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法供養としての広島支部法座

 今月の広島支部法座は、先日亡くなられた同人の百カ日法要を兼ねた集いである。故人とまったくご縁がない方もお参いくださる法供養法座として営んでくださった。これまではご自宅での家庭法座だったが、その家も取り壊されて、今回は集会所での法供養法座となった。

 連続してお別れが続いている。ほぼ3年間で3度目(3人目)の法要を兼ねた法座となった。お世話くださるHさんにすれば、父を亡くし、弟を亡くし、そして祖母を亡くされている。参詣のお母さんからみれば、夫を亡くし、長男を亡くし、そして母を亡くされ、愛別離苦の涙が枯れることはない。

 故人は若い日から念仏の教えに接し、その後、在家の先生を招待されて家庭法座を持ちつづけてくださった。Hさんは幼き日より、多くの念仏の声に囲まれて育っておられる。だから念仏との出遇いというよりも、自然に回りに溢れた子守歌のように当たり前に念仏があったというのだ。その法の家が取り壊される前に、最後の家庭法座が開かれたときに、仏法に関するさまざまなグッズ類(法語の色紙や絵画、暖簾、仏像などなど)が所狭しと飾ってあったことも懐かしい。そこには、お念仏の声が響いていたのだ。その土台を造ってくださったおばあちゃんが亡くなった。ぼくが出会ったのは晩年だったが、温和な笑顔が印象的だった。その縁を土台に、不思議なさまざまな出会いを経て、華光との縁が結ばれ、今日までご家族、ご親戚の皆さんのご聴聞が繋がっているのである。

 そして今日のご縁にしても、HPからまったく初参加の方が、岡山よりご参加くださった。また先月に続き2度目という方もある。血縁や地縁がなくても、念仏の法りを聞きたいという念願をもって集ってくださった方と、また繋がっていったのだ。

 テーマも、真宗における「出会い」ということでお話を申し上げた。五十三仏のさとりの連鎖から、世自在王仏と法蔵菩薩さまとの出会い。そのご本願を説いてくださる時の、釈尊と阿難尊者との出会い。そしてその本願の心を七高僧がかみ砕いてお取次ぎくださるための「経巻相承・師業口伝」の出会いの数々、それが法然聖人と親鸞聖人との出会いにつながったおげで、お念仏の教えが、いま、私のところにまで届いてきている不思議を聞いていただいた。南無阿弥陀仏

 

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