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『仏敵』終わる!

「仏書に親しむ会」も『仏敵』の最終回だ。最近はお参りの方増えている。もともと10名程度で推移していたが、今は20名前後の集まりがある。有り難いことだ。

 最後の章の残ったところを、一つ前の段落からいただく。『仏敵』は1年2ケ月で読む終えた。

とにかく 面白かった。声に出して読む。もちろん読むだけではなく、味わいや気づきも話し合うが、まずはその文章をいただくことが大切だ。その中で、新たな発見があった。何度も何度も読んでいるのに、気づかなかった一文に出会う。今だに理解できない部分もあるが、「分からない」ということが分かっただけでも、大収穫。そこをまた繰り返し味わっていけばいいのである。

 今回も短いの文章に中にも、味わうべき言葉が散りばめられていて、みなが口々にそこを味わっていった。

 最後に、一昨年まで熱心に参加されながら、いろいろな経過で少し距離が出来ていた20代の女性が、勇気をもって、自分の心境のありのままを、声に出してくださったのが、とても有り難かった。

 だれもが傷つきたくない。認めてもらいたい。同時に、後生の大事は、決して誤魔化して通るところではない。結局のところ、いろいろな人の働きかけがあったとはいえ、自分の後生の問題は、自分が向き合っていくかしないと、一歩、踏み出す覚悟を涙ながらに語ってくれた。自分の力で破るのではない。先生や同行に出会い、向き合っていくからこそ、開けてくる世界があるのた。その態度こそ『仏敵』で伊藤先生が出会った、野口道場の念仏者との出会いではなかったか。。

 大正時代の『仏敵』の世界。昭和、平成、令和と100年の時代を経たが、まったく同じ法の躍動が、ここにも生きている。若い彼女の口を通して、それが実証されていく。最後の最後の尊い声を聞かせていただいた。南無阿弥陀仏

 次回から、この続編ともいうべき、『善き知識を求めて』を読んでいく。
 9月2日(水)18時50分~21時。奮ってご参加ください。

 追加=以前から、『仏敵』を最初から最後まで、声に出し通読するという、フラフラになりそうな企画を温めています。コロナがある程度収まることが前提ですが、2日間はかかると思いますが、本気でやりたい方を募ってやりたいと思っています。お楽しみに!

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