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2020年7月の26件の記事

仏の子供大会、最初の記憶

 やっと梅雨が明けた。今年の七月はとにかく雨が多く、日照時間ももっとも短く、台風も発生しなかった。最近は、豪雨が当たり前になっているが、今年は天候だけではなく、いつもの夏とは決定的に違う。コロナ感染の影響で、七月の最終日でも、まだ小学校や中学校も夏休みに入っていない。

 予定なら今日から開かれていた仏の子供大会も中止となった。コロナの不安、夏休みの大幅短縮で、合宿形式の法座は断念せざるおえなかった。

 歴史の浅い華光会の中でも、伝統ある集いで60年以上も続いている。単なる子供たちのサマーキャンプではない。華光の法の核になっていた行事だといっても過言ではない。子供の時に参加し、班長を体験し、お手伝いをして、先生として関わり。さらには保護者として、または孫の付き添いで参加される。3代、4代と関わる方もおられ、多くの念仏者が育ってきたのである。

 ぼくにとっても幼児の時から53年もの間、皆勤で参加してきた。

 5歳のとき、粟田の光明寺での仏の子供大会に参加したときの記憶がある。最初の全体会。いつも母親のかげに隠れて全体会での自己紹介もできなかった。でもその時は、母親に「今日は、自己紹介をする」と宣言していた。大きな仏間に、大勢の老若男女が揃っていた。小さな目には、あまりに大きな輪だった。ひとり、ひとり自己紹介がおわり、だんだんとぼくの番になってくる。ドキドキ、ドキドキと心臓の音が高鳴り、前の人まできた時、緊張は最高潮に達していた。そしてぼくの順番が待ってきた瞬間、「ワアー」とただ泣きじゃくり、終わってしまった。

 母に廊下に連れ出されて、ズボンのゴムを緩めてもらった。「今日はしゃべるつもりやったんや~」と泣きじゃくるぼくを、母は慰めてくださことを、ありありと覚えているのだ。

 記憶にあるだけでも、深い深い、そして長い間、願いがかかっていたのである。

 その後、どれだけのご縁を仏の子供大会でいただいか、もう量り知れない。お念仏に会わせてもらい、覚悟に出会い、そして育てていただい、成長の場でもあり、また出会いの場でもあった。

 それが、今年は開催できない。これもご因縁事とはいえ、残念としかいえなかった。南無阿弥陀仏

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『人間の時間』は衝撃作

 韓国映画の奇才、キムキドクの問題作。

 キムキドクという人は、異端の人だ。今の世で、最終学歴が小学校卒。映画もすべて自己流で学び、社会のタブーに挑戦する。超学歴社会の韓国、また映画を文化・芸術とする考えからも、その経歴も、作風も、好ましいものではなく、評価はとても低い、一方、カンヌ、ヴェネチア、ベルリンの世界三大映画祭を制覇し、特に日本で評価は高い。しかし、そんな中でも、この作品の評価はみごとに分かれている。5点満点で5点の人もいれば、1点どころか0点の人もいた。それほど、賛否両論を巻き起こすセンセンョナルなテーマを扱った。

 『人間の時間』 (2020年・韓国、Human, Space, Time and Human)は、あまりにも設定が不自然、映画にリアリーティを与えるディテールもいい加減。脚本の筋立てにも、かなり疑問点があって、随所につっこみどころは満載だ。これだけでも難癖をつける人がいるだろう。しかし、この映画に関してはそれは末節なことなのかもしれない。単なる質の悪いB級映画、また気持ち悪いスプラッター映画を超えて、普遍的なテーマが隠されているからだ。

 日韓の名優による競演も見どころだ。 主人公の「イヴ役」を日韓で活躍する藤井美菜、キム・ギドク監督の作品に出演しているたオダギリ・ジョー。「アダム役」は、日韓で人気のチャン・グンソクが、これまでのイメージを壊した弱い人間のいやらしさを演じて、ファンの悲鳴を叫びそうなクズの役柄。種子から実の植物を、卵からニワトリを育てる謎の老人は、韓国の国民的俳優アン・ソンギ。他にカメレオン俳優と称されるイ・ソンジェ、個性派リュ・スンボムなど、個性派が揃った作品だ。

 退役した軍艦に、いろいろな階級(大統領候補親子と、日本人カップルに、あとはヤクザや娼婦、チンピラ、クズ学生の類)の人間が乗り合せてクルーズに出る。最初から階級格差が起こり、夜にはレイプなどの不穏な雰囲気が漂う。それが、なぜか軍艦は、制御不能の異次元に迷い込み、漂流していく。閉じ込められた極限状態の中で、政治家とヤクザが結託し、クルーたちが対抗し、他の乗客は支配されていく中で、限りある食料をめぐって、道徳や倫理を越えてむき出しになる業ともいうべき欲望だけが露わになっていくのだ。常識や善悪の境界線が揺らぎ、暴力や性欲が剥き出しになっていく。

 結局、地獄から人間界、一部の程度の低い天上界まで含めた六道の大半は「欲界」である。欲界は、食欲と性欲に支配された世界なのである。要は、生き延びたいという生存欲と、自分の子孫(DND)を残したいという欲望に支配され逃れられない。その目的を達成するためには、手段を選ばない醜悪な姿が露わになる。人間としてのタブーであるカニバリズム食人人肉食)や近親相姦などが容赦なく描かれていく。カニバリズムをテーマにした映画(今年も8月には大岡昇平原作の『野火』がリバイバル上映)もあるが、ここの映画の毛色は少し違う気もした。

 ここからはかなり仏法的な感想になってしまうが、自らの肉を相手に与えるシーンが何度か登場する。それを「まずい」と「飽きた」とかいいながら貪り喰う。手の肉を割き、足の肉を割き、そして最後はすべてを与える。いつも法話で聞いている「シビ王とタカ」「鳩をたすけたシビ王」の話そのものではないか。それは、そのまま法蔵菩薩と、その血肉を貪りながら文句ばかり言っている私そのものの姿ではないか。これまで観念的にしか味わえなかったシーンが、こんなにもリアルに描かれているのだ。気持ち悪いを超えて、有り難くなってきた。南無阿弥陀仏 

