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2020年8月の21件の記事

『なぜ君は総理大臣になれないのか』

  8月に観た刺激を受けたり、目からウロコのドキュメンタリー映画が続けて4本(プラス以前の1本)のシリーズの第4弾は、『なぜ君は総理大臣になれないのか』

 これら4本の映画を連続3日間(『沖縄戦』と『鈴木邦男』は、15分の休憩を挟んで1日)で観たが、その最後が『なぜ君は総理大臣になれないのか』である。

 現役の野党(今は何党になるのかな?)の中堅、国会議員、小川淳也を追いかけたドキユメンタリー。とにかく面白かった。政治家の選挙運動、家族とのかかわり、悩みや葛藤、人間の弱さや意志、そんな人間性が、記録映画というよりエンターテーメントとしても、充分に楽しめたのだ。

「地盤、看板、カンバなし」からの負け戦か出発して、選挙区では、地元を牛耳る四国新聞・西日本放送のオーナー一族に挑戦し続ける。巧みな情報操作(一見、公平を余所いながらも)の記事やニュースに接する。結局、弱い野党の中でも、いくら小選挙区で善戦しても勝てず、野党内でもいまひとつ地位をえられない。それでいながら世の中を良くしたいという青臭い志をもち、どこまでも誠実であろうと苦悩し、それを「政治家に向いていない」と言いいつつ家族が一丸となって支え続けている。

 何よりも面白かったのは、民主党ぐるみでの希望の党への合流のドタバタ劇と、小池百合子の「排除します」発言(今となっては懐かしい)から逆風が吹き荒れる中での壮絶な選挙。前原誠司の側近としての苦悩、同じ香川で、高校・大学(東大・官僚としての先輩・盟友でもある玉木雄一郎との関係で苦闘する姿だ。そして、応援弁士の井手教授の演説に胸が熱くなったり、家族のひたむきさも胸にせまる。

 判官贔屓という言葉があるがひたむきな敗者を応援する風潮があるのかもしれない。ただ弱いだけでも、人情だけでもない、何か今の政治に欠けているものが見えてくるかのようだった。

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8月の法話会と東京支部法座~誰かひとりでもいい~

 今回の東京支部法座も、1日だけのzoom配信での法座となった。

 華光会館で法話会を開いて、それを東京支部の方にzoomで配信。京都組は20名、zoom組も20名、そこにzoomでも林野会館組10名の、合計50名が集結。今回の一番の工夫は、zoomに不慣れな方、もしくは会場の近くの方を東京の会場に集めた法座が持てたことだ。法話は一斉に聞いてもらうが、小グルーブの方が分級座談会が活発になる。
 京都組は10名ずつの2グループ、zoom組も10名ずつを2グループに分け、そこに、東京の会場に集まったグルーブと、5つでの分級座談会を行うことができた。多少は感染ピークを過ぎたといえ、まだまだ東京を中心に新型コロナの感染は拡大しており、そんな中でどうように法座を進行していくのかを、支部長を中心に相談されながら進めておれた成果である。これがひとつのモデルケースになるのではないだろうか。

 これまでzoom法話は同人が中心だったが、東京からの初参加が3名、京都も何十年ぶりの方が加わって、新鮮な顔ぶれ。初参加者の華光との出会いは、同じような経過をたどっておられる。発言内容を聞く限り、ぜひ、ご聴聞の焦点が定まって聞いていただけたいなーといのが率直な感想。

 結局、私は自分のことを客観的に位置づけ、みることはできない。それで、真面目に仏法に向き合っているつもりで、また本人としては、精一杯、自分事として質問されているのだが、如来様の生きた働きも、ご信心も、自分が抜けた外郭しか問題になっていない。だから方法論や「どうしたら」の質問ばかりが続く。「阿弥陀様からのお働きならば、それに出会えるように宿善を厚くするのですか」とか「どうしたら飛び込めますか」とか、「〇〇〇となったのが信心ですか」などなどである。もちろん、これもある意味では通らねばならないプロセスなのではあろうが、不毛な問いに囚われないで、自分自身に向き合ってもらいたいものである。とはいっても、結局、この問いにおつきあいしないかぎり、「どうすれば自分の問題になってむきえますか」という問いを発せられるのが、オチだ。
 
 結局、そこを破っていくのが同行、知識との出会いである。聞きっぱなしの法話では、結局、自分の都合でしか聞かないのである。確かに、それは自分が傷つくことはないし、イヤな思いもしなくてもいい。方法論を超えるのも、そこを破っていくのかどうかにかかっている。結局、座談会があっても、ただ正解を言うことに腐心をしているようなら意味がない。聞法とは、聞き間違いを糺してもらうことにこそ意味があるのだか、まず率直な表明が第一である。そのためには、玉砕覚悟でぶつかったいかねばならない。ある意味では、根気も、勇気も、気力もいることではあるが、そこをショートカットしてスマートに聞き、自分の心境の変化を後生大事に守っていこうとされる方が増えている。面白いぐらい、その方々の心境もよく似ている。もしこれかこれからの時代だとするなら、何となく恐ろしい。
 
 だれかひとりでいい。そこを突破して大信海に躍り出る者がでらば、大津波が引き起こされるのではないか。

 

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『愛好者に気をつけろ!~鈴木邦男~』

   8月に観た刺激を受けたり、目からウロコのドキュメンタリー映画が続けて4本(プラス以前の1本)のシリーズの第3弾。

  愛好者に気をつけろ!~鈴木邦男~』  4本の中でインパクトというか、意外性が一番だったのが、この作品だ。前の2本は、これまでの学びでの延長線にあるものであったが、この映画は、ぼく自身が、レッテルを張って決めつけていた偏見を破られたという意味で、一番、目からウロコ率が高かったのである。
 
