四十八願のこころ(24)第45願・聞名見仏の願
◎「たとひわれ仏を得たらんに、他方国土の諸菩薩衆、わが名字を聞きて、みなことごとく普等三昧(ふとうざんまい)を逮得(たいとく)せん。この三昧に住して成仏に至るまで、つねに無量不可思議の一切の諸仏を見たてまつらん。もししからずは、正覚を取らじ。」(第四十五願・聞名見仏の願)
意訳「もし私、法蔵が仏になる時、他のお浄土の菩薩たちが、私の名前(南無阿弥陀仏)を聞いたならば、そのすべてのものたちがみな普等三昧といって、すべての仏様方を一時に普く、平等に観ずる境地に達して、その者たちが仏になるまでその三昧の境地にあって、常に数限りない仏様方を見たてまつることができるでしょう。もしそうでなければ、私(法蔵)は、決して仏にはなりません。」
四十八願も最後の一段となって、広く他の仏国土で自力修行中の菩薩たちに誓われた願が続きます。他の国の菩薩たちであっても、阿弥陀様のお名前(南無阿弥陀仏)を聞く、聞名によって、いかに大きなご利益を頂けるのかが誓われた願が続いています。
お浄土以外の国々の菩薩様方に誓われたのですから、凡夫の私にはピンときませんが、低下の泥凡夫の私から他の仏国で修行中の菩薩まで、すべてを救わずにおれないのが、阿弥陀様の願いということです。
第四十五願では、他の仏国土で修行中の菩薩方が、南無阿弥陀仏という阿弥陀様のお前を聞いたならば、普等三昧といって、全宇宙、過去・現在・未来の三世に渡るすべての仏様方を、普(あまね)く、そして等(ひとし)く、一時に見たてまつる。つまり、時空を超えて常に一瞬ですべての仏様方にお会いすることができる精神統一の境地に入らせてみせよう。そして、その菩薩様が、仏様になられるその時まで、全宇宙におられる無数の仏様方と常にお出会い続けさせてみせようと誓われておられます。他仏国の菩薩方への願いもここまで極まってくれば、もはや私たち凡夫の物差しではとうていはかりしれません。しかも、それを南無阿弥陀仏を聞くこと一つでかなえてみせようというのですから、はたまた凄いというしかありません。南無阿弥陀仏
| 固定リンク
「聖典講座」カテゴリの記事
- 『口伝鈔』第七条「凡夫往生章」(2023.01.29)
- 『口伝鈔』第五条「仏智護念章」(2022.11.13)
- 『口伝鈔』第四条(2022.10.16)
- 聖典講座『口伝鈔』(1)(2022.10.15)
- 『御伝鈔』下巻第七段(3)「~廟堂創立の経緯とその後~(2022.02.22)