« 『御伝鈔』(9)第八段~「定禅夢想」(2) | トップページ | リモート同窓会、いや同僧会か »

『御伝鈔』(9)第八段~善光寺との関連~

ところで、善光寺の阿弥陀如来について触れておいた。詳細は、『三帖和讃講讃』下巻・200頁を、御覧いただけばわかるので、今は簡単にのべる。

「牛に引かれて善光寺参り」で有名な善光寺(長野市)は、推古天皇十年(602年)創建と伝えられる。住職は、天台宗「大勧進」貫主と、浄土宗「大本願」の二寺で務められているが、この「勧進」「本願」の名からも、このお寺の性格が窺える。ご本尊は三国伝来の一光三尊(一つの舟型の光背に弥陀三尊の三立像)仏で、日本に伝来した最初の仏像といわれる。百済の聖明王から欽明天皇に献上されたが、排仏派の物部守屋によって、難波の堀江に廃棄(ほとけの名の由来の一つ)したものを、本田善光が発見し、背負って信濃の自宅に安置したのが善光寺の元(『善光寺讃』一部に)となっている。同時に、善光寺の聖は、生身の阿弥陀如来として仰がれ、東国の阿弥陀信仰の霊場としての崇拝されてきた。親鸞聖人、特にや一遍上人との関係がとても深い。
 親鸞様は善光寺の勧進聖だったという説もあるが、それは聖人の御影の持ち物からもわかるという。いずれにせよ、親鸞様が、仏教伝来に絡んで、善光寺の和讃を造られたり、越後から関東に移住される時にも立ち寄られたとか、当時から阿弥陀信仰の東国の中心地であったことから、何らかの関連性が推測されている。
 
 華光会の聞法旅行でも、親鸞聖人の旧跡として、善光寺に2度参詣しているが、境内には親鸞聖人の立派な立像が建っていた。

 最後に、親鸞聖人の主な御影は以下のとおり。テキスト25頁に写真付きで掲載されているので、ぜひご参照ください。

国宝「鏡御影」  専阿弥陀仏筆
(一説では、これがいまの「みぐしの御影」とも言われる。精密な尊顔のタッチは、日本の肖像画の中でも秀逸。一方で、明らかに身体の部分のタッチは異なる。それが『御伝鈔』の「みぐし」お顔の部分のみを写す)という記述と一致するのだが、仏絵師の名が異なっている)。
国宝「安城御影」 法眼朝円筆 親鸞聖人八十三歳
国宝「安城御影」(副本)蓮如上人の時代に模本。親鸞聖人二百回忌
重文「熊皮御影」 康楽寺浄賀筆(親鸞聖人伝絵の筆)追慕画

 

|

« 『御伝鈔』(9)第八段~「定禅夢想」(2) | トップページ | リモート同窓会、いや同僧会か »

聖典講座」カテゴリの記事