王宮会と耆闍会~『観経』の結び~
◎王宮会の結び
最後に、このような説法を聞いて、目蓮、阿難両尊者、そして韋提希夫人たちが大いに歓喜したと結ばれる。仏説を拝聴して歓喜することで結ばれるのが尊い。ここで、王舎城での説法が終わる。
◎耆闍分(ぎしゃぶん)について
普通の経典ならば、前章でお経は終わるのだが、『観経』は、さらに王舍城から耆闍崛山(霊鷲山)に戻られた釈尊が、もう一度、阿難尊者にさき程の王舍城の説法を、さまざな聴衆(大衆、諸天、龍や夜叉にいたるまで)再演させて、それを拝聴して歓喜したことで、結ばれるのである。
つまりこの御経は、王舎城で説かれ(王宮会)、再び耆闍崛山(霊鷲山)でも再演(耆闍会)されるので、『観経』を「両処二会の説」・「一経二会」とも言う。
善導様は、「この『観経』一部は両会の正説なり」(『玄義分』)
これをうけて、覚如上人や蓮如上人は、観経は、法華経を説かれていた会座を中断して、王宮に釈尊が現れたのでといただかれている。残念ながら、そのもとになっているお経がどこに説かれているのかは知らないが、真宗ではよく語られている。
「これによりて、むかし釈尊、霊鷲山にましまして、一乗法華の妙典を説かれしとき、提婆・阿闍世の逆害をおこし、釈迦、韋提をして安養をねがはしめたまひしによりて、かたじけなくも霊山法華の会座を没して王宮に降臨して、韋提希夫人のために浄土の教をひろめましまししによりて、弥陀の本願このときにあたりてさかんなり。このゆゑに法華と念仏と同時の教といへることは、このいはれなり。これすなはち末代の五逆・女人に安養の往生をねがはしめんがための方便に、釈迦、韋提・調達(提婆達多)・闍世の五逆をつくりて、かかる機なれども、不思議の本願に帰すれば、かならず安養の往生をとぐるものなりとしらせたまへりとしるべし。」(『御文章』4-3通)
これで一応、観無量寿経を頂いた。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
次回はもとめで、頭から全体を通して頂くことにしたい。
8月2日(日)13時30分
zoomでも発信予定です。同人のみならず、」ご参加いただけます。
| 固定リンク
「聖典講座」カテゴリの記事
- 『口伝鈔』第七条「凡夫往生章」(2023.01.29)
- 『口伝鈔』第五条「仏智護念章」(2022.11.13)
- 『口伝鈔』第四条(2022.10.16)
- 聖典講座『口伝鈔』(1)(2022.10.15)
- 『御伝鈔』下巻第七段(3)「~廟堂創立の経緯とその後~(2022.02.22)