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2021年4月の16件の記事

輪読法座~三世流転の業苦」を読む

巻頭言「三世流転の業苦」を読む。

 「人は皆、一人一人、誰にも代わってもらえなものを背負って生きている。この世で幸せになるために生きてきたはずが、実際は悩み苦しみを抱えて、しんどい日々を過ごしているのが現実ではないか。自らの意志で生きてきたつもりが、どこでどうなったのだろうか。
 (中略)
 この世に、私が生まれてきたのも偶然ではなく、その原因があった。今生は前生の結果であった。三世因果は必然。今生の責任を後生で取らねばならないように、前生の行いの結果が今生に現われてきているのだ。(略)人は自分で自分を作ってきたし、これからも作って行くのである。」

 いまの私は、目先の善し悪しだけで右往左往して、しかもその原因は自分に関わる他者に責任転嫁して、ますます煩悩を募らせて悪業を造っているのにすぎない。そんなものに、三世を貫く厳粛なる業の道理など知るよしもない。結局、迷いの身とは、自分の迷いの姿を知ることはできなず、迷い続けていくしかないのである。

 南無阿弥陀仏の真実は、無明の私の迷いに風穴を開けてくださる唯一の特効薬なのである。

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真宗カウンセリング研究会総会

 真宗カウンセリング研究会の総会は、リモート開催。事業報告や決算報告などを行う。参加者からも一言をいただいく。そのなかで、カウンセリングの原点である大切な言葉を聞かせていただいた。

「ここは真宗カウンセリング「研究会」であって、真宗カウンセリング「同好会」ではない」。

 さらにカウンセリング世界から真宗カウンセリング研究会に入られた方に、「真宗のことにも積極的に聞いてもらいたい。ここでの真宗とは宗派としての名称ではなく、また信仰の有無を問うているのではない。真宗カウンセリング研究会で学んでいるのだから、カウンセリングの人間観より、さらに深く人間をとらえようとするのなら避けて通ることはできない。」

 これらはロジャーズのカウンセリングそのもののに対する言葉でもある。

 カウンセリングは誤解されやすいが、受容や共感は、同情や賛同とは違うし、評価や単純な肯定とも異なる。よく使われる「温かさ」も同様で、決して甘やかすものでもない。ありのままに尊重される雰囲気や態度とは、自己自身と誤魔化さずに向き合わねばならない厳しさがある。和気あいあいとして雰囲気とは真逆に、丁々発止する緊迫した場面も避けられない。決して、人間関係を上手に渡っていく術ではなく、逆に上辺だけで世間を渡るお上手や、仮面を被った態度の虚偽性が、浮かびあがってくる恐ろしさがある。
 それは浄土真宗の対人的態度に通じるところでもある。
 
 真実を求める厳しさをもった集いでありたいものだ。

「真宗カウンセリングに関しても、西光義敞の提言から、一歩も出ていないのではないか。それどころか、後退と思われる論考まである」。 

 

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『御伝鈔』(7)~信不退の面々(3)~

 さらに信不退に座った人々の問題である。親鸞、法然両聖人以外では、以下の3名である。

「法印大和尚位聖覚」
 聖覚法印(1167~1235・69歳)。法印は僧侶の官位で「僧都」のこと。天台宗の僧。信西と呼ばれた藤原道憲の孫で、澄憲の子。比叡山東塔の竹林坊に住するが、京都の安居院(あぐい・堀川鞍馬口)に里坊があり、父が開いた安居院流の唱導(説教)師として、安居院法印とも呼ばれる。後に法然聖人の帰依する。法然聖人をして「聖覚法印、わが心を知れり」(法然上人行状絵図)とある。しかし何故か「七箇条制誡」にその名はなく、近年は、嘉禄の法難を先導するなど不可解な面も指摘されるが、いまだ研究中である。
 親鸞聖人より6歳年長で、聖人は法兄として尊敬され、著述の『唯信鈔』を、関東の門弟に盛んに拝読を勧められる同時に、自らも『唯信鈔文意』を著しておられる。