 

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南無阿弥陀仏の響き~東海支部法座~

 愛知県、特に名古屋市でのコロナ感染者か、連日、最多を更新している。そんな中で、予定どおり開催していいのか。最後の最後まで、主催者は悩んでおられた。ぼくも、当日の朝まで両睨みで臨んでいた。リモート開催の声、中止の声、予定どおり開催の声がきれいに分かれ、最後は支部長の決断で開催が決まったそうだ。密にならないように定員を厳守し、事前申込みの皆さんは予定どおり参加くださった。

 出来る限りのコロナ感染防止の対策をとって、東海支部法座は開かれた。入り口での検温、手の消毒、マスク着用、ぼくは初めてフェイス・シールドを着用。間隔をあけて座り、こまめに換気、そしてお茶やお菓子もださすに、終了後は即解散。東海支部例会といえば、終了後の飲み会が楽しみではある。金山駅の周辺には居酒屋や飲み屋も多いが、今回はは指をくわえて素通りし解散。寂しいが、今は致し方なし。

 平日の法座。昼から仕事を早引きされた方、赤ちゃんを抱えたお母さん。誰もがコロナの不安の中で、ご法を求めてきてくださったのだ。ならば、いい加減なお話できない。

 火宅無常、虚仮不実の世間にあって、人間生活でも連日、連夜「空言、戯言、まことのない言葉」しか発せず、真実のカケラのない私に、唯一届く真実の声、南無阿弥陀仏の呼び声を聞いていただくことである。末通ることのない人生に、その不実の私をありありと照らし、そのままで輝かせて、我と同じ仏にして見せようという願いに裏打ちされ、成就された南無阿弥陀仏の御名は、阿弥陀様がすべてのお徳を、そして阿弥陀様自身を名に封じ込めて、私のこの煩悩逆巻く、地獄の業の中に、なんの躊躇も、畏れることもなく(無畏)、この私が仏になることを微塵の疑いも持たずに信じ切って、待ちわびておられる姿なのである。ならば、この私も、南無阿弥陀仏さまが飛び込んできてくださった罪業のまま、腹を見せて救われていくしかないのである。ウソだらけの世、偽りだらけの私にも届く真実がここにある。南無阿弥陀仏 

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四十八願のこころ(23)第43願~第44願

◎「たとひわれ仏を得たらんに、他方国土の諸菩薩衆、わが名字を聞きて、寿終りてののちに尊貴の家に生ぜん。もししからずは、正覚を取らじ。」(第43願・聞名生家の願) 

 意訳「もし私、法蔵が仏になる時、他のお浄土の菩薩方が、私の名前(南無阿弥陀仏)を聞いて、その命を終える時には、みんなが尊ぶ(南無阿弥陀仏に溢れた)家に生まれさせてみせよう。もしそうでなければ、私は決して仏にはなりません。」

◎「たとひわれ仏を得たらんに、他方国土の諸菩薩衆、わが名字を聞きて、歓喜踊躍して菩薩の行を修し徳本を具足せん。もししからずは、正覚を取らじ。」(第44願・聞名具足の願)

 意訳「もし私、法蔵が仏になる時、他のお浄土の菩薩方が、私の名前(南無阿弥陀仏)を聞き、躍り上がるほど喜び勇んで、菩薩の修行に励み、功徳のすべてを身に備えさせてみせよう。もしそうでなければ、私は決して仏にはなりません。」

 四十八願を分類すると、最後の一段に入っている。四十一~四十八願は、広く他の仏国土で自力修行中の菩薩方に誓われた願である。これまでの凡夫のための願いから、今は聖者のための願いを兼ねて、他国の菩薩方であっても、阿弥陀様のお名前を聞く(聞名)ことで、大きなご利益を与えようという願いが続いていく。

 

 第43願の「尊貴の家」は、一見、仏教の精神に反するような表現だ。阿弥陀様のご本願の前では、私達が区別する善悪も、智愚も、貴賤も一斉関係はないのである。また、お釈迦様は、生まれによって人に貴賤があるのではなく、その人の行いにこそあるのだと、社会差別を一蹴されている。だとするならば、ここでの「尊貴の家」とは、世間一般の、身分や地位、生まれによる差別的な尊貴の家をさすのではなく、南無阿弥陀仏が溢れる「念仏の家」と頂くことはできないか。そこだけが、万人に尊敬され,貴重な場所なのであるから…。

 次の第44願は、表面は自力修行者へのお誓いである。でも、そんな自力の修行者であっても、「南無阿弥陀仏」のみ声を聞くならば、飛び上がるほど喜び勇んで、修行に励み、大きな功徳を得るというのである。結局、これもまた南無阿弥陀仏の尊いお徳を示していると頂けるのである。南無阿弥陀仏 

 

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4ケ月ぶりの宿泊法座~福岡家庭法座~

 4ケ月ぶりの宿泊法座は、博多でのY家の家庭法座。熊本や大分の方もおられたが、大半は福岡の方で、ご家族や関係者が中心である。人数は少なめだったが、内容は深かく、有り難い場面にも出会わせてもらった。継続されてきたご法の力、お育ての尊さに触れさせてもらったのだ。

 すでに会館では2日間の法座も再開しているが、支部法座では、緊急事態以来初めてだ。しばらく(東京以外では)新型コロナの新規感染者がゼロの日が続き、発生しても1~2名程度だったのが、最近は、各地で感染者が急増、過去最多の感染者を更新し続けている。ただ軽症や無症状の若者が大半であること、コロナとの付き合い方も少し分かってきていて、4月頃の切迫した危機感は薄らいできている。

 とはいっても、会館行事以外で、支部や寺院、家庭で法座を開くか開かないかは、各支部長や施主の意向が大きい。福岡でも過去最多の感染者が出ていたが、Yさんの思いは法座を開くことにぶれはなかった。決して、法座は不要不急の集いではないという思いである。付け加えると、緊急事態宣言以降、懇親会が持たれたのも初めてだった。当たり前だが、懇親会は楽しい。ただこの点に関しては、ぼくには別の考えがあるのだが、施主のご意向に従うのもご因縁だという方針で、臨機応変に臨んだ。

