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『絵はがきの大日本帝国』

 もし、お声をかけていただくことがなかったら、聞かなかっただろう。「絵はがき? なんのこと」としか思えなかった。絵はがきといえば、観光名所、お寺、展覧会などのポストカード、海外の観光地から送ったり、お礼状に使う程度で、タイトルから、戦前の観光案内の意味しか想像できなかった。

 が、それは違った。当時は、まだテレビも、もちろんネットもない時代。新聞を中心に、ラジオや記録映画などのメディアはあったが、スピードと拡散力では、絵はがきが力をもっていたという。アメリカ人夫妻が日本の5万枚にのぼる絵はがきの蒐集し、その中から400点を限定し、またその中から数十点を展示(ホンモンではなく、拡大してプリントアウトされたもの)した企画。絵はがきを通して、日本の近現代史、日清戦争から大二次世界大戦までの事件や出来事やイベント、大日本帝国が領土拡大するプロセス、当時の世情をリアルに伝えるメディアとして、また有力なプロパガンダーとして、さらに出された文面からは、今日のSNS的な役割も担っていたことを教えられた。関東大震災の折には、大量に、またさまざまな種類の絵はがきが造られて、それが拡散されている。この分野の先行研究も進んでいることなど、まったくしらなかったテーマであった。

 と同時に、軍国、拡大路線の日本の広がりの歴史も、一直線ではなく、常に米英(特にアメリカ)を意識して、なんとか離れないでいようと、ドイツとの三国同盟には前のめりではなかったことなど、絵はがきの絵柄や種類でも分かるところかとても面白かった。他にも、満鉄の存在や、

  中でも、皇紀2600年を記念して、東京では、万博と、オリンピックを開催する予定でいたが、戦争の激化で中止になる。一足、絵はがきで、肌木では。他にも、札幌での冬季五輪も断念する。それが戦後、高度成長を背景に、1964~1972年の間に、東京五輪、大阪万博、そし札幌冬季五輪が開催されることになる。そして、コロナ禍の今も、東京五輪、さらには大阪万博、さらには札幌冬季五輪の誘致と、戦前も、戦後も、そして現在も、政治体制は変わっても、発想がまったく同じなのにはあきれてしまった。

 他にも近、現代史が好きには面白い話がたくさん合って、満足した。
 同タイトルの新書を買って、サインももらいました。

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