「釈信空上人法蓮」
 法蓮房称弁・信空上人(1146~1228・83歳)。法然門下の最長老。比叡山時代からの法然聖人の学友であり、最初に円頓戒を授かり、浄土宗を開かれた後も最初の門弟。「七箇条制誡」でも法然聖人に次に署名される。白河門徒の祖であるが、没後すぐに流れは途絶えている。

「沙弥法力」
 法力房蓮生・俗名は熊谷次郎直実(?~1208年)。源頼朝に使えた関東(熊谷)の御家人で、源平合戦での功績は有名。『平家物語』では一の谷の合戦で、平敦盛の首をとり、そのことを縁として仏門に入る。「熊谷の逆さ馬」は有名な逸話だ。また美作誕生院の開基でもある。

 すべて高名な門弟であるが、その後の流れが途絶えていたり、一匹狼の人達が名を連ねている。一方で、他の方の記載はまったくない。

 つまり、法然門下のあまたの門弟の中でも、法然聖人の真意をまことに得た人は数は少なく、親鸞聖人こそが真の後継者だということを強調する結果となる人々が選ばれていると見ていいのだ。

 その背景には、覚如上人当時の対外的な関係(対浄土真宗異流、対浄土宗各派)の中で、本願寺の親鸞聖人の流れ(三代伝授の血脈(法然-親鸞-如信))こそが、唯一の正統であることを証明しようという、勢力争いの意図もあるだろう。
 がしかし、単なる政治的背景だけでなく、真の法脈を護るという深い意味が込められていることを、今回の講座では充分に味わえたことがて大きな収穫であった。真実が伝えるということは、難中之難なのである。味わいは、また述べていきたい。南無阿弥陀仏

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『御伝鈔』(7)~第六段「信行両座」(2)~

 さて、この段には不可解な点が多い。

 まず、「信不退・行不退」のエピソードは、『御伝鈔』のみに唯一残された伝承で、浄土宗側(詳細な法然聖人の伝記にも)まったく記載されていない点である。
 内容的にみても、当時の法然門下で「信・行」の選択を迫ることがあったとは考えにくい。また一方に偏執することは、聖人の真意であろうか。
 さらに信の座に座った人々の顔ぶれにも、恣意的な点がある。などである。

 そこで、覚如上人に厳しい中沢見明氏は、「史実ではない」と否定され、同調されるむきもある。しかし今日では、覚如上人の完全な創作というよりも、何らかの伝承、類似の出来事があったのではないかと考えられている。残念ながら確証を得る史料はない。赤松俊秀博士は、『親鸞』の中で「一念・多念の論争を反映していると解してよい」と指摘されている。親鸞聖人の入門のころから、一念義、多念義の争いがおこり、ますます激しくなっていることはよく知らされており、その文脈の中で、「親鸞は一念義」と分類されることが多いのだ。しかし、親鸞聖人の『一念多念文意』では、

「一念をひがごととおもふまじき事」(677)
「多念をひがごととおもふまじき事」(686)

と、以下、一念・多念に偏執することを誡める文を著しておられるのである。むしろ、一念に偏執し相続の念仏を否定したり、逆に、多念に固執して、一念を否定するような極論を誡めておられるのが、聖人の立場である。

 同時に、「信」と「行」に関しても、信のみで行を完全に否定されることはありえない。親鸞聖人の『御消息』の中で

「信の一念・行の一念ふたつなれども、信をはなれたる行もなし、行の一念を離されたる信の一念もなし」(749)

と仰るように、行と信は不離なのである。

「本願を信じ(信)念仏を申さば(行)仏になる(証)」
             (『歎異抄』十二章839)
「真実の信心には必ず名号を具す」
          (『信巻』245・この名号は称名)

