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華光大会~落ち機~

 前期、後期制ての華光大会。前期と後期でご講師を2名ずつお願いしたが、後期のご講師が当日の体調不良での急きょご欠席。最終日は、連続して法話担当となる。だだ入れ換え制の前・後期制度が幸いして、同じテーマで臨めて助かった。
 前期の最初のご講師が「必ず助ける」とのご本願というご法話だったで、「必ず墜ちるぞ」という腹の据わりのところを話した。助かることで安心するのではなく、墜ちていくところで決定させていただく(機の深信)のが、聖人の腸。そこを前週の『御伝鈔』の法然聖人と親鸞聖人との出会いところで頂いた。
  つまり、法然聖人と親鸞様との出遇いについて、多くを語られない聖人ではあるが、、

「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛酉(1211年)の暦、雑行を棄てて本願に帰す。」 

と一言を語られた。この「雑行を棄てて本願に帰す」で、すべてが終わってしまったのである。聖人はこれ以外のことは記述されていない。しかし、その時の心境を身近なお方には常々、語っておられるのである。奥方様である恵信尼公のお手紙では、

「ただ後世のことは、よき人にもあしきにも、おなじやうに生死出づべき道をば、ただ一すぢに仰せられ候ひしを、うけたまはりさだめて候ひしかば、『上人(法然)のわたらせたまはんところには、人はいかにも申せ、たとひ悪道にわたらせたまふべしと申すとも、世々生々にも迷ひければこそありけめとまで思ひまゐらする身なれば』と、やうやうに人の申し候ひしときも仰せ候ひしなり。」(『恵信尼消息』)

 また面授口伝のお弟子である唯円房は、上洛して聖人と向き合った時に,そ口からこぼれ落ちた聖人の自督のお言葉を記録されている。

「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。そのゆゑは、自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。」(『歎異鈔』二)

 最後は、聖人の膝下で育った孫の如信上人から聞かれたという覚如上人は

「『源空(法然)があらんところへゆかんとおもはるべし』と、たしかにうけたま はりしうへは、たとひ地獄なりとも故聖人のわたらせたまふところへまゐるべしとおもふなり。」(『執持鈔』二)

 つまり、後生の助かる縁を求め続けられた親鸞聖人は、六角堂に参籠までして迷いに迷った挙げ句、すべてを捨てて法然聖人の元に参じる覚悟を決められた。それはどんな厳しい自力修行しても、後生に安心ができなかったからだ。しかし法然様から聞かれたのは「必ず助かる」「往生極楽間違いない」という念押しの言葉ではかった。本願に願われていた本当の自分、つまり「地獄一定」の身である真実に出会われたのである。当たり前のことだが、助かることをいくら重ねても、重ねても、重ね続けなければ安心は続かない。しかし、たった一つ「地獄一定」の自分に出会ったならば、それで終わる。聞法とは、ここを聞く以外にないのである。

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