« 2020年8月 | トップページ | 2020年10月 »

2020年9月の14件の記事

今年初めての寺院布教

 今年、初めての寺院布教。4月~8月の間の寺院布教は、数件だったが中止か来年に延期となっていた。1年ぶりに奈良の教行寺へ。連れ合い、子どもも一緒。子どもは6年ぶりになると言っていた。会館から演台の前に立てるアクリル板も持参すに。コロナ禍ならではで、数年後には笑い話になってほしい。通常より間隔を空けての着座(それでも少しは密)だったこともあり満堂である。華光の方も遠近各地からお参りされたが、門徒さんも多かった。朝座は永代経の施主のご一家も座ってくださった。

Img_0892

 朝座の法話は、基本的なところを丁寧に頂いた。

「弥陀の本願には、老少・善悪の人を選ばれず、ただ信心を要とすべし」と。

ご縁を大切にすることやご聴聞を勧めるお寺さんはたくさんおられる。しかし、もう一歩踏み込んで、何のためにご縁を大切にするのか。また聴聞を勧めるのか。そのことを明かにしてお寺参りにお出でになっているか。ご縁があったこと、聴聞が習慣になっことただけで満足してはいないか。もしそうなら、もう一歩踏み出してもらいたい。

 後生に一大事があること。

 そして、信心獲得の身となること。

ここを外した聴聞は、単なる仏縁にあったことを喜ぶレベルで終わっている。それなら義理参りや暇つぶしと大差はない。

では、後生の一大事とは何か。そもそも後生とは何か。何故一大事なのか。
また信心を頂く(たまわる)とは、世間の信仰とどう違うのか。何故、「信心を要とすべし」などかなど。

 昼座は、四恩と、子ども聖典の「内省の世界」について。恩知らずと知らせてもうことほど、深いご恩徳はないのだが、みんなここを勘違いする。恩を知る立派な人にでもあると思っているのだろうか。改めて基本を押さえてお伝えした。門徒さんの反響は分からない。しかしここは蓮如上人のご旧跡だ。仏法繁盛の念仏の地であったほしいとの思いで、お話させてもらった。南無阿弥陀仏

Img_0870

 

|

「御伝鈔」概要~9月の聖典講座~

  新規の聖典講座として『御伝鈔』を選んだ。30年も前に、悟朗先生が取り上げられているが、講義用のプリント作製されていない。

  皆さんに、『御伝鈔』のことを問う。一定数の方が御存じなかった。また覚如上人についても同じである。お名前は知っていても、業績や生涯についてはほとんど知らないという方ばかりである。今回は『御伝鈔』の最初の概説ではあったが、むしろ述者である覚如上人のことを取り上げた。覚如上人の略歴を細かく窺い、すべての著作の概論などに時間を割いた。とはいっても、簡単に基本的な『御伝鈔』の概説には触れておこう。

1)著者は、本願寺第三世宗主の覚如上人(親鸞聖人の曾孫)。作画は、康楽寺浄賀という方。

2)著された時は、永仁三(一二九五)年十月(鎌倉時代末期)で、親鸞聖人の三三周忌(ご往生から33年目)にあたる。覚如上人がまだ26歳の時である。ちなみに、その前年の親鸞聖人の三十三回忌法要に合せて、『報恩講私記』を撰述されるが、この時が本山での報恩講の始まりである。

3)題号は、もともとは(1)『善信聖人絵』(後に消失)で、永仁三(一二九五)年十月十二日に完成した。当初は、上巻六段・下巻七段の構成と考えられている。
 同年十二月十三日書写されるが、その時には『善信聖人親鸞伝絵』とされ、上巻六段・下巻七段で構成されていた。
 そして、それから四十八年後、補充改定こされ『本願寺聖人親鸞伝絵』となって、上巻八段・下巻七段で構成される。今日のよく知られた形になっている。

