zoomでの広島・仏青合同法座
またしても不思議な感覚の法座となった。まだリモート法座には慣れていないのもあるが、それだけではない。
昨日は、4ケ月ぶりの広島でのご法座だったが、その翌日に、同じ人達とzoomでの法座となったからだ。1泊2日間の安芸高田市での支部大会(仏青合同)の計画だった。それが土曜日の半日法座。日曜日は、仏青合同でのzoom法座の計画が浮上したのだ。おかげで、昨日参加できなかった遠方の方、また仏青の10代の参加者もあった。ブラジルからも子供が参加したが、夜中の1時30分から早朝5時の時間帯。昨日あった人に交じって、10代仏青の方、ブラジルの子供、遠方の会員が画面上に写っているのだ。
そんな人たちが一同で法話を聞き、語り合う。実際に触れ合うわけにはいかないが、それでも語り合うと充分に刺激を受ける。問いに沈黙が続くときは、それぞれがわが身に問おておられるのだろう。挑発的な言葉には反応させられる。その意味では、離れた人々が自宅にいながら、信仰座談会を行えるのである。
今回は、一方的な法話ではなく、ある新聞記事を読んで、各自か感想や思いを語りあった。ただ批判をするためではない。そこから真宗の聞法の要点が浮き彫りになると思ったからだ。逆にいうならば、いくら耳触りがよい言葉でも、要点を外すと真宗にも、仏教にもならないといことだ。
「外儀は仏教のすがたにて
内心外道を帰敬せり」
である。が、その外面があまりにも現代の要請にフイットしているだけに、厄介である。しかし、仏道でないのなは、それは外道とういわねばならない。そこは絶対に譲れない一線。
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