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10月の学び~仏教講座篇~

 3月以降中止が続いていた仏教大学四条センターの講座が再開されたので、10月は意欲的に学んだ。まだ教室での講義ではなく、来年3月まではすべてZoom配信での講座となっている。その分、移動する制約がないので可能な限り受講することにした。

 まずは仏教篇。これまでと同じ5講義を受講した。

 継続して(1)永観律師『往生拾因』は、第五因の「聖衆護持」などを読む。
(2)『法然上人行状絵図』(いわゆる四十八巻伝)も継続した受講で、「後白河法王への授戒と追善」。三帝の戒師とも称される法然上人の一面。真宗ではまず問題にされない側面ではある。
 共に継続講義なので、Zoomでもスムーズに受講できた。Zoomのおかげで、気軽に、便利に学ぶことができる。しかし自身の学びの質という意味では、やはり少し低下するのではないかと。講義内容は同じでも、会場に足を運び身を置くことに比べると、こちら側の学びの態度が緩んでしまうのも事実であった。

 同じく毎月受講していた仏教入門講座と探求講座も引き続き学ぶ。こちはら、今年のテーマや講師が変わって、かなり新鮮だった。しかも230名近い方が参加されていたのにも驚いた。(3)入門講座の細田典明先生は、初受講。予定の半分6回に短縮となったが、ブッダ以前(もしくは当日)のインドの思想・宗教に言及されるもので、初回は『ウパニシッド』の思想。バラモン経の根本聖典となる『ヴェーダ』最終部分に属するものだが、新興勢力(仏教やジャイナ教など)が何を批判し、乗り越えていこうとしたのかを知るためにも、その基礎のほんの一部でも学ばせてもらった。特に、以前に記録されたバラモン教の祭祀のビデオ映像が、とても面白かった。これまで概念的にとられても、実体が理解し難かった司祭者としてのバラモンや、生贄の問題、また儀礼として梵我一如をどのように成すのかがなど、興味津々。これまでガンジス河のガートで、バラモンを見ていたが、その見分け方も教わって、またインドにいくことがあればば楽しみである。最後に「この講義のどこが仏教入門なのか」と批判的な方があったが、最初にしっかりその点にふれられておられたのだが、原則生徒は聞いていない、といより聞けないだなーということを実感。

(4)探求講座の西本明央先生は、毎年、一番、楽しみにしている講師。今年は、半年の6回で、「仏教と言葉」のテーマで。初回は、「言語に対する仏教の基本的態度」と題してであるが、ブッダが最初の説法に躊躇があったことのは、悟りの体験を言葉にする際の葛藤であり、思想を媒介する道具としての言葉そのものへの不信感から起こっている。また我々の苦が生起するのも、我への執着も、言葉が関わっているのに起因するという。それでも言葉を使った伝道を決意されるのだが、その前に、仏教の基本的態度とは、言葉に対して否定的であるという点を押さえた講義であった。ただ参加者にリモートに不慣れな方があり講義がしばしば中断したり、うまく共有画面が使えず、また、盛り沢山すぎで時間的配分に無理もあるなど、少しモタモタ感も強かく、また内容をすべて理解できたわけではないが、ぼんやりと問題意識を抱いている問題なので、これからが楽しみである。 

(5)仏教大学ビハーラ研究会は、講義だけでなく、交流やワークもあるので、だいたい10名前後だが、リモートになると30名近い方が参加されていた。「新型コロナ禍とグリーフワーク」~葬送の意義を再考する~は、講義が中心。これがとてもよかった。葬送儀礼の持つ意味を多角的にお聞かせに預かった。またコロナ禍で葬儀に対する誤った認識、「新型コロナで亡くなったらお葬式もできない」(すべてすんで遺骨で帰る)という間違った認識なのだと。どうすれば、そんな時でも葬儀ができるのかを事例に基づきお話くださった。同時に、なぜ自粛警察が起こったり、他に不寛容になるのかという心理的な構造などの話も興味深かった。
葬式仏教と揶揄されるけれども、もう一度、その意味や原点に帰って考えさせれる講義だった。

 

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