 念仏を相続すること、ご法話を語り合うこと、当たり前のことのように思っていたか、この事態の中では、希有なことになたった。それだけにただ甲羅の中に隠れてやりすごすだけでは、何か勿体ない気がしてならない。南無阿弥陀仏

 

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分別知・無分別知~大阪支部法座~

   7月の大阪支部法座は会館で開催される。お参りの方が増えて、加えて遠近各地(アメリカやブラジルからも)ZOOMで参加の方もあって、合わせて40名のお参りで、盛況だった。密にならないように法話の後の座談会は2グループと、Zoom組の3グループでに分かれた。

 法話は、「壮年の集い」を受けて、南無阿弥陀仏と名乗り、その名で私を救う仏さまになってくださったそのお心を頂いた。

 だが、その冒頭は、少し毛色の違う話をした。「分別知、無分別知」ということがテーマである。というのも、このコロナ禍の影響で、リモート法座が増えると、メールなどでの質問も増えてきた。一見、正当な質問も、また味わいも、仏法的にみると、限界のある人間の知恵で考えた分別知の質問が中心なおのだ。当然、その手の質問には、簡単に答えられるものも多いのたが、でもそんな答えを重ねてみても、ご聴聞の上では何も役立たない。単なる自己満足に過ぎないのだ。本来、仏法の問いとは、問うその自身が根底から問われてくるものである。しかし、大半はその逆で、相対、有限の分別する知恵で、絶対、無限の無分別の智慧を分かろうとする。方向が違うのである。

 もともと物事が「分かる」ということは、ものが分けられるようになることである。分かるとは、分かったことに対して名付け、区別することが出来るようになることだ。生まれたばかりの言葉の分からない赤子にも、一度も死んだことのない「我」はあるのだが、まだ大人のような主客の区別は曖昧だ。それが成長と共に、言葉を知り、新たな言葉を得るたびに、自己の心を広げていくのである。そして、親に反抗(2歳頃のイヤイヤ期と、思春期の大人への成長)する過程で、自分自身の言葉を獲得する。そして、親と私が別に人格であることが分けられ、自我を育て自己が確立されていくのだ。ただ一般的には、欧米に比べて、日本ではこの自我の確立、自立が出来ないという傾向(甘えの構造)があるようだ。一方で、分かることが行き過ぎると、事細かく違いを細分化していくことになる。医療に代表されるが、人間の体がそうだ。体と心とをわけ、また体をパーツ、パーツと細々と分けていき、とうとう細胞レベル、遺伝子レベルまで進んできた。そして、何科、何科と細かく専門化が進み、それだけ深堀した専門性をもった研究や治療が受けられるのだが、細分化し、縦割りになった弊害も大きい。それで、もう一度、細分化から全体として有機的につながっているホリスティックな存在としての、東洋的な理解の重要性が語られるようになってきている。しかし、全体として捉えたとしても、所詮、相対、有限の分別する知恵なのである。
  分けることがすでに、私と阿弥陀様を分類し、理解しようする、迷いなのである。阿弥陀様は、ご自身のお命と、この迷いの私の命を、差別したり区別したりされずに、自分のこととして御覧くださっている。そして、ご自分の正覚をかけものにして、私を救う手だてをお考えになられ、南無阿弥陀仏に身投げ去られて、そのすべてを私に回向くださるのである。阿弥陀様の方が、私の業の中に飛び込んでお出でになれるのは、無分別の智慧と、大慈悲の塊の仏様だからだ。

 だから、そんな南無阿弥陀仏をどれだけ分解して、その救済の手だてを理解しようとしてても、所詮、限りあるこの腐った頭での分別知の中であるのなら、その奥にこめれらた大悲のお心に、絶対に触れることはできないのである。にもかかわらず、みな「どうすればよいか」という意味のない問いを発していくのである。

 蓮如様は、南無阿弥陀仏こそが、私の往生の証拠だといわれた。間違っても、私の知恵や気づきや、安心や喜びが証拠ではないのである。それはすべて迷いの産物にしかすきない。でも、私は、未だに、頼りにならないものを頼りにして聞法している(いやそんな聴き方しかできない)、まったくもって哀れな存在なのである。分別知で、無分別をはからうことが、疑い、自力心というのである。南無阿弥陀仏 

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王宮会と耆闍会~『観経』の結び~

王宮会の結び
 最後に、このような説法を聞いて、目蓮、阿難両尊者、そして韋提希夫人たちが大いに歓喜したと結ばれる。仏説を拝聴して歓喜することで結ばれるのが尊い。ここで、王舎城での説法が終わる。
   
耆闍分(ぎしゃぶん)について
 普通の経典ならば、前章でお経は終わるのだが、『観経』は、さらに王舍城から耆闍崛山(霊鷲山)に戻られた釈尊が、もう一度、阿難尊者にさき程の王舍城の説法を、さまざな聴衆(大衆、諸天、龍や夜叉にいたるまで)再演させて、それを拝聴して歓喜したことで、結ばれるのである。

 つまりこの御経は、王舎城で説かれ(王宮会)、再び耆闍崛山(霊鷲山)でも再演(耆闍会)されるので、『観経』を「両処二会の説」・「一経二会」とも言う。

 善導様は、「この『観経』一部は両会の正説なり」(『玄義分』)

 これをうけて、覚如上人や蓮如上人は、観経は、法華経を説かれていた会座を中断して、王宮に釈尊が現れたのでといただかれている。残念ながら、そのもとになっているお経がどこに説かれているのかは知らないが、真宗ではよく語られている。

「これによりて、むかし釈尊、霊鷲山にましまして、一乗法華の妙典を説かれしとき、提婆・阿闍世の逆害をおこし、釈迦、韋提をして安養をねがはしめたまひしによりて、かたじけなくも霊山法華の会座を没して王宮に降臨して、韋提希夫人のために浄土の教をひろめましまししによりて、弥陀の本願このときにあたりてさかんなり。このゆゑに法華と念仏と同時の教といへることは、このいはれなり。これすなはち末代の五逆・女人に安養の往生をねがはしめんがための方便に、釈迦、韋提・調達(提婆達多)・闍世の五逆をつくりて、かかる機なれども、不思議の本願に帰すれば、かならず安養の往生をとぐるものなりとしらせたまへりとしるべし。」(『御文章』4-3通)

