『善き知識を求めて』~友の言葉に~
仏書に親しむ会は、『善き知識を求めて』に入っている。『仏敵』と合せて読むべき書であるが、『仏敵』で終わる人も多い。続編でもあり、前篇でもある姉妹編だ。『仏敵』が、獲信に至る数日間、広く観ても2ケ月程度の出来事を求道小説として綴られているのに対して、『善き知識を求めて』は、伊藤先生の少年期、青年期の心境の遍歴、そして野口道場での求道と獲信を『仏敵』より簡潔に、自伝風に述べられている。その「前半は、体験として南無の機となって風光」であるならば、「後半は、その理解を深めるための信後の悩みである」と、伊藤先生も後記で語られている。
今回は、まだ野口道場に至る直前の大学生(仏教大学)時代の伊藤先生の,未熟な信仰遍歴の部分である。一部、同室者の北海道の資産家の息子、宮村青年(仏敵では、北村として登場する)とのやりとりは、仏敵にもあるところ。
信仰書を乱読するも,日本には求道の指南車となる書物がないこと(これは『仏敵』を書かれた動機のひとつ)、次は西洋哲学に傾倒したあと、紙の教会から、耳で聞く説教を聞き漁られる。そして頭が下がたり、念仏が溢れ慈悲に触れてみたりで、これが信心かと思ってみたり、救いの声は聞こえないかと、夜の大谷を散策したりと、求道者のお決まりのコースを辿られる。しかし、これはすべて「観念の遊戯」あると捨てられて、今度は身をかけた実践として、身ひとつでの行脚(早い話が無銭旅行)を何度か試みられるが、焦っても、信心の智慧がなけれは意味がないと、これもまた捨てていかれる。つまり、信仰書を読もうが、説教を聞こうが,身をかけて聞法しようが、まったく何を聞くのかの焦点が定まっていない。それは、迷いの一点を破してくださる善き知識との出会いがないからで、信仰の上でもフラフラと定まらないのである。しかし、それは予期せぬできごとから転機が訪れる。大学での同室になった宮村君とのエビソードへと続くのだ。特に、彼との決別となった時の、放蕩者のだと軽蔑までしていた彼の言葉が大きな意味を持つのである。
「ぼくはこうしていても、丸三年というものは、聞其名号の「聞」の一字を求めて、人知れず泣いてきたのだぞ」
の一言である。
この章は、「友の言葉に刺激されて」とあるが、この言葉に会って、伊藤先生は飛び上がって驚かれている。
「ああ! 私は声も立てず机の上に頭を伏したまま、あまりに恐怖に近い懺悔心で、ブルブルと身体中を震わせていた」と。
この一言の2週間後に、伊藤先生の精神生活に大きな転機が起こる。野口道場でのおよし同行との出会いである。
次回は、「善き知識を求めて」「御同朋に導かれて」の章にはいる。
11月3日(火・祝)18時50分~21時
昼間(13時30分)から、華光輪読法座を開きます。祝日なので、3日はダブルヘッダーを組みました。奮ってご参加ください。
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