と述べられているように、他力信心(信)をたまわれば「南無阿弥陀仏」と称名念仏(行)を申さずにはおれないのである。

 つまり、本願成就文には、

「聞其名号・信心歓喜・乃至一念・至心回向・願生彼国・
 即得往生・住不退転」

とあることからも、ここでいわれる「信の座(信不退)、行の座(行不退)」とは、

 信不退=阿弥陀仏のご本願を信じる一念の時に、浄土往生か決定する、という立場。
 行不退=お念仏の行を励みつづけ、その功徳をによって浄土往生が決定する、という立場。

という意味で解するのが妥当ではないだろうか。

(つづく) 

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『御伝鈔』(7)~第六段「信行両座」(1)~

 今月の『御伝鈔』は上巻の第六段「信行両座」(しんぎょうりょうざ)である。絵図では第八図にあたるが、親鸞聖人の吉水(法然門下)時代に起こった「三大諍論」の一つである。

 その大意は、親鸞聖人の提案により、法然様の門弟に「信不退・行不退」の二座を選ばせたのだが、多くの門弟が戸惑う。そんな中で、聖覚法印、信空房、法力房(熊谷直実)そして親鸞聖人、最後に法然聖人の五名のみが「信不退」の座に着して、他の門弟たちは後悔の念を現わすというものである。

 多数の門弟の中で、法然聖人の真意を得たものは稀で、親鸞聖人こそが正統な後継者であることが示されていくのだ。これが史実かどうかの真偽は別として、法然門下での出来を示す第五章「選択付属」を受け、第七章「信心一異」へと繋がる一段だ。共通するのは法然聖人の正統な後継者が親鸞様であることを示す点にある。まさに覚如上人の強い意図が示される。

 さて大きく四段(一と二を加えて三段でもいいかもしれないが)に分科することができる。

一、法然教団の繁栄-法然聖人の教えを聞くため、宮中の貴族から庶民に至る多くの人々が集った。
  「おおよそ源空聖人~門前、市をなす」
  
二、その実情-三百八十余人の門弟の中でも、法然聖人の真意を得たのものは5、6名だった。
  「常随昵懇の緇徒~五六輩だにもたらず」

三、親鸞様の提案-そこで親鸞聖人は、門弟の真実信心の有無を沙汰する場を提案し、法然聖人も許可される。
  「善信聖人、ある時~仰せられ出すべしと」

四、信行両座-翌日、親鸞聖人は、皆に「信の座・行の座」の選択を迫るが、皆は戸惑うばかり。聖覚法印、信空房、遅参した熊谷直実、そして親鸞聖人、最後に法然聖人が  信の座に着かれ、一同は、複雑な気持ちとなる。
 [しかるに翌日集会~色をふくめり」

(つづく) 

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法供養としての広島支部法座

 今月の広島支部法座は、先日亡くなられた同人の百カ日法要を兼ねた集いである。故人とまったくご縁がない方もお参いくださる法供養法座として営んでくださった。これまではご自宅での家庭法座だったが、その家も取り壊されて、今回は集会所での法供養法座となった。

 連続してお別れが続いている。ほぼ3年間で3度目(3人目)の法要を兼ねた法座となった。お世話くださるHさんにすれば、父を亡くし、弟を亡くし、そして祖母を亡くされている。参詣のお母さんからみれば、夫を亡くし、長男を亡くし、そして母を亡くされ、愛別離苦の涙が枯れることはない。

 故人は若い日から念仏の教えに接し、その後、在家の先生を招待されて家庭法座を持ちつづけてくださった。Hさんは幼き日より、多くの念仏の声に囲まれて育っておられる。だから念仏との出遇いというよりも、自然に回りに溢れた子守歌のように当たり前に念仏があったというのだ。その法の家が取り壊される前に、最後の家庭法座が開かれたときに、仏法に関するさまざまなグッズ類(法語の色紙や絵画、暖簾、仏像などなど)が所狭しと飾ってあったことも懐かしい。そこには、お念仏の声が響いていたのだ。その土台を造ってくださったおばあちゃんが亡くなった。ぼくが出会ったのは晩年だったが、温和な笑顔が印象的だった。その縁を土台に、不思議なさまざまな出会いを経て、華光との縁が結ばれ、今日までご家族、ご親戚の皆さんのご聴聞が繋がっているのである。