 これで一応、観無量寿経を頂いた。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 次回はもとめで、頭から全体を通して頂くことにしたい。

 8月2日(日)13時30分

 zoomでも発信予定です。同人のみならず、」ご参加いただけます。

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長女の帰宅

 ということで、めでたく2週間が経過して長女が帰宅してきた。1年半ぶりの再会だ。

 ブラジルの自宅を出て飛行機でサンパウロまで。ホテルで待機後、サンパウロからドイツはフランクフルトで乗り換え、日本の羽田まで。東京で、2週間お待機を経て、新幹線に乗って京都まで帰ってくる。自宅を出発してから19日間もの長旅だった。ある方が「ひとりでの大冒険だったですね」といわれたが、確かに、普段なら経験できないことの連続だったようだ。

 しかし、ほんとうにたいへんなのはこれからだ。生まれ育った場所とはいえ、ぼくたち夫婦にとっても新しい関係での、新しい生活様式が始まるのだ。

 とはいっても、親子とは不思議なもので、離れていても、顔をみたらサッーとブランクが戻ていった。

 さあ、これからが楽しみでもあり、ちょっぴり心配でもありだ。皆さん、どうぞ、よろしくお願いいたします💥


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念仏付属~『観経』流通分(3)~

 短い一文だが最重要なので、書き下し文を示す。

仏、阿難に告げたまはく、『なんぢよくこの語を持て、この語を持つてといふうは、すなはちこれ無量壽仏の名を持てとなり」。

 阿難尊者の「この法の要をばまさに如何が受持すべき」という第2の問いに対して、釈尊は、「無量寿仏の名を持て」と答えられた。無量寿仏の名とは、「南無阿弥陀仏」の本願名号を心に信じてたもち(信心相続)、口に「南無阿弥陀仏」と称える(称名相続)とことである。長々と説かれた『観経』も、その最後の最後において、他力の念仏が肝要だと添えれている。『観経』の帰結、そして未来世に委嘱することは、観想の行(観仏三昧)ではなくて、阿弥陀仏の御名を信じ、称える称名念仏(念仏三昧)であるのだ。これまでちゃぶ台にきとれいに並べられいてた定善十三観や散善の三福の善行を、一気にこの一言で覆らされていく。まさしく究極の「ちゃぶ台返し」で、観経は締めくくられるのだ。

 善導様は、「いまこの『観経』はすなはち観仏三昧をもつて宗となし、また念仏三昧をもつて宗となす。」と述べられている。
 もし『観経』「順見」、冒頭から順番に、経題→定善十三観→散善三観(行福→戒福→世福)→万行超過の念仏となる。
 それは、極重悪人への最終手段の称名念仏より世間的な善(世福)が、その世福より小乗の善(戒福)が、そして戒福より大乗の善(行福)が、さらには散善より、定善十三観が勝れている。定善も、浄土(国土)を観想するより仏・菩薩を、その中でも 阿弥陀仏を観ずることが勝れているのは、経の当面である。その意味では、観仏三昧こそが最高の行とすることを顕しているのだ。

 しかし、今度は、『観経』を「逆見」、最後の流通分より逆に眺めていくと、念仏三昧を説くことが目的で、定散は廃せられていく。
 そして、それは同時に、『大経』を通して窺うことで、称名念仏こそが阿弥陀様のご本願であることが明かになるのである。

 そして、親鸞様は、「顕説」-順見の面で、自力の観仏三昧を勧めるが、自力から他力への方便と位置づけられる。
 しかし、「穏彰」-逆見の面からみれば、他力の念仏を勧めることが、釈尊の本意ということにある。

 (参照)
 善導様『散善義』「仏告阿難汝好持是語」より以下は、まさしく弥陀の名号を付属して、遐代に流通せしめたまふことを明かす。上来定散両門の益を説くといへども、仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり。」 
                       
 なお、法然聖様は『選擇集』で、「『遐代』とは『双巻経』(大経)の意によらば、遠く末法万年の後の百歳の時を指す。これすなはち遐(とお)きを挙げて邇(ちか)きを摂するなり。」と、遐代について註釈くださっている。

 その法然様は、「まさに知るべし、随他の前にはしばらく定散の門を開くといへども、随自の後には還りて定散の門を閉づ。一たび開きて以後永く閉ぢざるは、ただこれ念仏の一門なり。弥陀の本願、釈尊の付属、意これにあり。行者知るべし。」と。

 つまり、釈尊は、韋提希夫人の要請(随他意) により、定善・散善の法門を説かれたが、釈尊の意(随自意) によれば、定散の門を閉じ、阿弥陀仏の本願念仏の一門のみを阿難尊者に付属されたのである。  

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念仏者こそ白蓮華~『観経』流通分(2)~

   経題どおり、正宗分の主要は観想の行を丁寧に説いておらるに最後の最後に、これまで説かれた観仏、そして(突然)聞名(阿弥陀仏・二菩薩の名を聞く)にも功徳があることを示し、さらに憶念(心に念じ続け、常に思い続ける)はなおさらだと、念仏の功徳を説かれる。そして、念仏するものを白蓮華に譬え、観音・勢至の勝友であり、悟りの場に座り、仏方の家である極楽浄土に生まれるのだと讃えられていくのだ。
 この「憶念」とは、憶は憶持、念は明記不忘。心にたもって忘れず、常に思い続けることで、信心相続・念仏相続のことだが、善導様は、称名念仏といたがれたのである。