 最初は、見ないという選択肢を取ったいた。武闘派右翼活動家として名を馳せた鈴木邦男を取り上げた映画だったからだ。右翼といいう言葉一つで、誰もが共通するような紋切り型が出来上がってしまう。愛国を叫び、天皇を崇拝し、旭日旗をはためかせ軍艦マーチの大音響の街宣車を走らせ、日教組(古いけど)や共産主義を攻撃し、反日的と決めつけたものを(映画でも芸術、新聞社でも人間で)実力行使で攻撃する。一言でいうと、自分とは対極にいる聞く耳を持たない怖い人達というイメージを抱いているからだ。

 ところが映画の主人公は、その紋切り型からの対極にある意外な人物像が映し出しされていく。

 寡黙で、質素な好々爺。本に囲まれたボロアパートに住み、さまざまな立場の人達の声に耳を傾け、若者の集会にも気軽に顔出し、孫のような娘にいじられても、ニコニコと黙っている。これが武闘派、民族派と呼ばれた人なのか。

 しかも、その政治姿勢にも驚いた。安保法制に異議をとなえ安陪内閣が勧める憲法改憲に反対し、反対勢力(立憲民主の議員)の選挙応援の演説をする。クジラ問題を取り上げ映画(ザ・コープ)が反日映画であると、映画館前での右翼の妨害活動の現場では、「映画も見ないで上映禁止はおかしい」と、体を張ったカウンター行動をとる。オウム真理教の信者たとも交わり、特に麻原の三女(アーチャリー)を娘のように可愛がり舞台ではその父親役(つまり麻原彰晃)を演じ、村井殺害犯で刑期を終えた徐裕行氏と上祐氏を引き合わる。または元拉致被害者家族会の事務局長で、今は安陪さんに批判的な蓮池亨氏と親交を結んだり、元連合赤軍のメンバーとの会合せ持っている。

 要は、さまざま政治、宗教、そして思想をもつ人達と、立場を超えて本気で付き合っているのである。そこにあるのは、相手に立場を尊重して耳を傾ける姿勢である。そして、立場で行動するのでも、世間の風潮や空気を読んで発言するのでもなく、自分自身が本気でその問題に向きい、自分の言動に対して責任を負う覚悟が滲み出ている。

 「批判精神がないところでは恐ろしいことしかおきない。批判精神と、批判される精神である」

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歩みは続く

 同人会ニュースを発行する。

 これまで同人会ニュースは、伊藤康善先生の華光誌の記事を誌上法話として掲載してきた。創刊号を含む一桁号(1~9号)は、華光誌の40号前後の「月報」時代に、瑞光集として掲載済で、それ以降のものを掲載してきた。いずれも短文でちょうどいい長さであった。しかし、これも原稿が尽きた。改めて「瑞光集」の再掲載(これすら既に40年経過。そう、華光誌は来年80周年の記念なのだ)も考えている。

 その前、何か面白い記事はないか、古い華光誌を探していたら、面白いものを見つけた。母が、中央仏教学院の時の記事だ。母の記事は他にまだ15歳の時の前々号の記事が面白かったが、掲載には長すぎた。それで、「聖徳太子の夢」というタイトルだけでは内容が読めない、本記事を載せたのである。

 事前に母には伝えていたが、同人会ニュースの巻頭を飾るとは思っていなかったらしく、一番驚いたのは母だった。文章は大幅に父が手直ししたのではないか。随分、大人びたものではある。が、本人曰く、「でも、内容は幼いナー」と。中央仏教学院の2年目、16歳の時だという。「聖徳太子の夢」、いまなら「福沢諭吉の夢」ということになる。

 和歌山の田舎のごく普通の門徒の家に生まれた母が、姉の導き、善知識との出会いによって、小学6年生の時に真実に目覚めをしたのである。そして、中学の卒業と共に伝道の道を歩むことになるのだがら、何とも尊いことだ。仏法との出会いが単なる内面の喜びに留まらず、凡夫を奮い立たせ、歩ませる力があるということだろう。それから70年以上、その歩みはいまも続いている。南無阿弥陀仏

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ご縁がない

 高山支部法座が、前日の夜になって、急きょ中止になった。準備万端だったので拍子抜けだ。高山はこれで3回連続で中止、今年はつくづくご縁がない。

 ただ、今回はコロナではなく、同人のFさんのご往生の訃報である。会所の向えのお家、ご親戚である。通夜や葬儀が、まるまる支部法座と重なってしまった。
 92歳でご往生されたFさんは、最後の最後まで、華光のビデオ係として大活躍してくださった。悟朗先生から頂かれた仕事だと、老骨に鞭打って頑張ってくださったのだ。そのご苦労に厚く御礼申し上げたい。ありがとうございました。南無阿弥陀仏

 コロナの影響で、3月の高山支部から中止が始まった。その前日の大阪支部が開かれたが、高山支部以降は中止の流れが出来たようだ。そして、緊急事態宣言解除直後で、5月の高山支部も中止。こちらも、その日に華光会館では、京都支部法座が開かれていたが、高山でのご縁はんくなった。

 他に支部法座が再開できないのは、東京支部法座もある。でも東京はZOOM法座を行い、zoom懇親会(飲み会)までやっている。リモートでも、それなりに盛会である。8月の支部法座では、各家庭のzoom法座以外に、ZOOMが出来ない人を会場に集って座談会をするグループも作ることになった。ほくは京都から法話し、会館でも座談会。つまり京都、東京、そしてZOOM組の三元での法座である。

