『AGANAI』~地下鉄サリン事件と私~
長女と京都シネマに出かける。娘と二人だけでの映画は、久しぶりだ。連れ合いは京都みなみ会館で、別の映画を見に行った。映画のあと、二人でまったりとスィーツを食べて帰ってきた。でも観た映画のテーマは重かった。
『AGANAI』(あがない)~地下鉄サリン事件と私~である。
地下鉄サリン事件が起こった時、ぼくは新婚旅行中のイタリアにいた。日本でたいへんなことが起こっているが、詳細が分からないまま、地下鉄のイタリア版のキヨスクに、麻原彰晃が表紙を飾る雑誌や新聞が、ズラッーと並ぶ異常さ。当然、長女は、まだ生まれる前だ。たまたま授業の課題で、映画「A」や関連の図書を読んでいたタイミングだったので、興味をもって映画館にいった。
さて、 地下鉄サリン事件は、14名が犠牲になり、6000人以上が負傷し、事件から25年以上が経過したいまも、後遺症で苦しむ人たちが多くおられる。加害者側も13名が死刑になるという、未曽有の大事件である。監督は、そのサリンが散布された車両に乗り合せたために被害者として数奇な人生を送らざる得なくなる。勤務先の電通を退職、また元オウム信者との結婚と離婚、被害者団体と問題、今も後遺症に苦しめられているという。
その監督が、事件の被害者であるオウム真理教の後継団体アレフとの広報部長である荒木浩氏と向き合う。この人、森達也監督の「A」でも中心になっていた人物だ。
向き合うといっても、面と向って事件や信仰を問うのではなく、時間をかけて関係を構築し、そして二人でお互いの故郷や学生時代の思い出の地を、電車で旅をするロードムービィであり、バディ(相棒)ムービィなのだ。長年の親友のように笑い、音楽を共有し、童心に戻って水切りをして遊び、その親密さの中から、彼のことばを引き出し、時には被害者の心情をぶつけるという手法だ。
両者には共通の点が多い。お互い同じ丹波出身(あいはらは兵庫県側、荒木は京都府側)で、また京都大学出身で1年違いで、同じ時間と空間を共有してきたのだ。しかも、京大の学園祭のイベントにきた麻原に、一方は野次を飛ばし、一方は講演を聞いてその不思議な容貌に引きこまれ出家をするというのだから、縁の不思議さを感じずにおれない。
故郷や実家以外にも、京大キャンパス、ユニクロでの買い物、鴨川や比叡山、そして幼少期を過ごした高槻(摂津峡をハイキングする)など、地域的には、ぼくの身近なところで語り合いがなされていたことも、親近感が生まれた。
そして、荒木の子供時代の精神的な体験談、たとえば欲しかった筆箱を手に入れたあとの色あせていく感覚や、弟が病で死にかけたときの衝撃などの話を詳細に語られるだ、けっして特殊ではない、普遍的な宗教情操の持ち主であることに共感を覚えた。
彼自身は、一連の凶悪なオウム事件とは直接の関係はなく、その経緯や真実を知る立場にはない。しかし、首謀者である麻原の教えをいまなお信じ、明確な総括や反省をおこなわないまま勧誘活動を続けて信者を獲得している以上、無関係とは言い難い。しかも、これまで被害者やその遺族とは、まったく向き合ったことも、その苦しみも想像したこともなかったことが、映画のプロセスで明らかになっていく。当然、彼からは謝罪の言葉は、最後までうまれることはなかった。
権威や力は目には見えない。たとえ二人か対等な形で向き合っているように見えても、二人のあいだには隔たりがある。加害者側の負い目、被害者側の攻撃性(傷つきからの)が、親密さの表情の合間に、態度や姿勢として表れてくるのを目撃できただけでも面白い映画。見終わった直後よりも、余韻が味わえた。A
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