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『御伝鈔』(3)第二段「吉水入室」①

 『御伝鈔』(3)第二段「吉水入室」。

 聖人が二十九歳の時、比叡山を降りられる決意をされ、末法凡夫のための他力易行の浄土の教えを求め、東山吉水の法然聖人を訪ねられる。法然聖人は、浄土真宗の根本の教えを懇切に説かれ、親鸞聖人はたちどこにその深意を領解され、凡夫直入の他力信心を決定されたというのが、大意である。
  短い文章で、語句や表現に難解な問題はないが、何故、二十年間の聖道門での自力修行を捨て比叡山を降りられたのかが、ここでは「隠遁のこころざし」としか触れず、「末法の凡夫には、自力聖道は難行であり、他力浄土こそが易行の大道である」と記されるのみだ。聖人の心の機微は伝わらないので、当時の文章から補ってみた。

 奥方様の恵信尼公が娘(覚信尼公)に宛てたお手紙では、

「この文ぞ、殿の比叡の山に堂僧つとめておはしましけるが、山を出でて、六角堂に百日籠もらせたまひて、後世のこといのりまうさせたまひける、九十五日のあか月の御示現の文なり」

とある。比叡山時代の聖人は、常行三昧堂の堂僧をされていたと記されている。堂僧は、高い地位の僧侶ではなく、栄華とは無関係である。どのような修行であったかは、前回詳しく見ている。
またこのお手紙には、短い箇所に4回も「後世のこと」-つまり後生の一大事が心にかかり悩んでおられたという記述がある。

覚如上人の長男、存覚上人の『嘆徳文』では、

「定水を凝らすといへども識浪しきりに動き、心月を観ずといへども妄雲なほ覆ふ。しかるに一息追がざれば千載に長く往く、なんぞ浮生の交衆を貪りて、いたづらに仮名の修学に疲れん。すべからく勢利を抛ちてただちに出離を稀ふべし」と。

とある。意訳すると、「心を静め、精神統一をする禅定の修行に励んでも、愛欲や名利の煩悩にかき乱されて静まらず、心の本性を見とどける観心の修行しても、妄念の黒雲に覆われて如来を観た奉ることはできない。しかも出る息は入るを待たず、もし泡沫(うたかた)のような浮世の身が、今終わったなら、たちまちに長い迷いの悪道に落ちていかねばならない。にもかかわらず、今生事の修行や勉学に命をすり減らして終わっていいのか。今生事を投げ捨てて直ちに後生の一大事を求めずにおれない」とななる。
 自身の後生の一大事を前に、比叡山での自力修行(観念念仏)が、真摯であればあるほど、真の安らぎがえられず、行き詰まっておらる樣子が窺える。

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