4)題号の「善信」とは、親鸞様が、法然門下の時に夢の告げにより「綽空」より改名された名で、善信房親鸞が正式名である。
「本願寺聖人」とは、大谷の影堂(廟堂)が整備されるに従って生まれた寺号で、覚師52歳の時に初めて使われるようになった。
「伝絵」とは、絵巻ものこと。初めてに詞書があり、次いで絵図の順序で繰り返される巻子本のことである。
 そして、その後、詞書が独立して『御伝鈔』となり、
 絵図が独立して「御絵伝」(絵伝)という縦長の掛軸となる。
つまり、絵と詞の巻物ものが「伝絵」、掛軸が「絵伝」、詞のみが『御伝鈔』と呼ばれている。
本山の報恩講(七ケ日)の間、「御絵伝」を掲げ、中日の初夜に『御伝鈔』を拝読。蓮如上人時代にはすでに記録されている。
 ▽「同じき十一月報恩講の二十五日に御開山の御伝(御伝鈔)を、聖人(親鸞)の 御前にて上様(蓮如)あそばされて、いろいろ御法談候ふ。なかなかありがたさ申 すばかりなく候ふ。」(『蓮如上人御一代記聞覚書』二八条)

5)その概要は、親鸞聖人のご一生の行状であり、最後に、大谷廟堂建立の縁起を現わした絵巻物である。
 創作意図としては、聖人のご遺徳に対する知恩報徳のためではあるが、同時に、その正統な後継者である本廟、すなわち本願寺独立の基礎を作ろうという意図がある。
        
6)その構成は以下の十五段であるが、 それぞれの段に、江戸時代に漢字四文字で命名されている。
 上巻(1)出家学道、(2)吉水入室 (3)六角夢想 (4)蓮位夢想、(5)選択付属、(6)信行両座、(7)信心諍論、(8)入西観察(定禅夢想)
 下巻(1)師資遷謫、(2)稲田興法、(3)山伏済度、(4)箱根霊告、(5)熊野霊告、(6)洛陽遷化、(7)廟堂創立

7)現存する重要な主な「伝絵」(七本のうち六本が重要文化財)を挙げて解説したが、ここでは省略する。

 今回は、『御伝鈔』を取り上げることにした。4)にも記したが正確には詞書だけでなく「絵伝」の部分も解説したい。会館でも「絵伝」のお軸を掲げた。また「絵伝」を解説したテキストを使うので、絵にも注目しながら頂きたいと思っている。

 

 

|

永代経の4日間(4)~面授口伝、もしくは師業口伝

 前・後期の入れ替え制とした分、信仰体験告白の時間が2度あった。顔ぶれは、その時のメンバーから選びで、前期と後期では別の方である。後期は、あの方、この方と候補が多かった。またその通り尊い告白を聞かせてもらえたし、味わうことはたくさんあった(法話で触れさせてもらた)。一方で、前期は、これまで済んだ人やご縁の新しい方が多くて、人選に困った。

 そんな困った時ほど、不思議といいアィデアを浮かぶものだ。信・未信にとらわれず、若い(20代の学生の方々)に、いまの心境、法に対する姿勢を語っていただくことにした。3名の内、二人は身近な人である。事務所に勤めるAさん。問題なく決まる。そして、福岡のBさん。本部のご縁は少ない。またご両親との関係が色濃いが、今年になってからの心境の変化は目覚ましいものがある。思い切って電話してみると、「勅命を聞くとはこうするのか」というぐらい、「ハイ、やります」との二つ返事で、こちらが驚いた。一番、難色を示したのが、わが子である。でもこの場合は、「いやだなー」とハッキリ言えたことがよかった。無理強いをするつもりはないので、「イヤなものはイヤ」といえることは大切だったからだ。それでも数日、熟知の上、引き受けてくれることになった。わが子も、Aさんも仏の子ども大会で、自分の気持ちを率直に表明する機会(これは訓練といってもいい)を何度も持ってきているので、大丈夫だという確信があった。特に何の相談もなかったが、彼女は、「緊張する~」とはいいながらも、「原稿は作らず、本番の雰囲気でいくわ」といった言葉が頼もしかった。

