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8月の法話会と東京支部法座~誰かひとりでもいい~

 今回の東京支部法座も、1日だけのzoom配信での法座となった。

 華光会館で法話会を開いて、それを東京支部の方にzoomで配信。京都組は20名、zoom組も20名、そこにzoomでも林野会館組10名の、合計50名が集結。今回の一番の工夫は、zoomに不慣れな方、もしくは会場の近くの方を東京の会場に集めた法座が持てたことだ。法話は一斉に聞いてもらうが、小グルーブの方が分級座談会が活発になる。
 京都組は10名ずつの2グループ、zoom組も10名ずつを2グループに分け、そこに、東京の会場に集まったグルーブと、5つでの分級座談会を行うことができた。多少は感染ピークを過ぎたといえ、まだまだ東京を中心に新型コロナの感染は拡大しており、そんな中でどうように法座を進行していくのかを、支部長を中心に相談されながら進めておれた成果である。これがひとつのモデルケースになるのではないだろうか。

 これまでzoom法話は同人が中心だったが、東京からの初参加が3名、京都も何十年ぶりの方が加わって、新鮮な顔ぶれ。初参加者の華光との出会いは、同じような経過をたどっておられる。発言内容を聞く限り、ぜひ、ご聴聞の焦点が定まって聞いていただけたいなーといのが率直な感想。

 結局、私は自分のことを客観的に位置づけ、みることはできない。それで、真面目に仏法に向き合っているつもりで、また本人としては、精一杯、自分事として質問されているのだが、如来様の生きた働きも、ご信心も、自分が抜けた外郭しか問題になっていない。だから方法論や「どうしたら」の質問ばかりが続く。「阿弥陀様からのお働きならば、それに出会えるように宿善を厚くするのですか」とか「どうしたら飛び込めますか」とか、「〇〇〇となったのが信心ですか」などなどである。もちろん、これもある意味では通らねばならないプロセスなのではあろうが、不毛な問いに囚われないで、自分自身に向き合ってもらいたいものである。とはいっても、結局、この問いにおつきあいしないかぎり、「どうすれば自分の問題になってむきえますか」という問いを発せられるのが、オチだ。
 
 結局、そこを破っていくのが同行、知識との出会いである。聞きっぱなしの法話では、結局、自分の都合でしか聞かないのである。確かに、それは自分が傷つくことはないし、イヤな思いもしなくてもいい。方法論を超えるのも、そこを破っていくのかどうかにかかっている。結局、座談会があっても、ただ正解を言うことに腐心をしているようなら意味がない。聞法とは、聞き間違いを糺してもらうことにこそ意味があるのだか、まず率直な表明が第一である。そのためには、玉砕覚悟でぶつかったいかねばならない。ある意味では、根気も、勇気も、気力もいることではあるが、そこをショートカットしてスマートに聞き、自分の心境の変化を後生大事に守っていこうとされる方が増えている。面白いぐらい、その方々の心境もよく似ている。もしこれかこれからの時代だとするなら、何となく恐ろしい。
 
 だれかひとりでいい。そこを突破して大信海に躍り出る者がでらば、大津波が引き起こされるのではないか。

 

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