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四十九日(満中陰)法要

 お盆週間の初日。東京オリンピックの閉会式に合せて、3連休。
 6月の葬儀を勤めた日高(豊岡市)の同人宅へ。四十九日(満中陰)法要である。朝からの法要なので、久しぶりに列車にした。山陰本線、二条から花園、太秦、嵐山、そして保津峡、亀岡のサンガスタジアム(今春、こけら落とししたサッカースタジアム)、明智光秀の福知山城と、車窓の風景も楽しめた。サンガスタジアムに、麒麟が来ると、観光で盛り上がるはずだった丹波地方だか、あては大きく外れた。列車もびっくりするほど空いている。城崎温泉行の観光列車だが、ぼくが乗った車両は始発の京都駅で3名のみ。二条駅で数名乗り込んだが、みんな福知山までに降りて、その先に進んだのはぼく一人。前後の車両もそんな感じで、お盆のコロナ自粛の影響を実感。

 仏間にはけっこう人が集って密状態だ。勤行のあと、30、40分の法話。
 
 深いご因縁がある。30名近い参詣者の6割は、父のことも覚えていおられる。故人のお子さんたち、従姉妹たちも、みな仏の子供大会に参加されている。それぞれのエピソードも思い出せるが、そのお子さん(つまり故人から孫)になると、日高の日曜学校での思い出はあるが、子供大会には参加されていない。そこまで力が及ばなかったのは残念だ。法話は、故人のこと、故人のお父様のこと、そして昨日が命日だったわが父のこと。そして神鍋高原での仏の子供大会のこと。すべて仏法聞いてくれよとの仏様からの働きかけだったと、しみじみ。

 法事が終わり、神鍋高原にあるホテルへ移動。途中にあった民宿は、この会場の時に溺死者に遭遇した。会食は、ゆったりとした間隔で着座。隣のMさんは1学年下だが、彼女も9年間、仏の子供大会に参加した幼なじみだ。いまは、子供たちが上も下も同級生で、大学生。それでもまだ子育ての難しさに共鳴。子供大会のこと、父とのこと、少しずづでも仏法のことが話題にのぼるように,,。

 いろいろと経緯があった葬儀の依頼たったが、改めて仏縁の深さを感じさせられた。合せて華光会の財政面での貢献くださったことも、感謝。

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