« ~日程変更(7月18日)~講座「仏教カウンセリングを求めて」(3)案内 | トップページ | zoomでの広島・仏青合同法座 »

4ケ月ぶりの広島法座

    4ケ月ぶりに新幹線に乗った。3月8日の広島支部法座以来。華光会館以外での法座も3月20日の大阪支部法座以来だ。一時は、今年の出張法座は難しいのではなかいと思っていた時期もあっただけに、再開はうれしい。一方でまた感染者数が増加傾向で不安もあるのだか、気持ちとしては前向きである。

 3月は閑散としていた京都駅や新幹線も、少し人出は戻っていた。が、これまでの週末の人出と比べようもない。

 広島では、久しぶりにお会いする人、ZOOMでお会いして身近になった方、さらに、いつもお会いする京都や大阪の同人の方も車で参加されていたりと、さまざま。でも始まれば、すぐにこれまでの法座の雰囲気になるのが不思議。ただマスクと、ソーシャルデスタントで、座談会はちょっと雰囲気は違うのは、慣れていくかしない。。

 巻頭言「心おさなく拙き凡夫へ」を材料に、『仏敵』のお味わいなどをお話した。
 
 コロナ騷動で、自分自身の凡夫の姿がありありと浮かび上がってきた。それは仏法とはかけ離れた情けない姿である。しかし、そこにこそ法蔵菩薩のご苦労があるのだ。決して、聖者になって救われていくのではない。阿弥陀様が阿弥陀様であるには、凡夫は凡夫のまま救いとられるのである。法蔵菩薩様には、精一杯、ご自分の勤めをしていただけばいいのである。

 ところが、どこかで自分に値打ちをつける。ダメな心境をまとな心境に変えようと努力している。少しはましな自分になると自惚れているのである。しかし、残念ながら妄念・妄想しかないのが凡夫なのだ。「妄念はもともと凡夫の地体なり。妄念の他に別の心なきなり」と、源信僧都は仰っている。ならば、私も精一杯、凡夫の生地の目一杯で、格好悪くても、また恥ずかしい姿であっても、そのままで聞いていけばいいのである。立派な有り難い心境も、きれいなお味わいもいらない。こんな凡夫の口からでる、南無阿弥陀仏こそが、泥に汚されることのない蓮の華なのだと。南無阿弥陀仏

|

« ~日程変更(7月18日)~講座「仏教カウンセリングを求めて」(3)案内 | トップページ | zoomでの広島・仏青合同法座 »

法座と聞法」カテゴリの記事