 残念ながら、同一地域におられる高山の皆さんにそんな動きはない。リモートができる人はいても、まだその機運がないので、このあたりはぜひ働きかけてみたい。今回は中止になったが、別日程での開催をお願いしたら、こちらは実現しそうで楽しみだ。南無阿弥陀仏。

 

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親ごころ

 北海道に帰省していた連れ合いが、大きな荷物を引きづるように帰ってきた。

 当初は、都会からの帰省は止めるつもりだった。姉が東京で働いていることもあって、義母が迷っていたからだ。それでも、横浜にいる義姉の呼びかけでお盆をずらし、姉妹で戻ることになった。実家は、自然豊かな果樹園で、庭先にキツネやオコジョ、こんな立派な角をもったシカまで現われるようなところ。他の人への影響はないのだが、やはり高齢の両親が心配だったのだ。

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<ここが庭というのもすごいけど↑>

  連日38度越えの猛暑の京都から夜は肌寒い北海道。そして、留萌での超豪華ウニ丼(バフンウニ・5000円也!)と、短い間の北海道を満喫していた。

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<馬糞のネーミングはどうなの?↑>

 そして、抱えきれないほどの大量の北海道の幸を、カバンを引きずるようにもって帰って来た。スモモやブルベリーは本職だが、立派なきゅうりやなすびなどの野菜は、出発直前に線に庭からもいできたものだという。いや~有り難い。他にも、地元深川の名産品に、北海道の定番の土産が並ぶ。写真にはないか、山のようにお手製のパンや肉類もあった。いつも「車でなくて、飛行機なのよ」と困りながら、時間ギリギリまで荷物に詰め込まれて、時には追加料金が必要なほどものお土産。

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 親おもう こころにまさる 親ごころ

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手作り

 広島から戻ると、京都駅で母と長女、そして、高槻で、出産した娘と孫のお世話をしている姉と待ち合わせて、会食をした。実は、昨年も、広島カウンセリングWSあと、東本願寺前のお店で姉たちと食事をしているが、今年も、なぜかまったく同じ流れになった。顔ぶれは少しだけ違って、母と姉、ぼくの3名は同じだが、今年は北海道に帰省中の連れ合いに代わり長女が加わった。コロナ対策で、半個室になるお店を選んだ。しかもテープルの真ん中には、大きなパーティションがおかれていた。透明のアクリル板の仕切りで、課は見える。しかし横同士はいいが、向いの人には声が届きづらい。勢い大声になってしまう。壁で仕切られているのに、お隣のテーブルからの声がよく聴こえるという不思議な現象が、、。今は致し方はなしだな。

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 連れ合いの帰省で留守の間、長女が食事を作ってくれた。

 有り難いことに、ブラジルでは調理の専門学校に通っていたこともあって、料理は得意だ。時には、材料から作る本格派。前回までは、連れ合いが不在の時は、ぼくが用意していたのだから、すごい成長である。せめて片づけだけは父娘の共同作業で。

 食事以外にも、手作りのお菓子は趣味のようで、腕をふるってくれるのは、うれしい。

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<桃のパンナコッタ >

 長い海外生活で自転車、スマホ、PC買い物も多い。なにかとい何年か分を取り戻す日々。

 

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『日本人の忘れもの』~フィリピンと中国の残留邦人

 8月に観た刺激を受けたり、目からウロコのドキュメンタリー映画が続けて4本(プラス以前の1本)のシリーズの第2弾。

『日本人の忘れもの』~フィリピンと中国の残留邦人

 企画・製作(出演も)は、弁護士の河合弘之氏だ。彼自身が、満州生まれの引揚者で、兄弟を失くしている。有名な経済大型事件を担当しているが、原発差止訴訟でも有名で、映画『日本と原発』などの製作・監督している。映画を観たり著書を読んで、大いに教えられた。そして本作でも目から鱗だった。

  中国(満州)での残留日本人孤児の問題は、80年代に大きな話題となって関心も高かった。テレビでは、感動的な家族の再会シーンが繰り返して流されていた。感動的な美談が消費されたあとは、帰国後の苦悩や問題点は関心がもたれることはない。中年になってからの日本での新しい生活。言葉や習慣の違いで苦しみ、経済的苦悩がつきまとう。高齢となっても年金が受け取れず、大半が生活保護受給で、辛うじて生き延びるが、中国に残る養父母の葬儀にも出れない。何よりも、同じ日本人から差別的な扱いがあるのだ。国も世論におされて、帰国政策を勧めてきたが、包括的な生活支援の法整備は無策のまま放置してきた。感動的な家族の再会シーンに涙し熱中した人々が、帰国邦人の正当な国の支援(つまり税金)に対しては「特別扱いをするな」とクレームをつけるというアンビバレンスな構造もある。そこには、帰国邦人が環境に適応するための労力に対して、まったく想像力が欠如し、また国策としてなされた移住、そして戦争責任についての歴史認識の欠如という問題もある。その点では、まさに日本人の忘れものというタイトルがピッタリである。

 帰国事業が進めれた中国残留邦人よりも、悲惨なのはフィリピンの状況だ。戦前、多くの日本人が渡り、そこで現地の女性と結婚し、日本人として家庭をもっていた人たちが多い。3万人以上の日本人の移民社会があったという。しかし、戦争が激しくなり、現地では男性が徴兵や徴用で戦争に駆り出され、戦死や負傷したものや日本に戻されたもが多い。そして、敗戦。残された妻子は、日本人であることが分かると殺害の恐れがあるので、身分を隠して山岳地帯に逃げ延びるのだが、その子が日本人であるという証明がなく、またフィリビン国籍もない、無国籍状態のまま取り残されるのてある。国は、その実体を知りながらも、フィリピン移住は国策ではなく各自の意志であったこと、大半がフィリビン人との混血児(ママ)であること、そして終戦のどさくさで現地に残ることを奨励。混乱の中で日本人だという証明も残っていなどの理由で、無国籍状態を放置してきたのである。国策で渡り、また両親が日本人である中国残留邦人とは事情が違うというのが、国家の言い分である。父親を戦争で徴兵しながら、この言い分がまかり通るのだ。

