仏の子供大会、最初の記憶
やっと梅雨が明けた。今年の七月はとにかく雨が多く、日照時間ももっとも短く、台風も発生しなかった。最近は、豪雨が当たり前になっているが、今年は天候だけではなく、いつもの夏とは決定的に違う。コロナ感染の影響で、七月の最終日でも、まだ小学校や中学校も夏休みに入っていない。
予定なら今日から開かれていた仏の子供大会も中止となった。コロナの不安、夏休みの大幅短縮で、合宿形式の法座は断念せざるおえなかった。
歴史の浅い華光会の中でも、伝統ある集いで60年以上も続いている。単なる子供たちのサマーキャンプではない。華光の法の核になっていた行事だといっても過言ではない。子供の時に参加し、班長を体験し、お手伝いをして、先生として関わり。さらには保護者として、または孫の付き添いで参加される。3代、4代と関わる方もおられ、多くの念仏者が育ってきたのである。
ぼくにとっても幼児の時から53年もの間、皆勤で参加してきた。
5歳のとき、粟田の光明寺での仏の子供大会に参加したときの記憶がある。最初の全体会。いつも母親のかげに隠れて全体会での自己紹介もできなかった。でもその時は、母親に「今日は、自己紹介をする」と宣言していた。大きな仏間に、大勢の老若男女が揃っていた。小さな目には、あまりに大きな輪だった。ひとり、ひとり自己紹介がおわり、だんだんとぼくの番になってくる。ドキドキ、ドキドキと心臓の音が高鳴り、前の人まできた時、緊張は最高潮に達していた。そしてぼくの順番が待ってきた瞬間、「ワアー」とただ泣きじゃくり、終わってしまった。
母に廊下に連れ出されて、ズボンのゴムを緩めてもらった。「今日はしゃべるつもりやったんや~」と泣きじゃくるぼくを、母は慰めてくださことを、ありありと覚えているのだ。
記憶にあるだけでも、深い深い、そして長い間、願いがかかっていたのである。
その後、どれだけのご縁を仏の子供大会でいただいか、もう量り知れない。お念仏に会わせてもらい、覚悟に出会い、そして育てていただい、成長の場でもあり、また出会いの場でもあった。
それが、今年は開催できない。これもご因縁事とはいえ、残念としかいえなかった。南無阿弥陀仏
| 固定リンク
「法味・随想」カテゴリの記事
- 修正会(2)~地震~(2024.01.03)
- 今日はご示談(2022.11.25)
- 神鍋高原・八反瀧(2022.11.06)
- 納骨法要(2022.10.29)
- 法に追い立てられる幸せ(2022.05.29)