4ケ月ぶりの宿泊法座~福岡家庭法座~
4ケ月ぶりの宿泊法座は、博多でのY家の家庭法座。熊本や大分の方もおられたが、大半は福岡の方で、ご家族や関係者が中心である。人数は少なめだったが、内容は深かく、有り難い場面にも出会わせてもらった。継続されてきたご法の力、お育ての尊さに触れさせてもらったのだ。
すでに会館では2日間の法座も再開しているが、支部法座では、緊急事態以来初めてだ。しばらく(東京以外では)新型コロナの新規感染者がゼロの日が続き、発生しても1~2名程度だったのが、最近は、各地で感染者が急増、過去最多の感染者を更新し続けている。ただ軽症や無症状の若者が大半であること、コロナとの付き合い方も少し分かってきていて、4月頃の切迫した危機感は薄らいできている。
とはいっても、会館行事以外で、支部や寺院、家庭で法座を開くか開かないかは、各支部長や施主の意向が大きい。福岡でも過去最多の感染者が出ていたが、Yさんの思いは法座を開くことにぶれはなかった。決して、法座は不要不急の集いではないという思いである。付け加えると、緊急事態宣言以降、懇親会が持たれたのも初めてだった。当たり前だが、懇親会は楽しい。ただこの点に関しては、ぼくには別の考えがあるのだが、施主のご意向に従うのもご因縁だという方針で、臨機応変に臨んだ。
念仏を相続すること、ご法話を語り合うこと、当たり前のことのように思っていたか、この事態の中では、希有なことになたった。それだけにただ甲羅の中に隠れてやりすごすだけでは、何か勿体ない気がしてならない。南無阿弥陀仏
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