 そして案の定、いい企画になった。この新鮮さは、世間に揉まれて純粋さを失った者には、まぶしかった。Aさんやわが子のことはよく知っていたが、一番驚き、また有り難かったのがBさんである。しっかりと要も聴聞されている姿が尊かった。年に2度、家族の方や職場の方にご縁をつけたいと、ご自宅で家庭法座を持ちつづけておられる親の願いが、こんな形で結実したかと思うと胸か熱くなった。その意味では、3名とも親の願いを聴いているのである。

 そして何もよりも胸を打ったのが、3名とも、増井悟朗先生の命懸けのご示談にあっていることだ。

 浄土真宗の血脈、ご相続は「面授口伝」(面授口決)だと覚如上人は仰った。伊藤先生は、それを「師業口伝」といわれているが、いくら書物やDVD見聞できたとしても、直接、善知識と対座してご示談を受け、言葉だけでなく雰囲気や態度に肌で触れていることがあるのか、ないのかは雲泥の差があるのだ。

 娘が小学校4年生の頃のことである。父は晩年になっていたが、その高齢の父が、「私は、これから命懸けで仏法を伝えます。あなたも命懸けで仏法を聞いてください」と、幼い孫を前に真剣に真実を伝えようと、ぶつかってきたことを話してくれた。今回、お願いした3名に共通しているのは、そんな悟朗先生の求道者の向って命懸けで法を説く姿に触れていることである。それは、僕自身の心を揺り動かした姿でもある。そんな方に出会えたことの幸せ、それが今日の僕自身のすべてだといってもいい。

 とにかく、有り難いご縁でした。

|

永代経の4日間(3)~帰命の一念~

「平生の時、善知識の言葉の下に、帰命の一念を発得せば、その時をもって娑婆の終わり、臨終と思うべし」

 今回の永代経法要では、3座法話の機会を頂いた。『観経』で3座(王舎城の悲劇、第七華座観(徐苦悩法)、下々品(転教口称)を予定していたが、結局、『観経』を取り上げたのは、一座だけで、あとは覚如上人のご文を中心に頂いた。他の法話を拝聴したり、お同行の信仰体験告白、また信仰座談会のやりとりを通じて味わったことが中心になった。突き詰めると、上の『執持鈔』の覚如上人の自督(じとく)のご文である。真宗の安心の特色は、「一念帰命」「平生業成」、そして第十八願の頂きぶりを成就文から「聞」の一文字に収められたお心に尽きるといってもいい。教学の上だけでなく、安心、法座でのお勧めも、この精神が今もなお華光に生きているのである。もうこれは不思議といってもいいレベルである。そのことを改めてのお取り次ぎさせていただいた。

 やはり3座のご法話をいただいたご縁は、有り難かった。

 

|

永代経の4日間(2)~やっぱり法座はいいな~

 コロナの感染拡大を防ぐために、定員30名(通常の永代経の1/3~1/4)にして、前期・後期に分けておこなった。その結果、日数が1日増え、法座数も8座、法要も4回、信仰体験告白の時間も2回とすべて増えてしまった。それでいて、法中やご講師も絞った編成で臨んだ。法中も各1名と参加された方おお願いしたので、けっこうしんどかった。勤行でも法中の皆さんに助けてもらっていたことがよ~く分かった。法話も、増えて3度担当することになった。
他にも懇親会がないの寂しかった。終了後、皆さんがホテルに移動される妙な雰囲気は、7月の壮年の集いで体験している。やはり2回とも連れ合いと飲んで体験告白などを分かち合って、けっこう遅くなったりもした。マスク越しの不自由さもよーく分かっている。それでもある。密を避けながらも全国から同人が集い、共に真剣に聞法する、その雰囲気は何ものにも替え難いものだと、改めてその良さを感じた。。

 数日前のことだが、朝の勤行時に窓からはいる風が秋を感じことがあった。9月は、ずっと残暑が厳しく、日中はまだ30度近くになる時もあるが、風はもう秋なのだ。風ととにも、仏壇からはお香のよい匂いが漂ってくる。蝋燭の火がチラチラと揺れている。五感で感じるというけれど、目や耳だけでなく、嗅ぐこと、味わうこと、肌で感じること、つまりその気配を身で感じているのである。残念ながら、これはZOOMでリアルに配信しても、伝えることができない。

