大の字のこころは~壮年の集い(2)
夜、講師役のTさんの感話。リモートの方にはない特典だ。
いきなりいまの私の心境はと、尊像の前に横たわられて「楽ちん」のポーズ。最初、大の字になられたのかと思った。きっと、庄松同行の再来で、ここは親の実家、なんの遠慮もいらない。親の実家で寛げないお前は、偽の親子なのか。親の元は楽ちんだ、というお心かなーと思ったいた。が、よくみると大の字というより死骸ではないか。すると、これは「逆謗の死骸」ということではなかったか。いずれにせよ、こちらになんの用事もないというお心である。
その後、自らの求道体験を語ってくださったが、まったく最初から何か求めるとか、得ようとかというよりも、法の方が次々と勝手に追いかけ、迫ってくるという雰囲気が有り難かった。そして、印象に残っている法話のエピソードへと続いたが、最後に、伊藤先生の常のお言葉として、「いざとなったら、有り難いも、念仏も、信心もすべて捨てて走り出しますわ」の心境で終わられた。
要は、終始一貫したお話で、こちらには求める気持ちもなく、法が追いかけてきて、その後も、こちらにはなんの力もなく、用事もないのであって、ただただ分け隔てることのない、名体不二の南無阿弥陀仏の一方的な呼び声だけがあるということではなかったか。
というわけで、翌朝の法話は感話を受ける形で、次のご和讃から始めさせていただいた。
「名号不思議の海水は 逆謗の死骸もとどまらず
衆悪の万川帰しぬれば 功徳のうしほに一味あり」
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