 そして今日のご縁にしても、HPからまったく初参加の方が、岡山よりご参加くださった。また先月に続き2度目という方もある。血縁や地縁がなくても、念仏の法りを聞きたいという念願をもって集ってくださった方と、また繋がっていったのだ。

 テーマも、真宗における「出会い」ということでお話を申し上げた。五十三仏のさとりの連鎖から、世自在王仏と法蔵菩薩さまとの出会い。そのご本願を説いてくださる時の、釈尊と阿難尊者との出会い。そしてその本願の心を七高僧がかみ砕いてお取次ぎくださるための「経巻相承・師業口伝」の出会いの数々、それが法然聖人と親鸞聖人との出会いにつながったおげで、お念仏の教えが、いま、私のところにまで届いてきている不思議を聞いていただいた。南無阿弥陀仏

 

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碧南市での東海支部法座

   今月の東海支部法座は初会場、家庭法座として会所を提供してくださる。愛知県碧南市。一度だけ聞法旅行で、清澤満之師の西方寺をお訪ねたことがあるが、これまでご縁がなかった地域だ。東海道線のトラブルで、各停でJR刈谷駅まで行き、名鉄線の碧南行きに乗り換えた。耳慣れない街の名前が続く。どの街にも変わらぬ人の営みがあり、よく似た風景が続くのだが、なぜか新鮮な気分になる。碧南市、高浜市、半田市、東海市、刈谷市などの近隣の街からの参詣者に、三重や岐阜からもお参りされていた方もあった。車での参詣者向けに「華光会」の大きな文字が掲げられていたのには、感銘を受けた。

 会所のご家族や親戚、縁者がお参りくださるのが、家庭法座のよいところだ。半日の法座でも、家人は準備のために落ち着かなかっただろう。ましてやこのコロナ禍で、消毒や換気などの仕事も増えている。効率や便利さを考えると駅周辺の公共施設の方が、便利だ。マイクに、机やイス、そしてホワイトポードと設備も整っている。第一、お世話も外なら楽だ。(もっとも今回は、広々とし前庭に、裏庭、坪庭まであるお宅で、法座会場としても申し分ない広さがあり、黒板や演壇の用意まであった。何よりも一段高い専用の仏間に仏壇も立派だった)。
 
 しかし、そんな利便性だけでは味わえないものが、家庭法座にはある。その家それぞれの仏壇を中心に、手を合わす方が住んでおられるのである。その会場を提供くださる方の思い入れの分だけ、法座は輝くといってもいい。

 ただ法座が開くには、さまざまな条件が重ならねばならない。会場を提供し、法を説く方が来られ、その法を聴くものが集って、初めて法座が開かれるのだ。特に家庭法座に皆さんが集まられるには、そこに徳がなければ人は集まってこられない。決して仁徳をいうのではない。そこには必ずお釈迦様のお命が捨ててあったのだということを教えていただいた。娑婆往来八千遍、芥子粒ほどの隙間もなくこの娑婆には釈尊のお命を捨てられた。その場所に法の華が咲き、念仏の声が響くのである。遠く宿縁の不思議を慶べである。南無阿弥陀仏

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新月断食も2年目突入

 1年前の4月。あの不安感、切迫感と、そして過剰な自粛圧力。結局、緊急事態宣言がでて社会活動か停まっていた。

 憂うつ気分にならないように新たに3つのことを開始した。。

 まずは、勤行を浄土三部経の繰り読みにして、和讃は、『三帖和讃講讃』から6首づつ華光節であげ、続けて「現代語訳」も合せて頂くことにした。これも四順目に入っている。

 二つ目は、インタバール走法での散歩。ただダラダラ歩くのではなく、全力での3分、普通に3分、そして全力で3分…と繰り返し、30分は歩くというもの。最初の自粛中は、かなりいろいろなところを歩いていたが、今は、決まったコースでしっかり30分は歩くようにしてる。

