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法供養法座~その一歩を踏み出されるか~

 昨年の8月支部法座の前夜、高山支部のFさんがご往生された。90歳になるまで、華光会館での三大行事にはかかさずビデオ撮影してくださり、また編集、ダビングまで、すべてを引き受けて、費用まで負担してくださっていた。

 10月の支部法座前夜には、ご家族が集まって法供養としての法座をもってくださった。

 今度は、Fさんの奥様が1月にご往生されたのである。
 ほんとうに夫婦付随だった。いつもお二人で行事に参加された。晩年は、高齢のご主人が、足の不自由な奥様の手を引いて、高山から高速バスを利用してご参詣くださっていたのである。そして、分級座談会では必ず3階の講師室に参加されていた。父が生きているときからの決め事であった。父が亡きあとも、ぼくの分級になっても、いつもご夫婦で定位置にお座りになってご聴聞されていたのである。

 半年もたたないうちに、また法供養法座を営んでくださることになった。
 ご法を相続されている娘さんが、残された家族(旦那さん、息子さんたち、そのお嫁さん、またご姉妹)にも、もう一歩、踏み込んで聞法してもらいたいという願いからである。

 十分に、仏縁のある方々だ。お念仏を称え、大きな声でお正信偈もあげてくださる。法事ということには、むしろ積極的に座ってくださる。まだお若いのに、お寺でも聴聞され、基本的な教えに関心をもっておられる。

 が、ここで終わってはもったいない。後生に一大事があること。この私が信心獲得の身とならせていただくこと。当たり前のことが、この点に絞ってお取り次ぎをさせていただいた。黒白二鼠の説話を取り上げて、落ちていかねばならない一大事の解決のために、もう一歩を出て聞いていただきたい。それが亡くなられた老夫婦の願いでもあったのだ。

 法話のあとは、全員から一言ずつ声をいただけた。「自分の信心や後生の問題のために聴聞してはこなかった」という率直な声もいただいた。道を隔てただけで、目の前には明日は法座が持たれる会場がある。ほんとうに目と鼻の先であるが、この一歩を踏み出されるのか。まさに二河白道である。南無阿弥陀仏

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