 善導様は、『散善義』で、「まさしく念仏三昧の功能超絶して、実に雑善をもって比類となることを得るにあらざることを顕す」、つまりお念仏の功徳は、あらぬる行よりも超えすぐれて、比べ物にならないとしめされるが、その尊い尊い功徳ある念仏を称える念仏者こそが白蓮華(妙好人)だと譬えられているのてある。
 分陀利華は、梵語・プンダリーカの音写で、白蓮華のこと。インドでは蓮華を花の色毎に違う名で呼ぶが、中でも白蓮華がもっとも尊く『妙法蓮華経』(略して法華経)も、白蓮華のことだ。
 そして、分陀利華は、(1)「好華」(2)「希有華」(3)「上上華」(4)「妙好華」(5)「蔡華」と名付けるとして、もし念仏するものも、これ人中の(1)「好人」(2)「妙好人」(3)「上上人」(4)「希有人」(5)「最勝人」と名付ける。『散善義』・七祖篇499)▽参照=「人中の妙好人」(『聖教のこころ・経教は鏡』41頁)

この五つの称号を法然様は、「五種の嘉誉」と称賛される。すなわち釈尊が、念仏者を白蓮華のごとく尊き、立派な者よと、褒め称えられる言葉である。

曇鸞様は『論註』で、「経(維摩経)に、「高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の汚泥(湿ったどろ)にすなわら蓮華生ず」とのたまへり。これは凡夫、煩悩の泥に中にありて、菩薩のために開導せられて、よく仏の正覚の華を生ずるに喩ふ。」と述べられているが。結局、きれいな白蓮が花開く根は、きたいな泥の中であるように、凡夫の煩悩の泥の中に、法蔵菩薩のおかげにって、正覚の華が開くというのである。決して、きれいな心中に咲くのではないのだ。

しかもこの妙好人とは、一部の篤信家のことではないのだ。どんな泥凡夫であっても、本願を信じ、念仏を申して、仏と成る身に定まった者は、泥凡夫の身をもったまま「妙好人」と、釈尊は褒め称えれらるのである。つまりは他力念仏者のお徳であって、信心を喜ぶものは、みな妙好人と褒め讃えられているのである。

 そのことを、親鸞様も正信偈、「一切善悪の凡夫人 如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解のひととのたまへり、この人を分陀利華と名づく」と称賛されている。

 

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『観極楽国土・無量寿仏・観世音菩薩・大勢至菩薩』経~『観経』流通分(1)~

『観経』の講義も本文は、今回でも最終回、浄土三部経もこれで終わる。(次回は、まとめをするが)。

 経典は普通、「序分」「正宗分」「流通分」と三分科されるが、善導様は、特に『観経』の特色を明かにするために、五分科して解説くださった。
一、序 分=序論にあたり、経典が説かれる事情。王舍城の悲劇。
二、正宗分=本論にあたり、主要部分。定善十三観(息慮凝心-精神統一をし、淨土や阿弥陀仏、観音・勢至などを観想する十三の観法)と、散善三観(三福九品・廃悪修善-悪を廃し善を修める行)が、順序立てて説かれる。
三、得益分=定善、散善の自力の行が説かれた正宗分と別して(別開)される。韋提希は、仏力・願力のお働きにより、信心獲得し、無生法忍の御利益を得た。
四、流通分=結論にあたり、これまでの教説の要点が示されると共に、それを阿難尊者に委嘱して、後世に流布することを託される。すなわち『観経』の肝要は、顕の義(表向き)は、観想の行の実践(観仏三昧)であるが、釈尊の本意(隠された真意)は念仏三昧、すなわち他力の念仏にあることが示される一段。
五、耆闍分=王舍城から耆闍崛山(霊鷲山)に戻られた釈尊が、もう一度、阿難尊者にさきほどの王舍城の説法を再演させて結ばれる。

 さて、流通分は、これまで沈黙されていた阿難尊者の質問で始まる。もともと韋提希夫人の要請で、釈尊が目連、阿難二尊者を伴い王舍城に降臨される。そして説法が始まると、(韋提希や阿難が単独時もあるが)大半は「阿難及び韋提希」と呼びかけられていく。要請した韋提希はもちろんだが、阿難尊者こそ仏説を伝持して後世に伝える役割を担う者だからだ。ところが、これまでは問いに答えられるは韋提希のみであったが、最後になって阿難尊者が声を出して釈尊に、最後の要点を問いかけられているのある。
後世に伝えるにあたって、(1)。(2)「その法義の要点、経の肝要は何か」を確認されていくのである。

(1)「この経をなんと名付けるのか」という問いに、釈尊自らが経の名前を示してくださる。それが、

『観極楽国土・無量寿仏・観世音菩薩・大勢至菩薩』経(「極楽国土・無量寿仏・観世音菩薩・大勢至菩薩を観ず経」
『浄除業障・生諸仏前』経(「業障を浄除し諸仏の前に生ず」経)

である。経題が2つあるように思うが、要は「極楽と、阿弥陀仏・二菩薩を観想し」その観想行を実践することで、「罪業の障りを浄めて極楽で阿弥陀仏を中心とした諸仏の前に生まれる」経ということになる。もちろん、観想の中心は、阿弥陀仏なので、その阿弥陀仏を観ずる行によって,、極楽に生まれるお経ということになる。それで、阿弥陀仏を観ずるお経、つまり『仏説観無量寿経』(又は『仏説無量寿仏観経』)、略して『観経』と呼ばれる。

 この教題どおりにいただく表に顕わされる法義の要点は、「阿弥陀仏を観想して、現世において阿弥陀仏・二菩薩を目の当たり拝見し、成仏の記を授(授記)かり、無生法忍を得る」ために、観仏三昧を説くことにあるということになる。

 しかしである。ここから大どんでん返し、究極のちゃぶ台返しがあるのだ。

 

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 講座・仏教カウンセリングを求めて(3)

 今週は水曜日に月例会があったが、引き続き、土曜日には真宗カウンセリング研究会主催で、奈倉先生をお迎えしての「講座・仏教カウンセリングを求めて」(3)を開催した。

 奈倉先生の講座は、これで3年目。これまでのまとめの意味も込め、西光先生を聞き手に、「仏教カウンセリングからみた生・老・病・死」と題して、講演と対談、フロアーからの質疑で構成されていた。

