上映されていたのを見逃した『名も無き日』を観に行った。

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 リニュール前には利用していた新風館だが、ずいぶん久しぶり。映画館は、商業施設やホテル、そして地下鉄とも直結していた。駐輪場もあって、アクセスもいい。そして、座席がゆったりして映画が見やすいのがいい。ネット予約の段階で、座席の高低についても説明があるのは驚いた。小さなシアターだったが、隣とも離れ見下ろせる席を予約したが、とても見やすかった。同じミニシアターでも、京都みなみ会館せ新しくて、座席もすり鉢になっていて見やすいのだが、座席のサイズ、前後の間隔が狭くて窮屈。京都シネマは座席はゆったりしているが、後方以外はほぼフラット構造で、うまく座席を選ばないと、前席の方の頭で画面がとても見づらい。メーンシアターなので、どのスクリーンならどの座席を選べばいいかが分かっているので、見づらいというのは映画館としては致命的な欠点だと思っている。その点、ここは座りやすく、かつ見やすさかった。プログラムも、大手シネコンの2番目もあったが、なかなかいいプログラムを組んでいた。
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 『名も無き日』は、名古屋市熱田区を舞台に、永瀬正敏を主演に、弟、オダギリジョーの孤独死という不可解な現実に向き合い、また親友の死から停まったままの時間を送る今井美樹などが、予期せぬ別れ、死んでいくものの理解しがたい苦しみと、残されたものが抱える不条理などの現実に向き合っていくというもの。個々の背景が分かりづらく、すぐには共感しずらかったが、そこも含めて媚びない、骨太の映画の印象を受けた。生きていく中で、一人一人が抱えているさまざまなものは、まさに業であって深いということかなーと。

 ランチした後に、京都シネマでもう1本、青森を舞台にした青春映画『いとみち』。津軽三味線の名手を祖母に仕込まれた女子高生が、津軽のメイド喫茶でバイトしながら、自分を見つけていくという青春映画。津軽弁なので、彼女のセリフの半分くらいは分かりづらいのだか、そのことも十分折り込まれた造りになっていて、好感が持てた。

 

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誕生日

 7月4日、アメリカの独立記念日が連れ合いのうん十歳の誕生日だ。
一緒にお祝いをするようになって、7回目。まだ7回目なのか、もう7回目なのかという感じはする。

 カリフォルニアに住むK夫妻から、お祝いメールをいただく。やはり7月4日に絡んで覚えてくださっていたようだ。実家が果樹園という共通のルーツをもっておられて、聞法旅行の時には、北海道の実家に寄ってもらったこともある。

 法座で留守をしていたので、翌日、子供がケーキを造ってくれて、みんなでお祝いをした。

 おめでとう。

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広島支部大会(1日版)~叫び~

 例年は、年に1度の宿泊法座。昨年から、広島支部の宿泊法座は再開されず、今年も、朝、昼座の1日だけの法座となる。

前半は、「まったくわたしくなし」と「人に負けて信をとるべし」の法話。法話後の座談会では、「どうか聞かせてください」と一歩出て頭を垂れる人がおられた。尊い菩薩のお姿でもあり、同時に「信心ほしい」の餓鬼の姿でもある。

 午後は、修行者と羅刹、いろは歌のご法話。ZOOMも含めて、みんな一言、法話の感想を話してもらいだした時だった。ZOOM参加者の声だけが聴こえてきた。まだその人の話は終わっていなかった。が、それを遮るように、思わず叫んでいた。

 「それが南無阿弥陀仏や! 分からんのか、馬鹿やろう!」

 修行者と羅刹の法話で、生肉を食らい、生血をすする羅刹とは誰のことか。そこに身を投げ、血だらけの叫びである南無阿弥陀仏は誰のためなのか。それを自分のちいさな考えだけできれいごとで収めようとするのか。理屈に収まるのでも、自分の考えや思いを大切しても、絶対に聴こえてくる話ではない!

 常識的な言い訳や返答はいらない。この絶叫の響きこそ聞け。その声に撃たれろ。

 法座が俄然、動きだした。

 

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華光輪読法座~「人に負けて信をとるべし」

 前回読みのこした80-2号の誌上法話を読み切った。 続けて、80-3号の聖教のこころ「負けてたまるか!」を読む。

『蓮如上人御一代聞書』160条の一文を味わう文章だ。

「総体、人にはおとるまじきと思ふ心あり。この心にて世間には物をしならふなり。仏法には無我にて候ふうへは、人にまけて信をとるべきなり。理をみて情を折るこそ、仏の御慈悲よと仰せられ候ふ。」

 だいたい私は、すべてのことで他人には劣るまいという負けん気を出す。そのおかげて、世間事、生活においては、一生懸命に習い励み、向上してきたのである。ところが、聴聞ではそれが通用しない。なぜか。「仏法は無我にて候」、「オレが、オレが」の頑張りこそが、聞法の上では障りになるというのである。そして、蓮如上人いわれた。「人にまけて信をとるべき」なのだと。