 今回も、分級座談会の示談で、ある同行と向き合ったことがあった。ただ言葉はなくても、そこには張りつめた緊張感、気配があるのだ。これも二次元の画面越しには写らないだろう。当然、それは見えるものではない、その場で感じるものである。

 そんな法の雰囲気に触れさせてもらって、ぼくの心も開かれ立ち上がっていった。それは、自分の昂揚した気分や意欲とはまた少し違ったところから興る不思議な力である。出会いとは単なる喜びでは終わらず、奮い立つ力になるものだが、法に遇うことは、そんな力をいただくことではないだろうか。いくら理屈を覚えて、また情緒的に感動しても、法に遇った力が漲ってこなければ、仏法の面白さはない。

 結局、4日間、法座を開いて徳(得)をしたのは、ぼく自身であった。南無阿弥陀仏

 

|

永代経の4日間(1)~裏方のおかげ

 コロナで延期になっていた永代経法要が終わった。

 まずは4日間、無事に終わってホッとしている。もっとも潜伏期間(平均5日間)のことを考えると、安堵するのはもう少し先になる。

 春のゴールデンウィークから秋のシルバーウィークへ。4月の延期時には、年内の開催は難しいだろうというのか、正直な気持ちだった。これまでとすべて同じとはならなくても、開催することができた。前期、後期の二部制。原則、重複参加は認めず、定員(各日30名)を厳守。マスク着用、食事・宿泊、おやつや懇親会はなし。当番もなし。各分級も人数制限をするなど、コロナ感染防止対策をしたうえでの法座となった。それでも、全国から集った同人と法座を持てたことは何よりもうれしかった。初めての方や若い(20代)の参加者の活躍もあった。当番制から、運営委員会でのお世話で無事に終えることができたのだ。ありがとうごさいました。

 ただ運営面では若干もたつき、課題も見えた。前期・後期に同じように分けた運営委員が、なぜか後期に偏ったりもした。しかも、前期の打ち合わせでは、交通渋滞で責任者が間に合わなかった。京都にも観光客が戻って渋滞に巻き込まれたのだ。昔、ある役員が、「お世話は最初が肝心。冒頭でつまずくとあとあと響く」とよくいわれていた。確かに、総括が落ち着かないまま臨むと、連携がずれたり、小さなつまづきが続いたりした。ほんらい総括は何もせずに、落ち着いて大きく全体を見渡す必要がある。それは組織でも同じことがいえるのだが、それが全体に落ち着きへとつながっていくのだ。たぶん今回は、食事やおやつ、懇親会などの役割が減ったことで、油断があったかしれない。人数は少なくなっても、法要などのお世話は何も変わらず、逆に感染症対策やZOOM配信のお世話が増えていたのだ。ZOOM参加は予想外に少なかったが、4日間、全日程フル参加の方もあったりと、新しい法座形式で、これからは独立した役割で臨む必要がある。今回は、これまでにない配信トラベルが続いて進行にも影響がでるなど、今後に課題も残した。

 もちろん細かなトラベルの中には、参加者がまったく気づかないことも多い。ほんらい準備万端で上手い運営は、表にその苦労が出ないで、楽そうに進むことである。だが何事もなく順調に進む背景には、それだけの打ち合わせや準備、つまりお手間がかかっているのである。裏方の目につかない力が働くほど、よりよい法座が成り立っていくといってもいいのだ。

 ともすばれ法話や座談会の樣子だけを取り上げて云々するが、実は、それを支える大きな力があることに触れておきたかったのである。

 

欲とはまた少し違ったところから興る不思議な力である。出会いとは単なる喜びでは終わらず、奮い立つ力になるものだが、法に遇うことは、そんな力をいただくことではないだろうか。いくら理屈を覚えても、また情緒的になっても、法に遇った力が漲ってこなければ、仏法は面白くない。

