葬儀
急な葬儀の依頼が来た。だいたい急なのだが、まったく予想外からのお話である。
つくづく不思議なご因縁を思う。まだ華光とのご縁は浅いが、ご夫婦、お子さまともに同人で、いまや会館の行事に欠かせない存在になっておられる。
もともとは他県にお住まいであったのが、故郷にお戻りにならずに、華光会館のある京都に引っ越してこられたのだ。しかも、いつもお盆参りするお家の近くで、その方の家の前を往復していたのである。ということで昨年のお盆参りには新宅訪問を兼ねて、お参りさせていただいた。その時、初めてお母様もお会いさせていただいた。ご高齢でも、お元気でしっかりされていた。そのおりに、何かがあれば葬儀をお願いできるのかという話もあって、行事や法座と重ならないことをお願いしてお引受けしていたのである。
それがまた半年前のこと。その後、具合が悪いというも聞かず、ご夫婦も直前まで法座にお参りされていたのだから、ほんとうに急に息を引き取られたのだという。
コロナ禍ということもあり、ほんとう意味での家族葬となった。その意味ではよく存じあげている方のみで気楽ではあるが、やはり慣れない緊張感はある。
聖典講座の前後に、法名を準備し、臨終勤行(枕経)、通夜勤行と続いた。昨年も2月に京都支部の同人のお葬儀があってこのところ続いているので、けっこう慣れて来ていると思うのだか、葬儀の勤行の練習、中でも七条の着付けは、毎度、連れ合いと練習しておかねばらかった。毎回毎回、「次回はもう大丈夫だね」といいつつ、半年、一年と間が開くとすっかり忘れている不甲斐なさだ。
しかしこれはこれでいいような気もする。あまり慣れてしまっては、何か本業かが分からなくなってしまう。それでは意味がない。ただお引きうけした以上、出来る限り精一杯勤めさせていただいた。臨終勤行(枕経)、通夜勤行。出棺勤行に、葬場勤行、お山での火屋勤行、還骨勤行の後、初七日の法要と、何度も、一同で心を合わせて勤行させていただいた。また何度かご法話も聞いていただくことにもなった。故人を縁としていただいた法縁の場であることは変わりはない。
しばらくはご法縁が続くことになる。ご夫婦ともゆっくりお話する機会も増える。よろしくお願いいたします。
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