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『日本人の忘れもの』~フィリピンと中国の残留邦人

 8月に観た刺激を受けたり、目からウロコのドキュメンタリー映画が続けて4本(プラス以前の1本)のシリーズの第2弾。

『日本人の忘れもの』~フィリピンと中国の残留邦人

 企画・製作(出演も)は、弁護士の河合弘之氏だ。彼自身が、満州生まれの引揚者で、兄弟を失くしている。有名な経済大型事件を担当しているが、原発差止訴訟でも有名で、映画『日本と原発』などの製作・監督している。映画を観たり著書を読んで、大いに教えられた。そして本作でも目から鱗だった。

  中国(満州)での残留日本人孤児の問題は、80年代に大きな話題となって関心も高かった。テレビでは、感動的な家族の再会シーンが繰り返して流されていた。感動的な美談が消費されたあとは、帰国後の苦悩や問題点は関心がもたれることはない。中年になってからの日本での新しい生活。言葉や習慣の違いで苦しみ、経済的苦悩がつきまとう。高齢となっても年金が受け取れず、大半が生活保護受給で、辛うじて生き延びるが、中国に残る養父母の葬儀にも出れない。何よりも、同じ日本人から差別的な扱いがあるのだ。国も世論におされて、帰国政策を勧めてきたが、包括的な生活支援の法整備は無策のまま放置してきた。感動的な家族の再会シーンに涙し熱中した人々が、帰国邦人の正当な国の支援(つまり税金)に対しては「特別扱いをするな」とクレームをつけるというアンビバレンスな構造もある。そこには、帰国邦人が環境に適応するための労力に対して、まったく想像力が欠如し、また国策としてなされた移住、そして戦争責任についての歴史認識の欠如という問題もある。その点では、まさに日本人の忘れものというタイトルがピッタリである。

 帰国事業が進めれた中国残留邦人よりも、悲惨なのはフィリピンの状況だ。戦前、多くの日本人が渡り、そこで現地の女性と結婚し、日本人として家庭をもっていた人たちが多い。3万人以上の日本人の移民社会があったという。しかし、戦争が激しくなり、現地では男性が徴兵や徴用で戦争に駆り出され、戦死や負傷したものや日本に戻されたもが多い。そして、敗戦。残された妻子は、日本人であることが分かると殺害の恐れがあるので、身分を隠して山岳地帯に逃げ延びるのだが、その子が日本人であるという証明がなく、またフィリビン国籍もない、無国籍状態のまま取り残されるのてある。国は、その実体を知りながらも、フィリピン移住は国策ではなく各自の意志であったこと、大半がフィリビン人との混血児(ママ)であること、そして終戦のどさくさで現地に残ることを奨励。混乱の中で日本人だという証明も残っていなどの理由で、無国籍状態を放置してきたのである。国策で渡り、また両親が日本人である中国残留邦人とは事情が違うというのが、国家の言い分である。父親を戦争で徴兵しながら、この言い分がまかり通るのだ。

 結局、国家は国家の論理で動く。決して、弱者を護るためにあるのではない。もちろん終戦直後の混乱期はしかたなかったもしれない。しかしその後の高度経済期においても、決して日本人の忘れものを取りにいくことはなかった。現状を認識しながらも、高齢(76歳以上)になっている残留邦人が死に絶えることを待っているかのような無策ぶりだ。

 それに対して、残された時間が少ない中で、一人でも多くの日本人の国籍を取り戻そうとする人達の活動を描いている。国連が動き、フィリピン政府が動く。しかし、一番張本人の日本は動かない。「戦後レジュームからの脱却」を目指すアベ政権が、本来取り戻さねばならない忘れ物ではないのか。でも現実はまったく方向違いだ。

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