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10月の広島支部法座

台風接近中で雨が続く。新幹線の計画運休が予告される。広島は台風の影響はないが、交通には影響が出る可能もある。その場合、京都から、朝、昼共にZOOM法話ではどうかという相談もできた。これもコロナ禍の副産物で、今年の春までは想像もしていなかった。ただ台風は、日本列島を前にUターンする珍しいコースを通り、前日の昼に計画運休の中止が決まり、予定通り広島法座を開催することができた。

 コロナとZOOM対応で、広い会場。その割に参加者は少なく寂しかった。支部のZOOM配信も、機材トラベルや途中で切れたり、うまくつながらないなどトラブル続出で、担当者はたいへんそうだった。しかも終始、手持ち中継で、ぼくもどとこなく落ち着かなかったが、法話が乗ってくるとお構いなしに話続けた。でも、世話方の心は、ZOOM配信の奪われていたようで、お疲れさまとしかいいようがない。次回には、ぜひ善処をお願いします。

 広島では朝座、「肚を造る」の巻頭願を輪読されたという。それを受けたわけではないが、ご法話は「本願のおこころ」。第十八願と成就文との関係を、伊藤、増井両先生のご指南によっていただいた。この一点が、ぼくが領解する師業口伝の要であり、ご法喜んだあとに、「伊藤先生のものをしっかり読み肚を作れ」との知識のお言葉に順わせていただいたところである。その意味では、ここで聖教量と現量が一致するところでもある。ところが、参加者の中には、そこが理解できないといわれた方があった。たとえすばらしい体験があったしとても、聖教量とバラバラでは、いくら仏法を喜んでいると言っていても、自己満足の喜び、独善的な信仰で留まってしまう。逆に、理屈を覚えて理論で固めても、現量の妙味がないと空しいだけである。

 「聞」ひとつ、他力回向信の一念で、すべてが済んでしまった不思議を、肚の底から喜びあいたいものである。 

 

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