 三つ目が新月断食だ。こちらも一年間(十二回)続いて、二順目に入った。不思議なことに、毎回違う感覚を味わう。それほど苦でないときもあれば、かなり空腹な時ある。それでも我慢できないほどではない。ただ朝起きたときは、普段の寝起きの感覚と変わらないのをいつも不思議に思う。特別、空腹というわけではない。ならば、もう1日続けようかと思っても、やはり食欲には負けてしまう。どこかで48時間断食には挑戦してみたいとは思っている。昼食を続けて抜けばいいのだか、これがなかなか難しい。

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4月の日曜礼拝

 日曜礼拝の法話は豊岡市のNさんが担当。

 仏の子供大会からつなるがる仏縁をお話くださった。最初の仏の子供大会での勤行の荘厳な雰囲気、海水浴での水死者との衝撃、その夜の『往生要集』スライドの衝撃。そして最後のご法話での、「どうか仏の子供になってください」と頭を下げたられた先生の涙…。

 その仏の子供大会にぼくも出席していた。それは、ぼくにとっても大きな転機となる大会だった。海水浴の目の前で「土左衛門」を見た衝撃と、その夜の地獄のスライド。法話の材料の定番だが、同じ体験を別の方から聞かせていただくのは、新鮮だった。

 信仰座談会は司会役が揃っていたので、Zoomの皆さんと分かち合い。参加者の中に「火葬場から参加しています。収骨を待っています」とのコメント。どこでも聴聞できる時代だが、火葬場でこのご法話を聞かれていたとは、驚いた。またアメリカからの参加者もある。しかも仏の子供大会出身者がおられて、その点でも大いに盛り上がった。特に、今春、入学されたばかり大学生の参加がうれしかった。仏の子供大会や日曜礼拝からのご縁で、班長も経験され、高校生で日礼などのお手伝もしてくれていた。大学受験のため1年間はお休みされていたが、また4月から参加されることになった。感染拡大中の大阪からなのでZoomでの参加。それでも彼女、率直な質問が逆に新鮮で、仏の子供ならぬ、仏のじじい、ばばあーを勇気づけるのでした。南無阿弥陀仏 

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3階→2階→1階

 大分での九州支部法座がコロナ感染拡大などの影響か参加者不足で中止となった。法座はなかったが、会議や飲み会が重なった1日。

 まず3階で、町内会の会合がある。各班(組長)は順番制だが三役は選挙。5年に1度は覚悟していたが、やはりお役が回ってきた。まん防の適応は月曜日からなので、予定通り会館で会議を開く。町内会(自治会)活動は今厳しい。高齢化と無関心が広がり、未加入者に、組長(班長)や選挙名簿には掲載しないでほしいという方が急増。強制ではない親睦の集いだが、一面で京都市政協力も担っている。市民新聞の配布や保健や防災、防犯の役職も兼ねるのは公共の部分。町内会組織を使ったやりかたは、限界がきているのは明白。昨年からはコロナ禍で各種行事は中止。今年も、5月の稲荷際(伏見稲荷大社の祭り)、8月の地蔵盆も壬生寺からのお参りのみ。リクレーション(バス旅行)も中止。10月の運動会も中止と、役員の仕事は半減されているので、その点は助かる。来年は時代祭の担当があり、結構な協力金の支払いもあったが、コロナで中止になている。さてどうなるのか。

 町内役員会が終了後、すぐに2階の教室での拡大運営委員会。こちらはZoom開催である。本来ならば、春の永代経法要に会議を開くのだが、2部制となってはそれも難しい。遠近各地の皆さんと、このようにZoomで話し合えるのはたいへん有り難い。コロナ禍の1年をどうにか乗り切った。新人のリアルな参加はなかったが、今年に入って新しいご縁が増えている。厳しい状況で課題や制約も多いが、法座が開ける限りは頑張りたい。

