『御伝鈔』(6)第五段~法然聖人の讃文~
完成した法然聖人の真影に、法然様自ら「南無阿弥陀仏」と以下の善導さまの『往生礼讃』(行巻引用)の文を、書き入れてくださったのである。
「若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚 彼仏今現在成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生」
書き下しは、「『もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称せん、下十声に至るまで、もし生れずは正覚を取らじ』と。かの仏いま現にましまして成仏したまへり。まさに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すればかならず往生を得と」
それを意訳するならば、「第十八願に『もし私=法蔵が阿弥陀仏という仏になったとき、全宇宙の生きとし生けるもので、私の名(南無阿弥陀仏)を称えるものは、それがたとえ十声しか称えられないものであっても、みな浄土へ生まれさせてみせましょう。もしそれが出来ないなら、私は決して仏になりません』と。さらに『重誓偈』でも、もしこの誓いが成就しなければ、決して仏にならないと重ねて誓っておられる。そう誓われた法蔵菩薩が、いま現に仏となっておられるように、本願と重誓は成就して決して空しくありません。それで名号称念する衆生は必ず往生できるのです」と。
これは、善導様の「本願加減の文」(本願文の三信を減らし、称名を加える)とも、また「自解本願の文」ともいわれる文だ。「彼仏今現在世成仏」の「世」が略されているのだが、これは大きな問題ではない。むしろ、本願に信心ではなく、十声の称名を加えられたことが、浄土教の大転換となる。これが善導様から法然聖人へと流れる一願建立の立場となるのだが、さらに親鸞様は、善導~法然両祖の意図を明らかにするために、五願開示のお示しで、本願のお心を明らかにしてくださるのであるが、そのことは3月の講習会で詳しく述べていきたい。
なお、この「選擇相伝御影」は、岡崎市の高田派「妙源寺」に伝承(柳堂のお寺)かといわれている。2度参詣させていただいたが、ほんとうに柳堂はすばらしい建物で、この狭い場所で、聖人の法座が開かれていたと思うと感無量だった。南無阿弥陀仏
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