 企画から、真宗の方にひろく呼びかける予定だったが、このコロナ禍である。一旦、延期となって、7月に行うことになった。感染再拡大の最中で、当日近くのキャンセルも多く、昨年呼びかけた他の会合や集いが軒並み休会で、思うような参加者を得ることができなかった。密を避けるために定員の上限を設けていたが、その定員にも達しなかったのは、残念だった。もちろん、楽しみにしていた懇親会も中止だが、今は致し方Ðなしだ。それでも、初めてお会いする方が2名あり、そのうち1名は、すぐに会員に加わってくださり、有り難かった。

 これまでと違って、実習ではなくて講演が中心。
 まず奈倉先生からは、仏教カウンセリングの立場、そして医者や介護士としての長年の、実践経験の中から簡単な事例を交えての講演であった。
 主には、(1)「倫理と宗教」~その違いから思う宗教の意義~
 (2)目覚めの宗教として「仏教」と、対話で気づく「カウンセリング」の違い。さらに、仏教カウンセリングの提唱者である藤田清先生の共談仏教と、中観の龍樹菩薩の「空・仮・中」による「否定的啓発法」について。

 そして、(3)西洋の因果モデルではない、仏教の「因縁生起」の縁起の理法によって勧める家族カウンセリングの実際の事例をお話くださった。原因を一人に押しつけないで、家族の問題、関係性の中で解決をめざすもので、家族という流動的な関係の中で、過去の隠された協調性などを甦らせていこうという試みであった。「安心して家族がぶつかりあえる(ケンカしあえる)場を提供する」ーそのために傾聴に徹し、安心の場作り行うカウンセラーの役割と、調和を求める心が建設的な方向に作用していくブロセスなどが、なかなか面白かった。

 さらに(4)浄土教の中心である『大経』『観経』の三心、中でも二種深信による心の転換による目覚め。それは自己の深い罪業性と、凡夫であることが知らされると共に、それがそのまま阿弥陀様に願われている、摂取されてる身であることに気づかされることにほかならず、カウンセリングの場面でも、どこまでも共に凡夫であるという自覚は、共に常に阿弥陀様に守られている(摂取不捨)のお互いである、「阿弥陀様おまかせします」という信心に根ざしカウンセリングが進んでいく、というような趣旨のお話をいただいた。あっという間に時間がすぎて、唯識にもとづく囚われからの解放や、内観の体験の話題は割愛されたが、そのあとも、フロアーからの質疑に積極的に答えて頂けた。

 一方で、西光先生は、故西光義敞先生の『育ち合う人間関係』の「真宗カウンセリングの成立」の論文から、真宗とカウンセリングの出会い、そして例の三角形を使っての真宗カウンセラーとクライエントとの関係、さらには、真宗カウンセリングの性格、特色(二重関係と、二重の配慮)などを、基本にかえって丁寧にお話くださった。

 対談形式、またその後のお二人でのお話し合いなどでも、気づかされることが多い講座となった。また機会があれば、また触れていきたい。

 なお、当日の講演記録を、mp3.(CD等はなし)で発信(有料)予定でいます。ご関心のある方は、研究会までお問い合わせください。

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厚生労働省から…

 子供がブラジルから日本に帰国後、3日後頃だったと思うが、コンピューターの合成声が「厚生労働省」を名乗る電話がかかる。予期しておらず、新手のコロナ便乗の詐欺の類ではないかという警戒もあっ、最初は戸惑ったが、帰国者とその同居の家族の健康状態を問合わせる電話だった。同時に、所在の確認もしているのだろう。

「体温37・5分以上の者はいないか」、「せきなどの体調不調はないか」の2問だけを問いかけ、「はい、いいえ」で答えるのた。本人は、公共交通機関が使えないので、東京のウィークリーマンションに自主隔離中だが、電話がないのでここが連絡先になっていた。体の状態はのことは逐一聞いているので、家族が代わって答えていく。

 その後、毎日電話があった。最初は、昼12時40分ころだったが、なぜか、毎日5~10分ほど早くなって、このところ11時過ぎに電話がかかっくる。それも月曜日まで。

 2週間は、長いようで、あっという間に過ぎ去った。人生もかくのごとし。

 

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生死=迷いを超える~7月のカウンセリグ月例会

 初めてzoom参加者が担当。ところが開始30分たっても、会場にはぼく一人。そのうち2名が加わ(一人は初参加)ったが、zoomの方が活発だった気がする。

 第4章「真宗カウンセリング人間観」も、最終回。第4節の「真宗カウンセリングの人間観」にはいる。ここはさらに、「真宗とカウンセリングの実践的出会い」と「真宗カウンセリング」の現代における使命」に二分科されている。

 とても厳しい章だ。

 結局、現代に生きる真宗者がカウンセリングに出会うことによって、浄土真宗も、長年に渡る因習や逸脱によって、教義という言語体系や教団という社会体系として固定化され、その精神のダイナミズムを喪失して、気づかぬうちに、本来の実践的使命を失っていることに気づき、実践的な浄土真宗の本来性に回帰する営みと、同時に、真宗の現代的か、使命を甦らせる可能性をも含んでいる。その意味でも、真宗カウンセリング役割は大きい。

 一方で、真宗カウンセリングは、人間中心(バーソンセンダードアブローチ)カウンセリングにも、これまで不徹底だった人間観(結局、人間存在の有限性を超えられない)、つまり生のみを正当化し、単純肯定する楽観的人間観に対してへの厳しい批判と、それを超えていく道があることを提示するものである。つまり人生を「生」の一面のみでとられ、単純肯定している。しかし仏教は、人間存在を「生死」と取られ、それを迷いととられて、その生死を超えていく道を示している。

 自己成長、自己実現などのカウンセリングの目標を示す概念は、いずれも単純肯定された生の枠内での連続概念に留まっている。生は死という否定的契機を含むことによって生であるということが実相であるから、死を見ようとはしない、あるいは死を掩った生の枠内での成長や発達や幸福や健康は、厳しくいえば、人間の根源的な幻想であり、迷妄である。