 結局、国家は国家の論理で動く。決して、弱者を護るためにあるのではない。もちろん終戦直後の混乱期はしかたなかったもしれない。しかしその後の高度経済期においても、決して日本人の忘れものを取りにいくことはなかった。現状を認識しながらも、高齢(76歳以上)になっている残留邦人が死に絶えることを待っているかのような無策ぶりだ。

 それに対して、残された時間が少ない中で、一人でも多くの日本人の国籍を取り戻そうとする人達の活動を描いている。国連が動き、フィリピン政府が動く。しかし、一番張本人の日本は動かない。「戦後レジュームからの脱却」を目指すアベ政権が、本来取り戻さねばならない忘れ物ではないのか。でも現実はまったく方向違いだ。

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コロナ禍の広島真宗カウンセリングWS

 今年の広島真宗カウンセリングWSは、形式を大幅に替えての開催となった。

 二泊三日間の合宿形式から、2日間の通い、しかも朝と昼座のみで夜座はなし。会場も、広くて換気がよく音響施設もある広島別院の会議室に変更。ぼくは、久しぶりの広島別院だったが、前回も真宗カウンセリングの集いでお邪魔した。窓は空けてはいるが、1時間毎に全開して換気。間隔をあけて座り、マイクは二人で1本、さらには、お茶やお菓子も出せず、昼食も各自か個別で食べる対応。もちろんマスク着用、入場にはアルコール消毒、2日間とも開始前には、コロナ対応の手引きをプリントで説明。終了後は、消毒の掃除もおこなった。

 正直、煩わしことばかりだが、手間を惜しまず出来る限りの対応を行った。それでも開催しうようという力が、このクループにはあるということで、参加者も揃ったのだ。世話人3名を含め初日が9名、2日目が10名という構成。メンバーは広島在住の方に限った。

 2日間で、多少の出入りがあったが 継続されたメンーバということで、最初から話題がつきなかった。メンバーに対する安心感が構築されているからである。本来は、グループを形成するに時間を費やしていく必要あるが、その必要はなかった。これにはよい意味もあるが、馴れ合いや固定化などの問題点も起こる。内容には触れることはできないが、単なるカウンセリングWSにはない、真宗カウンセリングWSならではの信心の領解について、こころを開いた率直な表明が出されていたのではないか。

 同じ浄土真宗のみのりを聞くものではあるが、そのお育てによって大切にしている部分が違うことがある。これはもう60年前からのテーマではある。大きく、西光先生のご縁やカウンセリングからの流れを汲む人達、信楽先生の流れをくむ人達、そして華光でお育てをいただく人達が、一同で出会う。共通の土壌も多いが、大切にしている部分の違いもある。お互いを尊重しつつ、各人か譲れない部分があるというのが面白い。当然、ぶっかったり傷ついたりすることもあろうが、一方で、同質のものだけが集っても得られない緊張感、発見や気づきも起こるのが面白い。他者との出会いとは、結局、自分を知ることであり、自分の聞いてきたことが広がることに他ならないのである。

 4座のセッション、1泊2日間と同じであるが、夜座や懇親会がなかったので、アッという間に過ぎさった感がする。これからというところで終わり、勿体ないーとも感じたか、今年に関しては、何よりも無事に開催できてよかったなーというのが実感である。ありがとうございました。

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M家のお盆法要~私・ご恩・仏さま~

  M家のお盆法要を兼ねた京都支部法座。8月と12月の年二回、M家を会所に法座を開いてくださっていた。昨年2月に奥様(N子さん)が入院されてからは、会場が華光会館に移ったが、そのN子さんは今年2月にご往生され、初盆の法要とも重なった。

 コロナ緊急事態宣言以降、華光会館の法座のお参りは増えている。今日も30名以上のお参りがあり、加えてzoomを開放したこともあって、アメリカからご縁が数名も加わり50名以上の参詣者となった。zoomのおかげで遠近各地からのお参りがある。勤行、法話、そして座談会の後、N子さんの作詞、Mさん作曲のなま歌の披露も、最後にあった。『仏説阿弥陀経』の勤行。「其仏本願力 聞名欲往生 皆悉到彼国 自致不退転」の、いわゆる破地獄の文を回向句も最後に頂いた。

 法話は、『子供の聖典』の二つの図表をもとに、父が得意だったもくしはオリジナルの教材を使った。伏線がある。よく聞法されている方が、この表を「知らない」と仰ったからだ。確かに、どんなに熱心でも、父の法話をライブで聞いた方は7年以上前からお参りされている方に限られる。同じようで、実は顔ぶれも少しずつ変化しているということである。ベテランの方は何度も聞いたことのあるお話だが、晩年にはこの話をありまりしていない(特に心の四つの窓)ので、10数年ぶりになるのじゃないかなー。

