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6月の華光誌輪読法座

 華光誌輪読法座は、3ケ月かけて、1冊の華光誌の「巻頭言」「聖教のこころ」をまず1回目で、「誌上法話」を前後2回に分けて、輪読することにしている。今回が3回目なので、誌上法話の後半を読み切る予定だった。

 「ピッタリすぎる阿弥陀様」は、仏凡一体、仏心、凡心一体が中心で、かなり解説が必要だったり、丁寧に輪読をしたりで、終わりまでいかずに積み残してしまった。最後も、読みとばすには勿体ないので、来月に続きを読むことにした。われながら、小難しいところが多くて、その点では反省する。それでも、「ピッタリすぎる阿弥陀様」のエピソードは、懐かしくも、有り難い。真実そのものの阿弥陀様の方が、濁悪邪見の私めがけて飛び込んでくださるのだが、あまりにもあまりにもピッタリすぎて、もし1ミリでズレていたらよく分かったのに、あまりにもビッタリ過ぎて疎かにしていたという青年のことを紹介している。そのシーンは、いまも忘れらないほど、有り難かった。みんな遠いところを探しているのだけどね。
 
 次回は、7月3日(土)昼1時30分~4時30分

 華光誌80-2号「ピッタリすぎる阿弥陀様」の第3回目で、12頁の「己の正体を聞く」から最後まで。続けて、80-3号の巻頭言も輪読する予定です。

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