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満中陰法要

 2月のお葬式から満中陰(四十九日)の法要を迎えた。

 仏教での中陰の意味、何故、七日、七日毎にお勤めし、四十九日や百ケ日を勤めるのか。年忌は何のためにあるのか。さらに、一般仏教の立場から浄土真宗の立場でそれをお話さていただいた。
 「極悪、極善に中有なし」。極悪の者は、頭下足上で真っ逆様に落ちて行き、極善の者は、即浄土往生するのである。つまり浄土真宗では、死後の追善は語らない。故人の法要を縁として、縁ある者が聴聞させていただく場なのだ。もちろん、亡くなった方のご縁、関係でこの聞法の場が持たれている。矢印の向きが亡くなった方から、この場に坐る私自身に向きが変わってこそ、ほんとうの聞法になるのである。どこまでも自分の後生の問題として聞かせていただくのである。

 法要の後は、施主のご夫妻に、連れ合いも交えて4名での会食。プライベートのような感じがしたが、一層、近づけたという意味では、これはこれで楽しかった。

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