 1階に降りてきたら、連れ合いも滋賀県から戻って来て、会食が始まるところ。一昨年のしんらん交流会での劇団公演をご縁が広がって、大谷派の職員方とご一緒にお東の寺院を回ってきた。8時30分になってもう外食ができない。それで滋賀県の名物(さば寿司など)をテイクアウトして飲むことになり、ぼくもお相伴に預かった。七本槍の美味しい日本酒、御馳走さま。話には聞いたことがある「サラダパン」も初めて食した。ぼくの中ではこれもありだ。何よりも日頃、接することない情報を聞かせてもらい楽しかった。
 
 3階→2階→1階と巡礼した1日でした。 

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『善き知識を求めて』あとがき

 前回で一応読み終えて今回は読後感を分かち合う予定でいた。その前に、あとがきである「校了をおえて」を読むことにした。ところがこのあとがきが濃厚な内容で、結局、この一文を読むだけで時間がすぎてしまった。最後に、無仏の世に、少しでも真実を弘通せんとする伊藤康善先生の想いが、深くしみてきて胸があつくなった。いや痛かったのかもしれない。

「私はかって関東大震災の直後、上野の森から数里四方の焼け野原となった大東京の光景を眺めて、凄惨な感じに溜め息すら出なかった。そうして今、私は、都にも野にも、この陰惨な心の焼け野原を見るのである。ほとんどの人の胸には一木一草の緑の匂いもない。如来はすでに死にたまい、正法は隠没(いんもつ)した。人々は自我に狂い、快楽に酔って、無仏の荒野に迷っている。仏教史を開いて、その昔、恒河(ガンジス河)の水を仏者の血をもって紅にしたインド仏教の滅亡に泣いた私は、今、足下から列なるこの焼け野原を眺めて、恐怖と戦慄を覚える。

 まことに頓教滅尽のしるしには、生死の大海、果てしなき現状である。我々の同朋はいつまで、この正法に背く心意であろう。--願わくばこの小著が、焼け野原に立つ私の周囲に、冷泉の涌き出づる勝縁勝境を恵まれるようにと、諸仏を念じつつ、この物語を終わる。

 本書を入手された方は、なるべく青年学生達にこの書を貸してあげてもらいたい」 

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
 

 

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年忌法要

 恒例のF家の年忌法要。

 F家の皆様ほど、ご縁の不思議を感じさせられる方はおられない。こ息子にしてもお母様との関係でも、そうだ。まず身近に住んでおられる。それが仏縁となった。もとは仏法とは何の縁もなく文化教室の生徒さんだったのが、日曜学校や子供大会へとつなかり、仏青へとつながり、そしてお父様とのお葬式を引き受けることになってお母様へと仏法のご縁が広かっていった。文化教室の生徒さんは何千人もおられた。檀家参りさせていただくお宅もある。それでもこんな形で、同人としてつながった方は、彼一人で、そこから家族の方につながったものこのお家だけである。会館のお手伝いでも親子共々でご尽力くださっているのである。

 年に1度の法要も大切にしてくださっている。何も特別なことはないが、参列者と一緒に、ゆっくり丁寧に正信偈をお勤めし、なるべく平易なご法話を聞いていただく。後は、雑談を交えながらも、仏法のことや、または困ったことかあればそれをお聞かせていただくのである。ありがとうこざいました。南無阿弥陀仏

 

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法話会+東京支部Zoom法座~師業口伝~

 講習会の余韻がまだ残っている。「真宗安心一夕談」は小冊子だが、2日間の講義では終われない濃厚な内容だ。今日は東京支部法座(Zoom法座)が主なので講習会に出席した人ばかりではない。それで『讃仏偈』をテーマにしたが、講習会の味わいにも触れたかった。

