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日高支部法座~龍華の御代は遠けれど~

 日高法座では、『われらの求道時代』から、「龍華の御代は遠けれど』を紹介した。

 日高(当時は江原)の、二人の老婆が登場する。一人は、この会所の女主人の御母堂である。もう一人も、今、集うの方の善知識にあたる方だ。聞き手は伊藤先生で、助っ人で増井先生が加わらっておられる。

 この対談は、今から65年前のことである。そしてそこで語られるのは、この地に真実信心の根を植えられた先代の鎌田顕昭師との出会いから始まるのだが、この地の寺院に鎌田師が入られて真実が伝えられるようになったのだ。この対談から遡ること35年前のこと。つまり、100年も前もこの地に根ざした仏法が広がっていったのである。それは伊藤善先生が、奈良の野口村、野口道場で堀尾よし同行に出会い、およし同行に育てられた念仏者の仲間の導かれて信心獲得の身となられた時と、ほぼ同時期にあたるのだ。日高の地でも鎌田師の薫陶の元に、無碍の念仏者が輩出し念仏運動が盛んであったのだ。しかし、あまりに加熱する念仏の声に村は二分され、さまざまな圧力や迫害によって、鎌田師はこの地を離れざるおえなくなり、そして旅から旅の行脚の僧として、若くして旅先でご往生なされるのである。

 その三十三回忌法要を営むにあたり、信心のある僧侶を探して求めておられた時、隣町の豊岡で布教中であった増井悟朗師との出会いがあるのだ。悟朗先生がまだ30歳前の学生時代のことである。

 「この方には信がある!」

先代の薫陶を受けられた方々は、若い僧侶のお説教を聞くなり、そう叫ばれたと言う。早速、日高の地にお招きして、1週間も滞在してのご砲法座が続いたのである。この若い僧の教導によって、この地に再び、念仏の炎が燃えあがるのだ。鎌田先生の導きを受けた親世代が中心となって、20代、30代の青年たちが信心を喜ぶ身となって、激しい念仏運動が起こってくるのである。

 なによりも、鎌田師とのそれぞれの出会いが尊く、そしてその念仏が未だに、相続されいることの不思議を感じにはおれない。もうそこから第4世代に入っているのだ。南無阿弥陀仏

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