とまで言い切られているのである。その迷妄に目覚める、超えていくというところまで視野に入っていないというのだ。

 その点を踏まえてこそ、初めて真宗カウンセリングの構造の特色である二重関係、二重の配慮が生れてくるのである。

 つまり、世間レベル、カウンセラー対クライエントという人と人との関係と共に、
 出世間レベル、人間の次元を超えた人間を支える「仏」と「人」との関係という二重の関係性と、それにともなう二重の配慮(対人的心理的配慮と、霊性的配慮)]ち本伝ているという、真宗カウンセリングの独自性が顕れてくるのであろう。
 
 ただ今日の浄土真宗そのものにおいて、たして実践的に「生死超える」一点に聞法や関わりの焦点があたっているのか。大半が、生(自己)を全面的に肯定するような教説や姿勢に留まってはいないか。その意味でも、真宗カウンセリングの可能性は、カウンセリングの不徹底に働きかけるのみならで、今日の多く流布する真宗の根本的な逸脱に対しても、本来生に回帰を促す大きな契機となる可能性を祕めているのではないか。そんなことを感じてさせられ、大いに刺激をうけたのであった。
 

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7月の華光誌輪読法座

 79-3号の巻頭言「こころ幼く、拙き凡夫へ」を読む。輪読法座の前にも、何度かこの巻頭言を材料に法話をしているので、ここに集まる皆さんは1、2度は聞いておられる。そのせいもあってか、感想を分かち合った程度で、深く読み込んでいこうという機運はならず、各自の心境披露が中心になっていたのは、ちょっと残念だった。まだまだ味わえること、聞いていただきたいところがあったような気がする。

 もう一つは聖教のこころ「グーの音もでない」。阿弥陀経は無問自説の経だが、それを釈尊の立場からではなく、聞き手の智慧第一の舎利弗尊者の立場から窺った。たとえ声聞さまであっても、阿弥陀様やお浄土の世界は、同じ仏様である釈尊でないと語ることができないのだ。そのことに舎利弗さまはお気づきになっておられた。そこが智慧第一の所以なはないろうか。翻って、無明のこの私はどうだろうか?

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根本の眼目は?~壮年の集い~(4)

『仏敵』を読んでいると、言葉を理解できても、納得いかない、もしくは味わでの隔たりを感じる言葉が随所にある。分からないことがあると、すぐに先生などに質問をする。手っとり早く答えがほしいからだ。たとえば、言葉の定義や意味ならば、「この意味はこうです」と答えられる。しかしそんな類ならば、別に質問しなてくも自分で調べればいいのである。聞法上の質疑は、正解を覚えるためにあるのではない。問いかけには、本来求める必死さがともなうものだが、そんなことを感じるような問いに出会うことはずいぶんなくなった。

『仏敵』を読んでいると、特に信前は、さっぱり分からない、理解できないことが多かった。仏法を喜ぶようになってからでも、しっくりこない言葉を、じっくと考えさせられているような気がする。単に、解釈や理由をつけたり、そこに無理に合せていくのではなく、疑問は疑問としてしっかりもって、その言葉をその言葉のまま頷け、味わえるところまで問いかけ続けていきたいのである。

 ということで、最初の法話は、答えを与えるのではなく、問いを投げかけて、話し合い聞きあってほしいと思った。それが信心の上での「根本の眼目」であるからだ。

「私は思った。仏法は法の威力によって広まるものである。中間の善知識というものは、月を指す指として必要ではあるが、親鸞教が普及した結果、善知識がかえって如来の邪魔をしているのが、教界の現状だ。
 教える人が詭弁の信仰で固まっていると、教えられる者は詭弁を弄することが信仰だと思う。
 教える人が学者であると、学問的な屈を並べることが信仰だと思う。
 教える人が法体募りで法の有り難さばかりを説いていれば、そういうことが信仰だと思う。
 また反対に教える者が罪悪の自覚ばかり言うていると、悪と知ったのが信心だと思う。
 その他、念仏にとらわれ、感情にとらわれ、
 泣いたのが信心だったり、喜んだのが信心だったり、
 行儀の正しいのが信心であったりするが、
 いずれも根本の眼目を忘れている。
 そうして人て言葉や態度ばかりを批評する。(以下略)」(『仏敵』より)

 学問でも、感情でも、念仏でも、法体募りでも、罪悪の自覚でもないというのなら、一番、肝心要の「根本の眼目」とは何か? じっくり考えてほしいと思ったのだが、どうであったか?

 

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聞く力をつけよう~壮年の集い(3)~

 どんないいご法話や感話も、聞き手が惚けていては、肝心の要点を外してしまう。

  たとえば、今回の感話後の分級座談会でも、「Tさんがどうのこう」「私にとってTさんは…」とTさんの関係性を語ったり、自分の印象が残ったところだけを取り込んで聞いているが、誰一人として、この話の要点は何か。何をお伝えくださっているのか。自分の思いは横に置いて、注視して聞こうとする人はいなかった。

 もちろん、形式にとらわれるのは面白くない。が、しかし、自分の感じたところだけ、自分の見えているところだけを並べるだけなら、信仰座談会の意味はない。居眠り半分でも、いくらでも正当化してやり過ごしていけるのである。また「そのときは有り難く聞いていましたが、頭が悪くて覚えていません」とか「口下手でいえません」と、逃げる人も多い。それは覚えが悪いのではない。何も聞いていないのである。別に、一字一句覚えるために、目を皿にしてて聞けといっているのではない。それなら録音械にまかせておけばいいのである。その方が、ズーッと正確だ。

 でも、私には録音デッキには出来ない仕事がある。それは、法話の要点、要を聞くことである。それには自分の思いや感じは少し置いておいて、話し手の立場にたって聞けばいいのである。その後で、自分の感じたところ、味わえたところを語ればいいのだが、皆さん、ただ自分の思いのところ、味わえたところが多ければ聞いた気になっているのである。それで感じたとか、有り難かったことか、逆に「何もありません」という勿体ない話で終わってしまう。

 要は、聞くことにも「コツ」があるということだ。これは決して、ノウハウとか、方法論でやることではなく、聞法を豊かにし、信仰座談会を充実させていくものである。その意味では、力ある壮年世代の方に、ぜひ、心をかけていただきたいと思ったのである。

 華光壮年よ、大志を抱け!