 結局、4日間、法座を開いて徳(得)をしたのは、ぼく自身ったのである。南無阿弥陀仏


 今回の永代経法要では、お同行さんにお話を聞かせていただく、信仰体験告白の時間が2度あった。顔ぶれは、その時の中から選び、これまで済んだ人は澄んだスン田人は海老は、か

 

|

苦手

 連日、法名や法名軸の記載に悪銭苦闘である。しかも今年は大量に申込みがあった。有り難いことではあるが、しかし苦手ではある。うまく書けないと落ち込む。第一、ずっと残るものなので、この時だけの悩みのタネだ。
 例年になく記載申込者が多かったのは、コロナの影響があるのだろう。危機感というのではない。定額給付金の支給か影響しているのではないか。有り難いことに、ご喜捨くださった方もあったが、ご自身やご親族の永代経法名軸の申込として活用くださった方もあったようだ。例年、増減はあるのだが、平均的の3倍近くのお申し出をいただき、たいへん助かっているが、その分、苦闘の毎日。用紙も、Rさんが至急、準備いただいたりと大いに助けられている。また、粗供養(記念品)の念珠の購入も済ませた。

Img_0718

 他にも書き物があるので、夜までかかったが、どうにか準備は整った。

Img_0720

 前半、後半ともに定員に達した。さすがに両日程を合せても、通常の半数ほどの参加に限定されるが、ZOOMでの参詣者もあって、通常の8割程度の方がお参りくださるようである。日頃の普及からみると、もう少しZOOMの方があるかなーと思ったが、案外、限定的に留まっている。

 法話は、浄土三部経に合せた3座か、それとも「観経」だけにしぼって3座にするか、はたまた覚如上人や唯識の関連はうどかと、いろいろと教案を練っている。

 久しぶりの大きな法座で楽しみである。

 

|

永代経法要の準備

   春のゴールデンウィークから、秋のシルバーウィークに延期された 永代経法要が近づいてきた。

 密を避けるために、前半、後半の二部構成として、各回30名に限定して開催することにした。どちらかに参加してもらうことにした。

 前半4座(法要2回)、後半が4座(法要2回)通常は、2泊3日間での7座(法要が3回)なので、法要の数も、法座の数も増えた。しかも、ご講師も各2名まで、また法中も各2名までに限定したので、通常よりも担当する法話の数も、また法要の導師の数も増えてしまった。

 ただ宿泊や食事は止める。またいちばん楽しみな懇親会も会館ではない。他にお茶の接待もやめたりと、世話役の負担は軽減される。それでも、少ない人数なりにやらねばならないことは同じなので、それなりに皆さんにお願いをしている。

 事前準備も通常と変わらない。京都支部の方を中心に、お掃除や仏具お磨き、お花、仏壇の荘厳などの準備が連日ある。

 違う点は、懇親会の準備ないこと、布団屋や食事を連絡がないことは多きい。
 ただアルコール消毒やトイレのペーパータオル、マスクの準備などはこれまでのにない作業。加えて、Rさんが講師机の前に設置するアクリル盤を準備くださった。そして、ZOOMの試験や案内もこれまでにはない作業である。

 参加が難しい方には、ZOOMでもご聴聞できますので、どうぞ奮ってお申し込みください。

Img_0710
Img_0714

 

|

広島法供養法座

 やはりGO TO キャンペーンの恩恵を受けて、前夜から広島に入った。ホテルの朝食は、久ぶりにバイキング。入り口で、マスク着用、消毒、使い捨て手袋をして入場した。煩わしいというより、風変わりでと楽しむことにする。

 午前中からの広島支部法座へ。法話の声もあったが、最初から信仰座談会に入る。少人数だったからだ。座談会の雰囲気や勧め方、態度についての話題が主なテーマに。ぽくも法座に臨む態度、姿勢、そしてその前提としての、その場に断った自分自身の内部で起こっていることに、どれだけ率直に、飾らずにありのまま(都合よいことも、悪いこともごまかさず)に気づき、また必要ならばそれを表明することも含めて、ここに臨んでいる姿勢についてお伝えした。当然のことながら、場(つまり参加している皆さん)を信じ、法に委ねて立っているのであるが、このあたりはこれまでのカウンセリング等での経験が生きていると思える。