 一つは、『子供の聖典』57頁の「心の四つの窓」、こちらは心理学ではジョハリの窓といわれる有名な話。オープンな、明るい窓を広げるためは、自己開示をして秘密の窓を広げ、また他人の言葉に耳を傾けてフィードバックして他人の窓(気づかない窓)を広げていけばいいのである。しかし、それでも自分にも他人にも、つまり人間には分からない暗黒の窓が残る。心理学的には、ここが小さければ、小さいほどオーブンな明るい人ということになるのだが、仏法の上からいうなら、この窓こそ人の知恵では絶対に分からない、仏様に照らされてこそ明らかになる迷いの窓といってもいい。結局、聞法することは、ここを知らされることなのだが、自分の力では決して知れないことに気づかねば、分からない世界である。つまりそれが、60頁の「内省の世界」~私・ご恩・仏さま~の三角形の図である。今生事での反省ではなく、仏様に照らされた内省の世界である。

 仏の子供大会での定番のネタであるが、久しぶりに華光誌を読み返し、単なる2次元の三角形ではなく、円錐形の立体であったことを、すっかり忘れていた。私は上へ上へと他の命を犠牲しても上がりたい。しかし、上に上がれば上がるほど孤独で、不安定で不安が尽きない。自分一人で生きたきたと、ご恩を忘れているからだ。そのご恩を教えられ、目が内に向きだす。上ばかり見ていたものが、足元をみるのである。すると、その歩みにはさまざまな命のお蔭があった。お蔭やご恩といえば聞こえがいいが、裏返せばすべて罪業である。どこに私の為に食べられてもいい、喜んで死のという命があるのか。命の犠牲の上にといえばきれいだが、ほんとうは絶対に死にたくない命を奪い、殺生して、命を長らえているだけのことである。それが外ならぬ私が私の地獄を造っている姿だ。死んでから先に地獄が誕生するのではない。毎日、毎日の日暮らしの中で地獄を造っているのである。そしてその三角の底辺、踏みつけられた地獄の世界に落ちてくださっているのが、仏様なのである。にもかかわらず、私は、上に上に、極楽に仏様を探し、有り難くなった時だけ心境の変化とか、仏法が聞けたと錯覚をしているのである。まったく方角違いである。

 実は、阿弥陀様は高いところで待ってはおられない。お浄土でじっとしておられなかった阿弥陀様は、私の苦毒の中に、阿鼻の苦の中に、無間地獄の中に飛び込み、いつ浮かびあがるかもわからない世界に落ちても、決して後悔はしないと、私を待ち呼びつづけてくださっているのである。地獄の私を見つけてくださり、そこに先手で飛び込んでくださっているのだ。
 ならば、私の仕事はただひとつ。自らの業のまま、諸手を挙げて落ちていけばいいのである。

 「たとえ身は、苦難の毒に沈むとも、願い果たさん、その日まで、しのび励みて悔いざらん」 南無阿弥陀仏

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異例のお盆参りも…。

     今日も朝から暑い。鴨川を遡って市原に向う。緑豊かな場所だが、今年はさすがに暑かった。鴨川の親水公園では、水遊びをしている家族連れが多かった。たぶん、お盆の帰省や遠出を自粛されている方が多いのだろう。

 1年に一度が、ここの家族にお会いするのが楽しみである。大きな声で勤行され、お念仏もされる。法話の後も、いろいろと近況が出る中で、先輩(50代)の相次ぐ死を通して、祖父母や両親とはまた違って、自己の死も意識するようになったという話題が出る。なんとか仏法に結びつけていきたいが、もう一歩というところが、難しい。これが課題でもある。

 夕方は、華光会館というか、わが家のお盆参り。珍しく連れ合いがいる。例年は、北海道に帰省中だか、今年はお盆をずらしての帰省となった。長女は冬(ブラジルでは、冬が日本の夏休みにあたる)にしか帰ってこなかったので、お盆は6年ぶりになる。

 明日は京都家庭法座があるが、コロナ禍でのマスク越しの勤行に、猛暑(これはいつもと同じだが)、さらにZoom配信と、例年にないお盆参りだったが、どうやら無事に終了しそうだ。

  

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『ドキュメンタリー 沖縄戦』

毎年8月に入ると、京都シネマでは、戦争に関する映画が上映される。またこの時期は、ドキュメンタリー映画も多い。刺激を受けたり、目からウロコのドキュメンタリー映画が続けて4本(プラス以前の1本)を観たので、簡単に紹介しておこう。

 第1弾は、『ドキュメンタリー 沖縄戦』を観た。

 特筆すべきは、制作が「浄土真宗本願寺派」であることだ。しかし宗教色をあえて押さえている。冒頭に、ブッダの言葉や『大無量寿経』の言葉が字幕で出る程度であった。

 第二次世界大戦、日本で唯一の地上戦となった沖縄の惨状の歴史を、いくつかの重大事件を通して、総合的に扱った作品だ。1944(昭和19)年、米国の潜水艦の攻撃で本土に疎開中の多数の子供たちが犠牲(総数1500名)になった疎開船・対馬丸の撃沈に始まって、米軍が上陸した渡嘉敷島での強制的な集団死、そして沖縄本島上陸からの約3カ月間に渡る戦闘の激戦地や主な出来事が取り上げられている。それを当事者(生き残った体験者)が淡々とした口調で、当時の現実や惨状を語り、また専門家の証言も加わえて、単なる一般的な戦争の悲劇に留まらず、沖縄が本土防衛の捨て石として、本土上陸を遅らせるための時間稼ぎのために利用され見捨てられていく、沖縄の人達に対する差別が明かになってくるように思えた。結局、国家権力による軍隊とは、決して民衆を護るためにあるのでなはく、民間人から搾取しその犠牲を楯にしてでも、任務を遂行するおぞましい実体が浮き彫りになってくるようである。

