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同人の一周忌法要

 京都の同人の一周忌法要が営まれた。

 ご主人、お子さん、そして姉妹と、仏縁もあったご親戚が揃われる中で、その中心におられたご本人が不在なのが、何か妙である。ほんとうは入院中で、ふっと顔を出されるような気がすると話すと、皆さんも同じような頷いておられる。しかし、実際は、丸1年の年月が過ぎ去っている。ご主人は、「早いようで、また長いような、とにかく夢・幻のような1年だった」と言われた。社会も、新型コロナに振り回れた1年だったが、故人は、結局、コロナに怯えることなくご往生されている。

 彼女の誕生日は、上皇さまと同じ12月23日だった。平成時代の天皇誕生日には、お誕生日を兼ねた家庭法座を開催し続けてくださった。そしてご命日は2月22日。聖徳太子のご往生の日である。

 聖徳太子は、憲法十七条の第二条で「篤く三宝を敬う。三宝とは、仏・法・僧である」という有名な言葉を残された。時代や国、宗派が異なっても、仏・法・僧の三宝に帰依する(三帰依)ことこそが、共通の仏教徒が仏教徒である所以である。

 その仏法僧の「法」(のり)を名前に頂いておられる。まさに、仏法を大切に、仏法を聞く子になれよという両親の願いどおりに、仏法を喜ぶ身となられたのである。まさに仏法の子としてのご一生だった。と同時に、愚痴の女人でもあった。余計な一言で、いろいろ人ともトラブルを起し、そのたびに落ち込んだり、怒ったり、傷ついたりと、とにかく煩悩生活に忙しいご一生だった。やはり、憲法十七条にある「共に凡夫のみ」を体現されている。そして、聖徳太子の一番有名なお言葉である「世間虚仮、唯仏是真」を身をもって味わい続けられたご一生ではなかったか。
 
 そんなことをご法話で伝えさせていただいた。会食時には、3名の方から法話感想や質問をいただいた。すぐに仏縁につながることは難しいだろうが、聞き放しでは終わらずに、一口でも話が出来たのがうれしかった。願わくば、お子さん、ご姉妹にも再び仏縁がつながればと想いながら、お念仏と一緒にお別れした。

「忿(こころのいかり)を絶ち瞋(おもてのいかり)を棄てて、人の違(たが)ふを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執(と)ることあり。かれ是(よ)んずればすなはちわれは非(あし)んず、われ是(よ)みずればすなはちかれは非んず、われかならず聖(ひじり)なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず、ともにこれ凡夫(ただびと)ならくのみ。是く非しきの理、たれかよく定むべき。あひともに賢く愚かなること、鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし」(『憲法十七条』第十条)

 

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