 真宗は「経巻相承・師業口伝」が生命である。

 七高僧ではないが菩提流支三蔵様との出会いによって、永く仙経を焼き捨てられた曇鸞様は、そのご指南により天親菩薩の『浄土論』と出会い、その注釈書である『往生論註』を註釈される。その曇鸞様の玄中寺にあった曇鸞様の功績を讃える碑文に心震わせて道綽様が、浄土の教えの後を継がれ,後に善導様と直接、膝を交えてご指導をされるのである。善導様は、道綽様から、『大無量寿経』を通してこそ『観無量寿経』の真意が明らかになることを学ばれ、ついに『観経四帖疏』を顕される。その後、その『散善義』の一文「一心専念弥陀号~」に出会われたが、その法然様と直に触れ合い出会ったことで、親鸞様は「雑行を捨て本願に帰す」身となられるのである。

 つまり「経巻相承・師業口伝」で連続無窮の尽きない出会いが、真宗念仏の道であったのだか、その中でも道綽様から善導様、そして法然様から親鸞様へと、直接、人格に触れたご指南と出会いの時に、浄土真宗の教えは飛躍的な発展を遂げているのだ。その出会いの時、善導様も親鸞様も、まだ20代の青年たったことも、興味深い。

 そしてその出会いの根源を遡るならば、真実の教である『大無量寿経』の世自在王仏と法蔵菩薩様との出会いから始まるのだ。
 
 それは、まず目覚めの連鎖である五十三仏の出現が続き、その最後に現われた世自在王仏のご説法に出会い、心が震え、国王であった法蔵様が、国を棄て、王位を捐て、妻子や財宝までも絶て去って、法蔵比丘(お坊様)となって、師仏(世自在王仏)の如く最高の仏となり、生きとし生けるものの「生死勤苦の本」を抜いてみたいという利他のお心から出発されるのである。

 感動のあまりそのあつい思いを歌われたのが『讃仏偈』である。それは、師匠仏の三業(身・口・意)に渡っての讃仰に始まり、自らもその師仏の如き仏になりたいというあつい志願の表明であり、同時に、菩薩の総願である「四弘誓願」が述べられ、四十八願の原型といってもいい、三摂の願(摂法身、摂浄土、摂衆生の願=四十八願もこの三つに分類され収めることができる)が語られていく。そしてその願いが真実であることを諸仏方に証明を請い、最後に、自らの不退転の決意を述べられるのである。

 ここから、世自在王仏様と法蔵菩薩様とのやりとりが始まり、選択摂取、四十八願、重誓偈へとつながっていくのである。

 それは、すべて世自在王仏と法蔵菩薩のお出会いがその根源にあるのだ。

 そしてその本願が説かれる『大無量寿経』が、この人間界に説かれるきっかけは、釈尊にただならぬ雰囲気に驚かれた阿難尊者の一言から始まる。それは、常従弟子である阿難尊者と釈尊の真の出会いから生まれたといってもいいのである。

 そして、今、ここの私にまでこの真宗念仏のお法りが届いてきたのてある。それはすべて連続線上にある真実の出会いの連鎖の賜物といっていいのだ。南無阿弥陀仏

 

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四十八願のこころ(24)第45願・聞名見仏の願

◎「たとひわれ仏を得たらんに、他方国土の諸菩薩衆、わが名字を聞きて、みなことごとく普等三昧(ふとうざんまい)を逮得(たいとく)せん。この三昧に住して成仏に至るまで、つねに無量不可思議の一切の諸仏を見たてまつらん。もししからずは、正覚を取らじ。」(第四十五願・聞名見仏の願)

 意訳「もし私、法蔵が仏になる時、他のお浄土の菩薩たちが、私の名前(南無阿弥陀仏)を聞いたならば、そのすべてのものたちがみな普等三昧といって、すべての仏様方を一時に普く、平等に観ずる境地に達して、その者たちが仏になるまでその三昧の境地にあって、常に数限りない仏様方を見たてまつることができるでしょう。もしそうでなければ、私(法蔵)は、決して仏にはなりません。」