 皆さんでの昼食の後、午後からの法座に備えて会場を移動。

 Hさんのお兄さんの三回忌法要を兼ねた法供養法座。Hさんの希望で、参加できない広島のゆかりの方に向けてZOOM配信を行う。そのために、wi-fi設備が整っている公共の会場に移動。以前は、よく法座会場になっていたので懐かしい。ネット配信もうまくできた。これもHさんの執念でもあるが、同時に亡くなった故人のお働きでもある。単なる法事毎や義理ではない、まさに法供養の法座であったことが、いちばん有り難い。

 法話は、あらためて子どもの聖典の「内省の世界」(「私-ご恩-仏さま(地獄)」)三角錐の図をもとに。後半はかなり力が入ったが、長くなってしまったのは反省。 

|

華光誌印刷所へ

 華光誌の発送作業が大詰めを向えた。

 通常は、月の半ば過ぎ、16~17日に印刷所に渡すのだが、永代経法要の9月延期を受けて、1週間、早めて作業を終えることにした。8月下旬は慌ただしくなったが、9月の始めにはメドがつき、後半は少し余裕をもって編集作業に臨めた。

 誌上法話は、今年の報恩講の時の「弥陀回向の御名」と題して。この時には、まだコロナの話題さえ出でいないな。我ながら、同じようなテーマで話しているなーと苦笑。でも、要点、一つなのだから、そこを外したお話できない。最後の『仏敵』の黒田青年(トランプの王様)の「六字が物足りのうて、その六字で堪能するまでに半年かかった」といわれる。不足、不満足だらけの私が、この六字を前に何も足すことも、引くこともない。たった六字で満たされていく不思議に遇うのである。

  信仰体験記は新規の方が2名始まる。また、前回から始まった誌上感話も濃厚な味わいで、ぜひお読みいただきたい。他に故伊藤氏の追悼記事や同人会MLでの聖典講座と日曜礼拝の感想集もながなかのら力作。つながりが面白いです。

 少し早目に完成するが、発送は10月1日の予定。お楽しみに!

|

台風の中の大分法座

 秋の大分法座は、鬼門(注意=方位など問題にしない非真宗的表現をお詫びいたします。鬼は自分自身なのだけど、でもね、この表現が使いたいときある)だ。
 前回は、台風の真っ最中で、列車が止まって別府にもう1泊。その前には、熊本地震で一旦は開催を決めながら、2度目の大地震。さらに大分へも広がって列車が止まり、当日の早朝に中止となる。他にも、開催中に御嶽山が爆発してたくさんの犠牲者が出た。数少ない大分での開催なのに、地震、台風、そして噴火と重なってきたのだ。

 そして今回もまた台風だ。しかも、 記録的な大型で非常に強い台風が九州に接近中で、ニュースでは最大級の警告を煽っている。九州全土が暴風圏に覆われる大きさだという。当初の予報よりスビートが遅く、日曜日の夜から月曜日に九州最接近に予報が変更される。車中で、7日(月)終日、山陽新幹線の博多~広島間の計画運休が決定したとのアナウンス。つまり、日曜日に戻らないと火曜日まで足止めになる。しかも、福岡小倉から大分のソニック号(特急)の運転計画は、前夜、もしくは当日の朝にならないと分からないという。

Img_0647

 コロナで少ないところに、台風でキャンセルする人もでる。それでも、法座を中止なる気配はまったくない。開催する方も開催する方なら、京都から行く者も行く者だ。GO TO トラベルの恩恵を受けて、JR代往復とホテル代も含めても、正規の交通費よりも1万円以上の割安となったのは、有り難い。まあ、行きよいよい、帰りはこわいであるが、この世ことはなんとかなるだろう。

