永代経法要終わる~法の威力~
夜の法座の後、掃除や消毒が終わると、粛々と、皆さんが会館を後にされていく。
なんとも妙な感覚だ。
皆さんも名残惜しそうだが、仕方がない。外飲みをするにも、お店は夜8時で締まり、夕食時でもアルコール提供は一切ない。自宅やホテルにすごすごと帰っていくしかないのである。
華光の懇親会は、単なる交流や親睦のためだけでなはく、限られた時間内で発言できなかった人や「こと」を、個人的に聞かせていただいける、また触れ合うことができる、大切なご法の時間であるのだ。もちろん、法話や座談会そうあらねばならないのだが、なかなか自分自身の個人的なことを語ることは、今の分級座談会の場では限界がある。伊藤先生や悟朗先生が、アルコールが好きだったことが幸いしているのだが、凡夫として先生方とも触れ合える貴重な時間であることには変わりはない。
残念ながら昨年の3月の講習会を最後に、華光会館での懇親会は開いていない。今の状況が続けば今年一杯、それどころか来年もまだまだ難しいだろうが、今、法座が無事に開かれることが最優先で、会食や懇親会は避けていくかしない。
そして、コロナ禍で始まった「前期・後期」の2部制も、不思議な感覚である。2日間の法座が終わって、家族で夕食の時、「はご苦労さまでした。また明日からですね」という話になった。終わったのは終わったのだが、明日の午後から次が始まるのである。
もちろん4日間の法座だとは思っていても、ご講師もメンバーも新たになるので、また新たな法座が始まるのだ。顔ぶれが変わると雰囲気も変わってくる。今回ならば、前期の定員一杯で、活気もあったように思う。後期は少なめで、しかも座談会もずいぶん大人しい目であったようだ。これは、Zoomでの参加が増えても、会場の雰囲気には影響しないのである。後期のご講師には申し訳なかったが、これもまたご縁である。
ただ4日間、法にじっくりと触れさせていただけることは、たいへん勿体ないことだ。法のすばらしさは、こちらがそれを取り込もうとしても茫洋としてありえない。逆に、法の威力で、こちら側の厚着がどんどんと脱がされていくのだ。気がつくと「なんで、こんな厚着をしてたのかなー」と思うほど剥がされて、丸裸にさせられる。厚着をしている事すらきづいていないのだ。すると、面白いことに法が自然と躍動してくるのだ。小さなはからいで法の邪魔をしてきたたが分かるのだ。
さすがに法要も4度、法話も2度、そして信仰体験発表の司会もあって、たいへんではある。懇親会はなくても、夫婦での飲み会で補い(別に補わなくていいけど)た。その意味では、からだは疲れているのだが、心は軽やかになってくる。この感覚は、身を置いて、委ねてみなければて得られないものだ。
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