 この「負けて信を取る」という一言が有り難い。注意していただきたいのは、「仏に負けて」ではなく「人に負けて」というところである。仏となると、抽象的で、簡単に「負けました」と口に出せるのだが、今、目の前の人となったらどうか。これが一番難しいのではないか。「私は正しい、負けてたまるか」の塊が、私だからだ。信仰座談会での指摘でもそうだ。たとえ正しい道理だと分かったとしても、相手の立場、その時の話し方や言葉遣いひとつで、気持ちは収まらず、素直には聞けないのではないか。ときには、言い訳したり、自分の考えに固執したり、それも「これが正直な思いで、それを歪めるのは間違っている」とまで、自分の考えを絶対視している。そうでなければ、もその場では「面従後言」-自らを謙り殊勝げに振るまい従うが、裏では反対のことを言いふらす-という人もいるのだから、どこまでも質が悪い。結局は、私は無我にもなれず、頑な心を折って頭を下げるのが一番嫌いでは、仏法が聞ける道理がない。

 ところが、「理をみて情を折るこそ、仏の御慈悲よと仰せられ候ふ。」と仰っている。道理を聞いて、感情をおるのは、仏様のお慈悲あればこそだというのである。そんな自分が一番可愛い、自分中心の私にむけて、まず己を捨てて無我となりきってくださり、頭を下げてくださったるのが南無阿弥陀仏様なのだ。

 仏法が聞ける道理がない私に、阿弥陀様のお慈悲がかかっているのである。

 

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華光誌(80-3号)発送

 早いもので、今年も半分過ぎた。
 華光誌(80-3号)を発送する。今回は折り込みもなく、さらに助っ人の助っ人もあって6名での作業となったので、短時間で終わった。ありがとうございました。

 ところで、最近の華光誌の記事の傾向が少し変わってきたのがお分かりでしょうか。

 これまで法座の感想集がほとんどだったのが、出来る限り、同人の随想、日ごろの味わいやその人が感じられる記事をお願いしています。なるべく人選も、幅広く、新しい人も含めて書いてもらっています。前号にも、今号にも、そんな記事が2、3本、含まれており、初投稿の方も混じっています。法座感想集は、どうしてもよく似た傾向になるので、信仰体験記ほどではなくても、短い随想などの投稿記事を、これからも増やしていきたいと思っています。

 皆様も、ぜひご協力を! またお声がかかったときには、よろしくお願いします。

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『けったいな町医者』『痛くない死に方』

 さて、長女と『AGANAI(あがない)~地下鉄サリン事件と私~』を見に行った時、連れ合いは、別の映画を見に行った。ぼくが勧めた『けったいな町医者』と、『痛くない死に方』だ。

 共に尼崎に実在する長尾和宏医者が関わっている映画で、『けったいな町医者』は、長尾医師を追いかけたドキュメンタリー。『痛くない死に方』は、彼の原作を基にした在宅医療を題材にし、柄本佑が主演したドラマ(長尾医師役は、奥田英二が演じている)。ぼくは、3月に京都シネマで見て連れ合いに勧めていたが、5月にみなみ会館でも上映されることになって、2週続けて見に行った。

 ぼくは、ドキャメンタリーの『けったいな町医者』の方が面白かったが、連れ合いは、『痛くない死に方』に涙したようだ。2本をみた方が在宅医療の現実への理解が深まるだろう。

 結局、医者が向き合うのは、病気ではなくて目の前の患者さん、いやその人であり、誰もが死ぬことを免れえない以上、死とも向き合わねばならない。しかし、病気を完治させるのが医者の役目であるというのが第一義なので、当然、町医者よりも、大病院や大学病院の、さらには高度な最先端医療おこなう医師のランクが上で、治療よりも看取りを行う在宅医者や町医者は、ランクが下だという偏見を、一般人はもとりより、医者自身がもっているというのである。上位にランクされているものほど、その優越感が強いのであろう。医療云々の前に、人としての生き方と同時に、死に方をどう向き合うかのは、それぞれの人間観にも深く根ざしている。

 その意味では、長尾医師のやっていることは、今の医療現場からみれば、非常識なことばかりである。住み慣れた時に散らかった部屋に、家族が普通に生活していく中で、点滴などの管につながれて溺死するのでなはく、脱水を恐れずに枯れるように死んでいく姿には、人間らしさ、その人らしさが表れて、自然で、温かい景色に見える。また救急車を呼ぶのでも、それがどういうことかを問われる(病院で死ぬことを意味する)、薬=医療ではない、などなど目からウロコのシーンが多かった。結局、医者に、覚悟と信念と、経験が裏打ちされているのである。それでも現代医療を否定するのではなく、その恩恵をうまく受けるために力をになろうというのだが、一方で、製薬会社から大学病院の教授に流れる研究費を指して、「医学部教授は、薬屋の手先、広告塔で、魂を売っていないといえる人がいるのか」と辛辣な批判も口にされる。
 この人、絶対に業界から嫌われ、きっと変人として無視されているだろうと思うと、俄然、親近感が湧いてきた。

 

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