 熊本、大分とキャセル者が出て、結局、大分組2名、福岡組4名の計6名が集った。これで充分である。若い求道者に焦点を当てた座談会が進む。

Img_0651

 結局、日曜日は午後からの在来線の運休が決まって、法座も午前中で打ち切ることにした。1座少なくなったのだか、その分、小人数で、濃厚な法座になったのと思う。帰路も、求道者と隣合せて話を聞くことができた。初日の夜は懇親会。コロナと台風の中で、広いお店に客は他になく貸し切り。4月以降、法座の後に懇親会があるのは、九州法座だけ。法座に対する姿勢も含めていろいろと考えせられた。

 確かにリモートは便利だ。遠方者とも予期せぬ出会いもある。そのメリットは大いに活かしたい。
 しかしである。困難な中でも、覚悟を決めて脚を運び、顔を合せ、同じ空気の中で聞法する。それがマスク越しであっても、二次元のリモートでは絶対に得られない、覚悟と聴聞する喜びが、どこかから滲み出る気がするのだ。今は、事故がおこった時の責任問題で、非難や批判を畏れて、すべてが慎重に安全運転で進むことを善しとする風潮がある。確かに無謀なことは止めるべきだが、いつも石橋を叩いて渡るだけでは、大事をし損ずる気がしてならない。そんな晴れ晴れ心境にならせてもらった法座だった。

Img_0654

|

残念

 毎年、聞法旅行で世話になっている旅行会社の担当者が来館された。9月に予定していた旅行は、永代経が延期となって、6月の時点で中止となっていた。また来年のこともまだメドが立たない。それでもお出でになるといことは、電話の様子で何となく察しがついた。今年は、新型コロナの影響でお寺の団体旅行がすべてなくなり、今後の回復のメドも望めないので、10月一杯で会社を休業(実質的な廃業)が決まったと言う報告だった。

 残年だ!

 旅行社とも、彼とも22年前からのおつきあいになる。最初は、関東の親鸞聖人の御旧跡巡拝だった。台風の大雨の中で、迷いに迷いながら、決行された。今なら間違いなく中止になっているだろう。その当時はまたいわれなかったが、いわゆる「線上降水帯」が発生して那珂川が氾濫寸前だったのだ。参加者の中にはキャンセルをされた方もあったが、それでも50名近い参加者があり、大雨のなかで御旧跡巡拝をした。稲田の草庵で、ぼくの法話中にかなり大きな地震があったことも、鮮明に覚えている。
 その時は、彼はまだ入社直後だったのか、社長さんも一緒に添乗された。そして、法話だけでなく分級座談会があったり、単なるカラオケ大会ではない宴会の楽しさなど、華光の聞法旅行のあり方にたいへん感心されて、「いろいろお寺の添乗をしていますが、これかほんとうの聞法旅行だと思います」と話してくださったことをよく覚えいてる。
 それまではお願いしていた個人の旅行社が病気で倒れられ、いろいろな会社を模索している中で、試しにお願いすることなったのだ。そして、誠実な対応に、それ以降も長いおつきあいか続いた。国内の御旧跡が専門なので、海外は別の会社(ここももっとたいへんだろう)にお願いしている。関東以降、越後、北陸、三河、山陰、京都や奈良、滋賀などの親鸞聖人や蓮如上人の御旧跡に加えて、各地の法然聖人や妙好人のみ跡を慕った。また鹿児島の隠れ念仏や、華光の先生方のお寺や各支部(広島、高山、北陸)との交流法座も行った。他にも、和歌山と四国聖跡巡拝など、残念ながら中止となったプランもある。人数不足で北四国の旅行が中止になったので、一昨年の『仏敵』の旅が最後となってしまった。
 
 華光会の聞法旅行もこれが転機になるだろう。コロナで来年も団体旅行は難しいだけでなく、大型バスで、相部屋での旅行の形式自体が、人集めに苦労しているのが現状なのである。

 長い間のご尽力に御礼申すと共に、この時期の再出発はほんとうにたいへんでしょうが、今後のますます健闘を願っております。

 

|

勇むこころ

 法座を前に散髪に行く。髪の毛が疎開して久しいが、少ないからこそまめにいかねばならないというまったくの矛盾がある。

 新型コロナの影響が話題があがる。コロナがあっても法座が開けていること、明後日からGo To トラベルで割安で大分に向うこと。記録的台風が接近中で開催を心配してることなどを話した。するとこんな反応があった。

