『観極楽国土・無量寿仏・観世音菩薩・大勢至菩薩』経~『観経』流通分(1)~
『観経』の講義も本文は、今回でも最終回、浄土三部経もこれで終わる。(次回は、まとめをするが)。
経典は普通、「序分」「正宗分」「流通分」と三分科されるが、善導様は、特に『観経』の特色を明かにするために、五分科して解説くださった。
一、序 分=序論にあたり、経典が説かれる事情。王舍城の悲劇。
二、正宗分=本論にあたり、主要部分。定善十三観(息慮凝心-精神統一をし、淨土や阿弥陀仏、観音・勢至などを観想する十三の観法)と、散善三観(三福九品・廃悪修善-悪を廃し善を修める行)が、順序立てて説かれる。
三、得益分=定善、散善の自力の行が説かれた正宗分と別して(別開)される。韋提希は、仏力・願力のお働きにより、信心獲得し、無生法忍の御利益を得た。
四、流通分=結論にあたり、これまでの教説の要点が示されると共に、それを阿難尊者に委嘱して、後世に流布することを託される。すなわち『観経』の肝要は、顕の義(表向き)は、観想の行の実践(観仏三昧)であるが、釈尊の本意(隠された真意)は念仏三昧、すなわち他力の念仏にあることが示される一段。
五、耆闍分=王舍城から耆闍崛山(霊鷲山)に戻られた釈尊が、もう一度、阿難尊者にさきほどの王舍城の説法を再演させて結ばれる。
さて、流通分は、これまで沈黙されていた阿難尊者の質問で始まる。もともと韋提希夫人の要請で、釈尊が目連、阿難二尊者を伴い王舍城に降臨される。そして説法が始まると、(韋提希や阿難が単独時もあるが)大半は「阿難及び韋提希」と呼びかけられていく。要請した韋提希はもちろんだが、阿難尊者こそ仏説を伝持して後世に伝える役割を担う者だからだ。ところが、これまでは問いに答えられるは韋提希のみであったが、最後になって阿難尊者が声を出して釈尊に、最後の要点を問いかけられているのある。
後世に伝えるにあたって、(1)。(2)「その法義の要点、経の肝要は何か」を確認されていくのである。
(1)「この経をなんと名付けるのか」という問いに、釈尊自らが経の名前を示してくださる。それが、
『観極楽国土・無量寿仏・観世音菩薩・大勢至菩薩』経(「極楽国土・無量寿仏・観世音菩薩・大勢至菩薩を観ず経」
『浄除業障・生諸仏前』経(「業障を浄除し諸仏の前に生ず」経)
である。経題が2つあるように思うが、要は「極楽と、阿弥陀仏・二菩薩を観想し」その観想行を実践することで、「罪業の障りを浄めて極楽で阿弥陀仏を中心とした諸仏の前に生まれる」経ということになる。もちろん、観想の中心は、阿弥陀仏なので、その阿弥陀仏を観ずる行によって,、極楽に生まれるお経ということになる。それで、阿弥陀仏を観ずるお経、つまり『仏説観無量寿経』(又は『仏説無量寿仏観経』)、略して『観経』と呼ばれる。
この教題どおりにいただく表に顕わされる法義の要点は、「阿弥陀仏を観想して、現世において阿弥陀仏・二菩薩を目の当たり拝見し、成仏の記を授(授記)かり、無生法忍を得る」ために、観仏三昧を説くことにあるということになる。
しかしである。ここから大どんでん返し、究極のちゃぶ台返しがあるのだ。
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