 映画は、沖縄戦に焦点があたっているので、沖縄での組織的戦闘が終了するところまでの映像が主である。だか実際は、その後も部分的な戦闘が続き、疎開地でのマラリアや飢餓での大量死などの苦悩が続いていく。その構造は、戦前からのもので、終戦以降も現在にいたるまで変わらず、未だに沖縄が差別され抑圧されているのである。このあたりは、現地の施設の展示でも体系的に詳しく語られる。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/3-d58d.html

(余談)最後の字幕での協力者の中に、仏青のメンバーだった九州のお寺の方のお名前が…。一番びっくりしたかもしれない。 

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zoom配信でお盆参り

    お盆には、宿泊での寺院布教があったが、コロナ感染拡大で出講は、残念ながら中止になる。おかげで同人のお話をじっくりお聞きするご縁ができた。出会いの不思議さをしみじみと感じさせられる。

 お盆参りはだいたい例年どおりだか、東京からの帰省を自粛された方からリモート配信を希望されたので、zoom配信で勤めた。法話の配信はあっても、勤行の配信は初めて。ただうまく合せて勤行するのは難しいようだった。終わってから、阿弥陀経のお心を少しご法話をする。

 今は、コロナの感染拡大で致し方なしだが、一旦、楽をしだすと、流されていくのが凡夫だ。暑い中、出張しなくていいのは楽ではあるが、これに味をしめて、懈怠に留まっては意味がない。お互い、ここはご用心、こ用心。

 

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GO TO トラベル

 予定なら東京オリンピックの閉会式があり、前倒しされた祝日。オリンピックは無くなったが、山の日は前倒しのままだった。

 午前、午後に1軒ずつと、ゆったりしたお盆参り。その分、時間をかけて法話や交流の時間をもたせてもらう。同人宅なので気分は楽である。

  夜は、世話人間で打ち合わせを重ねて、広島での真宗カウンセリングWSの開催を決めた。開催まで1週間、ギリギリのタイミングである。

 ただし例年の2泊3日の合宿形式は無理だと判断し、2日間、朝・昼(4セッシッン)での通いの集いとなる。呼びかけも原則、広島の方を優先。人数も、上限10名として、広い会場に、間隔を1.5Mにあけて、マスク着用で、飲食はなし、30分おきに換気に、消毒作業などの確認をする。もちろん、夜のセッションもなく懇親会もないが、それでも感染リスクが0とはならないのが、心配のところではある。

 本来はいかに緊密に距離感を縮められるのかという、出会いのWSでせあるのだが、反対に距離を保つことを勧めなくてはならなくなった。もちろん、物理的な距離があっても心理的距離が近い場合もあるだろうが、普通なら、心理的距離が近づくと、物理的にも緊密になるものだ。それが新型コロナの元では、心理的に接近しても、ソーシャール・ディスタンスの確保を忘れてはならない。さちにマスク越しで声だけでなく、表情が隠れるのも気にかかる。気持ちが開放されても態度の距離は保つという、これまで経験したことのない難しいワークとなりそうだが、最低人数が揃い、開催を決めのだ。

 合宿会場がキャンセルになり、新たにホテルを予約。新幹線とセットになっているパックを申し込む。お盆明けで安めの設定に加えて、GO TO トラベルでさらにお得になった。手続きは、ホテルだけなら簡単なのだが、列車がパックのものは、事前の手続きが必要で、申込みも少しだけ複雑。それでも、7000円引き(税金だが)になって、ホテル代含めた料金が新幹線代よりもぐーんと安い。今回は、採算ギリギリの開催だったので、大いに助かった。

 結局、「強盗キャンペーン」とか「GO TO トラブル」と批判していても、安くなるのなら喜んで恩恵を受けるのでした。 

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異例のお盆参り

 お盆参りが始まる。暑い夏、身についた年間行事になっている。 

 例によって、初日は、宇治方面を回る。だいたいルートも同じなのだが、今年は少し違った。コロナの影響で、親戚が集わずお盆参りを自粛されたり、東京から戻れずzoom法要になったりと、異例の盆参りとなった。もちろんマスク着用である。

 その代わり、昨年、愛知県から宇治に転居された同人宅にお参りする。Nさんの住所を聞けば、どうもその近くを通っているのである。今回、驚いたのは、近くどころではない。A家からB家に向う途中、さらにD家のお参り終わって帰宅する時と、2度もNさんの家の前を通過していた。つまり、昨年は家の前を2度通りながら、素通りしていたのであった。家の前を通って先にB家に向った。そこから1キロほどのところにNさんのお宅。立派な仏壇に、親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のお名号の前で、『阿弥陀経』のお勤め。一度、訪問したいと願っていたので、こんな形で実現できてよかった。

 帰路は、六地蔵の京都アニメーションの第一スタジオ前を通った。昨年は、猛火で黒く煤けた姿が生々しかったが、解体されてビルは無くなっていた。南無阿弥陀仏

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四十九日(満中陰)法要

 お盆週間の初日。東京オリンピックの閉会式に合せて、3連休。
 6月の葬儀を勤めた日高(豊岡市)の同人宅へ。四十九日(満中陰)法要である。朝からの法要なので、久しぶりに列車にした。山陰本線、二条から花園、太秦、嵐山、そして保津峡、亀岡のサンガスタジアム(今春、こけら落とししたサッカースタジアム)、明智光秀の福知山城と、車窓の風景も楽しめた。サンガスタジアムに、麒麟が来ると、観光で盛り上がるはずだった丹波地方だか、あては大きく外れた。列車もびっくりするほど空いている。城崎温泉行の観光列車だが、ぼくが乗った車両は始発の京都駅で3名のみ。二条駅で数名乗り込んだが、みんな福知山までに降りて、その先に進んだのはぼく一人。前後の車両もそんな感じで、お盆のコロナ自粛の影響を実感。

