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黒白二鼠(こくびゃくにそ)

 久しぶりに日曜礼拝の法話を担当する。本来は、ミニ子供大会の日程だったのだ。

ある旅人が無人の荒野を旅している時、一匹の飢えた虎に遭遇する。恐ろしさに、逃げまどう男は、たまたま1本の木の下にあった古い井戸につるを辿って逃げることができた。一安心したのも束の間、その井戸の底には、大きな大蛇が口を開けてまっていた。上に飢えた虎、下には口を開けた大蛇。絶体絶命の中で、男の顔に、甘い香りのする蜂蜜が落ちてくる。それはこれでまので人生で味わったこといないほどの美味であった。夢中になった男は、今の状況を忘れている。ところが、男が捕まっているつる(綱)は、昼間は白い鼠が、夜にと白い鼠が、カリカリとかじているのだ。最初は驚いた男であったが、しかし、甘い蜜を求めて、日夜奔走することに忙しくて、我が身が、絶体絶命の危機にあることをすっかり忘れているのである。

 子供の時に、日曜学校で聞いて以来、一番心に残っている仏教説話だ。いろいろな先生の口から何度も聞かせていただいたこともあるだろう。でも、それよりも初めて聞いた時の印象が強いのだ。理屈ではなく、率直に「あ、これはぼくの姿だ」と思い、そして「こわーい」と思った。落ちていかねばならない。

 それは年齢を重ねていく中でも同じである。ところが、年をとればとるほど鈍感になっていく自分がいる。面の皮が厚くなったのか。しかし、人生の楽しみである蜂蜜を追い求めていることには変わりはない。むしろ、ますます恐ろしい状況を忘れて(もしくは忘れるために)、人生の蜂蜜を求めつづけているのである。ほんとうの意味では、今の方が恐ろしい説話だ。

 しかし、この話は、決して単なる「人生の実相」を示す説話では留まらない。子供の時、怖くなったぼくは、先生に尋ねた。どうしたら、この悪夢から抜け出せるのかと。その答えは、驚天のものであった。

「いますぐ、握っている綱を離して、落ちていけ!」

「えー、落ちたくないために聞いているのに! 困る~ー」。まさに予想外の謎の答えだった。

その答えを求めて、ずっと聴聞していたのかもしれない。そして、今では、

「そうだ。手を離し、落ちていくかないのだ!!」

と解釈でも、正解でもなく、ほんとうに理屈を抜きにしてそう言える身にならせていただいた。ただこのことが有り難い。
 まあ、握っていても、握ったまんま落ちていくだけですが。南無阿弥陀仏

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