 「そんなたいへんな中でも、開催しようとされたり、集まってこられる方があるというのは、とても有り難いことですね」と。

いや、まったくその通りだ。

 安易にリモートに逃げないで、台風のリスク、コロナのリスクも受けながら、開催して集まってくださる方があることが有り難い。 確かに、コロナや台風の影響で、参加者はとても少ない。普通の集まりなら中止という判断されるだろう。でも、たとえ一人でも二人でも法座を開き、居酒屋で懇親会までやるという。その心意気が尊い。ぼくも、人数の多少ではない。聞いてもらいたいと思う人もおられる。そうなると勇んでお参りさせてもらえるのだ。帰れなくなる場合の備え、翌日の宿も確認する。猛烈な台風の接近に予定どうり行き来できるのかという心配もある。

 それでも、共に仏法讃嘆させてもらいたいと、こころは勇んでいる。有り難いことである。

 

|

『善き知識を求めて』輪読始まる!

『仏敵』が終わり、『善き知識を求めて』を、順番に音読しみんなで味わう。今回も、車座になると道場にいっぱいになるほど、盛況。これは『仏敵』の続編というよりも姉妹編の性格があって、『仏敵』と合せて読んでこそ意味が深まる一冊。

 今は、皆さんがもっておられる『善き知識を求めて』は、昭和の終わりに再版されたもの。今年、ご往生された運営委員のIさんのご尽力である。ただ古い本の写真製版で専門業者ではなかったこともあって、印刷が悪い。また字が小さくて読みづらいのが欠点。これは拡大コピーで対応していきたい。新版『仏敵』に合せて、ある先生が現代仮名遣い版を作ってくださっているが、こちらに力なくして発行に至らずにいる。残念であるが、これもぜひ実現したい課題である。

 さて今回の内容である。

 今回は、伊藤先生の幼少期の宗教的な記憶から、大学林(現龍谷大学)に入学した頃の話題である。これを読む限り、幼少期の伊藤先生は罪悪観よりも無常観の人であることは分かる。4-5歳ころに縁台から墜ちたこと、徳ちゃんという友達の突然の死、そして10歳頃にお父様が事故にあい、同時に先生も腎盂炎で命が危なかったこと。その時、痛み苦しむ子どもを前にしたお母さんの言葉が尊い。

 朝にはお父さんの病院に連れて行くといった後、「もしそこまでに死んだら、お念仏ひとつで仏様に救って頂くのです。さあ、わしと一緒にお念仏しましょう」と、母親がお念仏称えたので、先生も苦しい息のなかで絶間絶間に念仏されるのだが、薄暗いところへ沈んでいきそうだったというのである。10歳の時のことである。瀕死の子ども前に、「もしそこままで死んだら」と言った母親を尊く思う。その後、もしあの時死んでいらたの不安と、黒い死の影が先生をつきまとう。

 そして、大学に入学後の夏休み、病気で倒れた故郷の親友を見舞うのだか、想像以上に重体で、その彼から仏法の救いを求められるも、その友はまもなく死ぬ。仏法を語れぬ、もしくは自信のない手ぬるい言葉を並べざるを終えない、自身を深く恥じられる章も、グッとせまるものがあった。

 先生は、他に自らの落第ぶり、懈怠ぶりも合せて記され、それとは対照的に、宗教的天才である栂尾の明恵上人の幼少期のエピソードを挙げて絶讃される。自らの下根ぶりを卑下されているが、幼少期より尊い仏縁に会っておられることが、有り難かった。

 次回は、本格的な大学時代のエピソード。ここは『仏敵』にも重なるものがあります。楽しみです。

 ◎日時=10月7日(水)か、14日(水)夜18時50分~21時
 (高山法座との調整中です。決定しだいおしらせします)

 ◎『善き知識を求めて』の19頁(信仰書の乱読)~33頁(友の言葉に刺激されて)

 

 

|

« 2020年8月 | トップページ | 2020年10月 »