 仏間にはけっこう人が集って密状態だ。勤行のあと、30、40分の法話。
 
 深いご因縁がある。30名近い参詣者の6割は、父のことも覚えていおられる。故人のお子さんたち、従姉妹たちも、みな仏の子供大会に参加されている。それぞれのエピソードも思い出せるが、そのお子さん(つまり故人から孫)になると、日高の日曜学校での思い出はあるが、子供大会には参加されていない。そこまで力が及ばなかったのは残念だ。法話は、故人のこと、故人のお父様のこと、そして昨日が命日だったわが父のこと。そして神鍋高原での仏の子供大会のこと。すべて仏法聞いてくれよとの仏様からの働きかけだったと、しみじみ。

 法事が終わり、神鍋高原にあるホテルへ移動。途中にあった民宿は、この会場の時に溺死者に遭遇した。会食は、ゆったりとした間隔で着座。隣のMさんは1学年下だが、彼女も9年間、仏の子供大会に参加した幼なじみだ。いまは、子供たちが上も下も同級生で、大学生。それでもまだ子育ての難しさに共鳴。子供大会のこと、父とのこと、少しずづでも仏法のことが話題にのぼるように,,。

 いろいろと経緯があった葬儀の依頼たったが、改めて仏縁の深さを感じさせられた。合せて華光会の財政面での貢献くださったことも、感謝。

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父の命日

 5年前のその日も、暑い夏だった。父は、夜中に倒れ、17時間ほど意識不明のまま、夕方17時すぎに静かに息を引き取った。

 来年が7回忌の年忌法要だから、今年は六回忌(五周忌)ということになる。亡くなった時間ごろに合せて、夕方、家族だけでお正信偈をあげさせてもらった。長女が帰って来ているが、彼女たちがブラジルに渡ったのが、父がなくなる1ケ月前だったので、まるまる5年ぶりに戻ってきた(一時帰国は2回あったが)ことになる。

 ご因縁があって、この世では父であり、また仏法の上では善知識となってくださった。ぼくにとっては唯一無二の大きな存在。そのご恩徳は謝しても謝し尽くせない。南無阿弥陀仏

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『仏敵』終わる!

「仏書に親しむ会」も『仏敵』の最終回だ。最近はお参りの方増えている。もともと10名程度で推移していたが、今は20名前後の集まりがある。有り難いことだ。

 最後の章の残ったところを、一つ前の段落からいただく。『仏敵』は1年2ケ月で読む終えた。

とにかく 面白かった。声に出して読む。もちろん読むだけではなく、味わいや気づきも話し合うが、まずはその文章をいただくことが大切だ。その中で、新たな発見があった。何度も何度も読んでいるのに、気づかなかった一文に出会う。今だに理解できない部分もあるが、「分からない」ということが分かっただけでも、大収穫。そこをまた繰り返し味わっていけばいいのである。

 今回も短いの文章に中にも、味わうべき言葉が散りばめられていて、みなが口々にそこを味わっていった。

 最後に、一昨年まで熱心に参加されながら、いろいろな経過で少し距離が出来ていた20代の女性が、勇気をもって、自分の心境のありのままを、声に出してくださったのが、とても有り難かった。

 だれもが傷つきたくない。認めてもらいたい。同時に、後生の大事は、決して誤魔化して通るところではない。結局のところ、いろいろな人の働きかけがあったとはいえ、自分の後生の問題は、自分が向き合っていくかしないと、一歩、踏み出す覚悟を涙ながらに語ってくれた。自分の力で破るのではない。先生や同行に出会い、向き合っていくからこそ、開けてくる世界があるのた。その態度こそ『仏敵』で伊藤先生が出会った、野口道場の念仏者との出会いではなかったか。。

 大正時代の『仏敵』の世界。昭和、平成、令和と100年の時代を経たが、まったく同じ法の躍動が、ここにも生きている。若い彼女の口を通して、それが実証されていく。最後の最後の尊い声を聞かせていただいた。南無阿弥陀仏

 次回から、この続編ともいうべき、『善き知識を求めて』を読んでいく。
 9月2日(水)18時50分~21時。奮ってご参加ください。

 追加=以前から、『仏敵』を最初から最後まで、声に出し通読するという、フラフラになりそうな企画を温めています。コロナがある程度収まることが前提ですが、2日間はかかると思いますが、本気でやりたい方を募ってやりたいと思っています。お楽しみに!

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同行学と「一切を放下せよ」

 先日、あるお同行からご心境と質問を頂いた。それで返信に「同行学」と伊藤先生の常の仰せ「一切を放下せよ」という、二つの言葉をお送りした。 

 今、私はどこに立っているのか。この心境はいかがなものか? 華光の法座では、真実の認識手段として三量を要にしているのは、皆さんよくお聴きだと思う。それは次の3つである。

 1)聖教量-聖教・教典を量りにする。(法話・説教)
 2)現量 -自らの体験を量りにする。(領解出言・体験告白)
 3)比量 -同行との讃嘆談合を量りにする。(信仰座談会)

 つまり、1)だけで、いくらお聖教を覚えても、自らの体験とならなければ机上の空論にすぎず、聖教を絶対化すると教条主義に陥ってしまう。またもし2)現量だけならば、どれだけすごい体験や心境に変化があっても、聖教と離れていた単なる神秘主義に陥ったり、そこを絶対化すると独善主義の自己満足に終わってしまう。

 『仏敵』の中で、伊藤康善先生は、水流光明、阿弥陀様のみ光に包まれる尊い体験をされる。それはまさに『観経』や『安心決定鈔』にも一致する体験だった。しかし、その光明に包まれる歓喜の体験を握ることは見事に打ち砕かれて、そしてすべてをはぎ取られていかれる。それが3)比量、つまりお同行の力のおかげであった。
 
