M家のお盆法要を兼ねた京都支部法座。8月と12月の年二回、M家を会所に法座を開いてくださっていた。昨年2月に奥様(N子さん)が入院されてからは、会場が華光会館に移ったが、そのN子さんは今年2月にご往生され、初盆の法要とも重なった。
コロナ緊急事態宣言以降、華光会館の法座のお参りは増えている。今日も30名以上のお参りがあり、加えてzoomを開放したこともあって、アメリカからご縁が数名も加わり50名以上の参詣者となった。zoomのおかげで遠近各地からのお参りがある。勤行、法話、そして座談会の後、N子さんの作詞、Mさん作曲のなま歌の披露も、最後にあった。『仏説阿弥陀経』の勤行。「其仏本願力 聞名欲往生 皆悉到彼国 自致不退転」の、いわゆる破地獄の文を回向句も最後に頂いた。
法話は、『子供の聖典』の二つの図表をもとに、父が得意だったもくしはオリジナルの教材を使った。伏線がある。よく聞法されている方が、この表を「知らない」と仰ったからだ。確かに、どんなに熱心でも、父の法話をライブで聞いた方は7年以上前からお参りされている方に限られる。同じようで、実は顔ぶれも少しずつ変化しているということである。ベテランの方は何度も聞いたことのあるお話だが、晩年にはこの話をありまりしていない(特に心の四つの窓)ので、10数年ぶりになるのじゃないかなー。
一つは、『子供の聖典』57頁の「心の四つの窓」、こちらは心理学ではジョハリの窓といわれる有名な話。オープンな、明るい窓を広げるためは、自己開示をして秘密の窓を広げ、また他人の言葉に耳を傾けてフィードバックして他人の窓(気づかない窓)を広げていけばいいのである。しかし、それでも自分にも他人にも、つまり人間には分からない暗黒の窓が残る。心理学的には、ここが小さければ、小さいほどオーブンな明るい人ということになるのだが、仏法の上からいうなら、この窓こそ人の知恵では絶対に分からない、仏様に照らされてこそ明らかになる迷いの窓といってもいい。結局、聞法することは、ここを知らされることなのだが、自分の力では決して知れないことに気づかねば、分からない世界である。つまりそれが、60頁の「内省の世界」~私・ご恩・仏さま~の三角形の図である。今生事での反省ではなく、仏様に照らされた内省の世界である。
仏の子供大会での定番のネタであるが、久しぶりに華光誌を読み返し、単なる2次元の三角形ではなく、円錐形の立体であったことを、すっかり忘れていた。私は上へ上へと他の命を犠牲しても上がりたい。しかし、上に上がれば上がるほど孤独で、不安定で不安が尽きない。自分一人で生きたきたと、ご恩を忘れているからだ。そのご恩を教えられ、目が内に向きだす。上ばかり見ていたものが、足元をみるのである。すると、その歩みにはさまざまな命のお蔭があった。お蔭やご恩といえば聞こえがいいが、裏返せばすべて罪業である。どこに私の為に食べられてもいい、喜んで死のという命があるのか。命の犠牲の上にといえばきれいだが、ほんとうは絶対に死にたくない命を奪い、殺生して、命を長らえているだけのことである。それが外ならぬ私が私の地獄を造っている姿だ。死んでから先に地獄が誕生するのではない。毎日、毎日の日暮らしの中で地獄を造っているのである。そしてその三角の底辺、踏みつけられた地獄の世界に落ちてくださっているのが、仏様なのである。にもかかわらず、私は、上に上に、極楽に仏様を探し、有り難くなった時だけ心境の変化とか、仏法が聞けたと錯覚をしているのである。まったく方角違いである。
実は、阿弥陀様は高いところで待ってはおられない。お浄土でじっとしておられなかった阿弥陀様は、私の苦毒の中に、阿鼻の苦の中に、無間地獄の中に飛び込み、いつ浮かびあがるかもわからない世界に落ちても、決して後悔はしないと、私を待ち呼びつづけてくださっているのである。地獄の私を見つけてくださり、そこに先手で飛び込んでくださっているのだ。
ならば、私の仕事はただひとつ。自らの業のまま、諸手を挙げて落ちていけばいいのである。
「たとえ身は、苦難の毒に沈むとも、願い果たさん、その日まで、しのび励みて悔いざらん」 南無阿弥陀仏