   四十八願も最後の一段となって、広く他の仏国土で自力修行中の菩薩たちに誓われた願が続きます。他の国の菩薩たちであっても、阿弥陀様のお名前(南無阿弥陀仏)を聞く、聞名によって、いかに大きなご利益を頂けるのかが誓われた願が続いています。
 お浄土以外の国々の菩薩様方に誓われたのですから、凡夫の私にはピンときませんが、低下の泥凡夫の私から他の仏国で修行中の菩薩まで、すべてを救わずにおれないのが、阿弥陀様の願いということです。
 第四十五願では、他の仏国土で修行中の菩薩方が、南無阿弥陀仏という阿弥陀様のお前を聞いたならば、普等三昧といって、全宇宙、過去・現在・未来の三世に渡るすべての仏様方を、普(あまね)く、そして等(ひとし)く、一時に見たてまつる。つまり、時空を超えて常に一瞬ですべての仏様方にお会いすることができる精神統一の境地に入らせてみせよう。そして、その菩薩様が、仏様になられるその時まで、全宇宙におられる無数の仏様方と常にお出会い続けさせてみせようと誓われておられます。他仏国の菩薩方への願いもここまで極まってくれば、もはや私たち凡夫の物差しではとうていはかりしれません。しかも、それを南無阿弥陀仏を聞くこと一つでかなえてみせようというのですから、はたまた凄いというしかありません。南無阿弥陀仏

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華光誌発送

 華光誌80-2号を発送する。 

 封筒のデザインも一新した。表紙に引き続き京都支部のOさんにお願いした。有難う!

 巻頭言はK先生。なかなか快諾をいただけなかったが、久しぶりに玉稿をいただけた。5月の永代経法要(前期)にもご出講をお願いしたが、こちらも楽しみである。

 新規の信仰体験記も々超能力の話題など異色の内容。同時に、古い華光の雰囲気と、懐かしい名前が満載されている。

 これまでは行事の感想集が多かったが、短いものでも随想や日常の法味を投稿頂いた。特に、ご夫婦でのやりとりはなかなか面白かった。

 5月の永代経の案内も同封されている。今回も、前期(5月1日~2日)、後期(3日~4日)の二部制(定員制)となっているので、おはやめお申し込みください。

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入学式

長女の入学式。

 これまでの紆余曲折を思うと、感無量。 

 保護者はオンラインのみだか、深草学舎までの送迎をする。在学中も卒業後も、研究会の月例会で、毎月1度、共同研究室でお世話になり続けていたのだが、昨年はコロナ禍で校舎が閉鎖されたことなどで、会場を移動。その間に、またまた見慣れない洒落た建物が出来ていてびっくりした。ちなみに名称は「成就館」とは有り難い名。

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 好天、桜もきれいだ。正門前で記念撮影をする。警備員が出るほど新入生で溢れている。今日だけで2学部ずつに分かれての三部制で開かれるが二部目。人数制限があっても、1000人単位の学生の入れ替えがあるのだ。
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 帰宅して、茶間のネット中継をみる。第一部も少し観たのが式典は内容は同じ。ゼミの先輩が導師し、学長のあいさつも同じ(当たり前)。今日だけで3回、明日も3回。ご苦労さまという感じである。式典、50分ほどで終了した。

 オリエンテーションなども済ませて、夕方にもう一度迎えに行く。写真撮影している新入生はみな笑顔で、声も弾んでいる。校内は入れなかったが、新鮮な空気は、実際にその場に立たなければ味わえないものだ。確かに、式典の様子は、何台ものカメラが設置され、カメラワーク、字幕ともに、よく構成されたものであった。しかし、所詮、茶の間でのテレビ鑑賞にすぎない。たとえ校門前で、少し学生に様子を窺うだけでも、フレシュな雰囲気に溢れていた。初夏のような陽気も肌で感じる。いくらオンラインで中継されても、現地に立たねば触れられないものがたくさんあるのだ。

 昨年はコロナ禍で、入学式どころか、対面の受業すらなかなか開かれなかった。今年も、オンライン授業や合宿の中止、イベントの自粛など、制限は多い。それでもマスク越しでも実際に学生生活が送れることは、幸いである。当たり前だと思っていたことが、改めて新鮮に感じられた。

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