 同行学

 ここを大事にするのが華光で聴聞する肝要だ。決して、知識や同行に保証をもらうのではない。すぐに先生や先輩同行の、自分の都合のよい言葉を握る人がいるが、それは逆だ。聖教の覚えた答えも、有り難い体験も、溢れ出る念仏すら、すべて同行同士がぶつかり、揉まれる中で剥がされていくのである。これを「いもこぎ信心」というのである。

 この点を、今、華光でご聴聞している同人、お一人お一人が肝に銘じてほしい。みな一国一城の主の集団なのである以上、各自が立ち、そして裸になって揉まれていくのである。

 それがもう一つの仰せ、「一切を放下せよ」という伊藤先生の言葉だ。これは、禅語だか、私達にもぴったりのお言葉だ。せっかくの同行学も、自己の正当性の証明や、自己防衛のためや、相手を攻撃するためにあるのではない。一切を捨てて、捨てて、捨てさせられ、捨て切って裸になって、「さて、出でいく先は」と問うていかねな分からない、妙味があるのである。

 さて、真宗念仏者が喜ぶ妙味を頂くまえで留まっている方が増えていはいないか? 南無阿弥陀仏

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『観無量寿経』終わる!

 先月で『観無量寿経』の講話は終わった。24回(2年6ケ月)かけて、読み終えた。浄土三部経に入ってから、7年間、61回の講義であった。ブリントを読み直してみると、最初のころりよも、後半になるほど詳しくなっている。
 
 今回は総まとめだ。最後に、親鸞様がどのように『観経』を御覧になっていたのか、総序や化巻の文、そして観経讃を頂く予定であった。

 ただメーンは、頭から通読、音読しようと考えていた。試しに、10ページ分をひとりで音読したら、15分はかかる。みんなで声を揃えるとなるとさらに時間がかかるだろう。65ページあるから、100分から120分も読みつづけることになる。これはなかなかたいへんな作業で、一気にいくのは無理、段落を説明して、ポイントや名所では、少しだけ立ち止まっていくことにした。

  それにしても声に出して読むのはとても疲れる。読むので精一杯で、内容が頭に入ってこないときもあっただろう。しかし、ただ受け身で、安楽に聞くだけではなく、こちらから身をかけて聞くところに意味がある。もし、「後で、一人で読んでください」と課題をだされても、ほとんどの人は実行しないだろう。その意味では、2時間45分と予想以上に時間(少し解説も詳しくなった)がかかったが、現代語訳でも通読してみることで、見えてくることも多かった。序分(発起序)のところに、流通分までつながる伏線があることも分かってきて、文句なく面白かった。

 結局、今回の講義で一番、得をしたのは、ぼく自身だった。終わるのが名残惜しく、もう一度、『無量寿経』に戻って浄土三部経を読み直したい気分だが、9月から違う課題に進むことにする。

 次回=9月13日(日)13時30分 「御伝鈔」(絵伝の解説も含めて)を読み進める予定です。

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仏の子供大会~蘇る原点~

 というわけで、宿泊は無理でも、せめて1日だけでも仏の子供大会を企画した。先生役はIさんに、長女も手伝うので、ブラジルの生活のことを話すことになった。昼食は何にするか、連れ合いと娘がいろいろと検討してくれて、家族で試食もしてみた。ところが、近頃のコロナ感染の拡大である。京都でも、近くの小・中学校でコロナ感染が広がっている。大阪、奈良の方からキャンセルの連絡で、子供の数が激減。結局は、会食は止めて、普段どおり昼からの日曜礼拝(土曜日なので、土曜礼拝だが)となった。

 それでも、セミの声を聞き、往生要集の掛け軸を背に、子供を前に法話をする。少しだけは夏の子供大会のモードになってきた。参加できない方のために、ZOOM法話を開放したら、30名以上の参加がある。幼児の方やあったが、大半は大人の方。会館にも20名近く参加があって、50名以上の方が拝聴くださる。

 これまで何十回、この話をしてきたことだろうか。しかし、またせずにはおれない。それがこの夏の子供大会に向けたぼくの業である。

 ぼくが小学校の時、子供大会での海水浴の時に、二人の溺死者を目の当たりにしたことで、後生の一大事か自分の事になったこと。そのあとの地獄のスライド、「寝てもさめてもの」末代無知章に、地獄に落ちる夢、お盆の時に、ひとり泣いていたぼくに、声をかけてくれた父のご示談。グズグズ聞けないぼくに、お盆の約束を破ってまで留まって、「いま、ここで、命をかけて聞くか!」と、向き合ってくれた善知識。それに対して、間髪いれずに、「ハイ」と返事をさせてもらったこと。その時の言葉は、たった一言だった。「南無阿弥陀仏に飛び込め!」。もうその一言を聞くことで、ここでのすべては終わった。何も挟む心も、あれこれ言葉をはからうこともなかった。ただその言葉に従うだけだった。

 もちろん、これはまだまだ縁他力だったのが、結局のところ、ぼくの聞法の原点はここにある。それほどぼくにとっては衝撃だったと共に、法を伝える真摯な態度、面と向ってくださった善知識の覚悟を通じて、後生の一大事のなんたるかを、そして阿弥陀様の命懸けの呼びかけに触れさせてもらったのである。

 すべてこちらか仕掛けたわけでも、求めたわけでもない。気がつくと、すべて向こうからやってき、与えられたものであったのだ。そのこともまた尊く味わわせていただくのである。南無阿弥陀仏

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