 

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大の字のこころは~壮年の集い(2)

 夜、講師役のTさんの感話。リモートの方にはない特典だ。

 いきなりいまの私の心境はと、尊像の前に横たわられて「楽ちん」のポーズ。最初、大の字になられたのかと思った。きっと、庄松同行の再来で、ここは親の実家、なんの遠慮もいらない。親の実家で寛げないお前は、偽の親子なのか。親の元は楽ちんだ、というお心かなーと思ったいた。が、よくみると大の字というより死骸ではないか。すると、これは「逆謗の死骸」ということではなかったか。いずれにせよ、こちらになんの用事もないというお心である。

 その後、自らの求道体験を語ってくださったが、まったく最初から何か求めるとか、得ようとかというよりも、法の方が次々と勝手に追いかけ、迫ってくるという雰囲気が有り難かった。そして、印象に残っている法話のエピソードへと続いたが、最後に、伊藤先生の常のお言葉として、「いざとなったら、有り難いも、念仏も、信心もすべて捨てて走り出しますわ」の心境で終わられた。

 要は、終始一貫したお話で、こちらには求める気持ちもなく、法が追いかけてきて、その後も、こちらにはなんの力もなく、用事もないのであって、ただただ分け隔てることのない、名体不二の南無阿弥陀仏の一方的な呼び声だけがあるということではなかったか。

 というわけで、翌朝の法話は感話を受ける形で、次のご和讃から始めさせていただいた。

 「名号不思議の海水は 逆謗の死骸もとどまらず
  衆悪の万川帰しぬれば 功徳のうしほに一味あり」

 

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隔靴掻痒も意味がある~壮年の集い(1)~

 「壮年の集い」は、日程はそのまま宿泊や食事を取りやめて2日間の法座へ。人数も限定し、充分な対策で臨んだ。。

  マスク越し、道場を目一杯使った車座、通常とは異なる。でも,いちばん不思議なのは、初日の終了後、「ありがとうございました」と三々五々、解散されていくことだ。壮年の世代は懇親会を楽しみにされている方ばかり。もしかするとそのためにお出でなったのだはないかという方まである。華光の懇親会は法座の一部ではあるが、やはり酒席であるには変わらない。密の状態で、マスクを外し飲み食いや語り合うのは、いましばらくは避けておかねばならない。「残念だ」という声が多数でたが、同時に「いまは仕方なし」と、ここはご理解くださる。心を開き、より密になり、法を語り合う座談会こそがその場なのだが、公式ばかりではなく、非公式(つまり懇親会)のもつ役割は大きいということである。結局、懇親会はなく夫婦で二人懇親会を開いて終わった。
 
それでも、実際に集う法座はいい。単に法話を拝聴するだけなら、ZOOMやDVDなどで補うこともできる。またリモートでも感想を分かち合うことはできる。しかし、じっくりと2日間、共に時間を過ごすことはまったく別ものだ。

 密を避けるために、小人数(7~8名)のグループに分かれる。何も充実した時間ばかりではない。うわべの話、人の話、オブーラートに包まれたまどろこしい話。それにかかわる側も気兼ねした遠回りの話だったりもある。でも、それも含めてグループ法座(分級座談会)なのだ。

 「聞かせてください」と頭をさげて打ち出されも、なぜか、その言葉と態度が裏腹に感じることもある。表面の言葉に引きずられていくのだが、態度や顔をみればだいたいのことは分かる。法座以外の休み時間や同人との談笑の態度も、さりげなく気にかけて観察している。そこからでも、ほんとうの心境が察することができる。たとえ、座談会で殊勝な言葉を語っても、法座を離れたら呑気な態度で過ごされていることもよくあるのだ。

 求めるのならしっかり求める。その方に係わる、遠慮せずにしっかり正面向いて係わる。なんとなく触れるようで触れず、止めるわけでなく、ただ時間が過ぎていくのでは、勿体ない。まさに、隔靴掻痒(カクカソウヨウ=靴を隔ててその上から痒いところを掻くような、もどかしさ。もの足りなさのたとえ)のごとしだ。

 そんな時間が過ぎると、思わず大声がでてしまった。コロナ下、マスク越しでも大声は不適性な態度で申し訳なかったが、「これでいいのか」と思わず熱が入ってしまった。これもズーッと座談会に我が身をおいていたからである。おかげで、居眠り半分の人も目が覚める。そこから急に座談会も動きだしたが、ぼく自身も目が覚めてきた。ここは、リアルに集う法座ならばこその展開だ。

 しかしどんなに頑張って馬を水場にまで連れて行っても、最後にその水を呑むか、呑まないのかは、馬自身の問題だ。もちろん、そのために工夫はいる。叱咤したり、共感したり、おいしそうに飲んで見せたりと、いろいろな関わり方の引出しもいろいろと必要だ。
  
「誰の後生なのか」。このままダラダラ聴聞で一生を終えるなんて冗談じゃない! 

 その一点を踏み出してもらうこと。仏法の難しさでもあるが、また自分の問題になってきた展開の面白さでもあるのだ。

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お池にはちすのお花が咲いた

   緊急事態宣言の自粛中、毎日、散歩した。この習慣は今も続いている。自力整体30分と、30分以上の散歩を、毎日続けている。ただ歩くだけでなく、3分間は全力で、次の3分は普通に、また3分は全力で歩くこと繰り返す。いわゆるインタバール走法での散歩である。これがなかなかいい(ような気がしている)。

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 晴れ間をぬって、久しぶりに東寺まで歩いた。

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 お目当ては、蓮池。いつもはサギやカルガモが泳いでいる水路が、一面、蓮に覆われている。鳥はいないが、カメはいた。

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 まだ蕾のもの、今が盛りのもの、そしてもう散りかけているものとさまざま。まだ蕾もあってこれからも見頃がくるのだろうか?

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 泥から咲き、それに汚されぬ信心を譬えられ、白蓮華は、真実信心の人=妙好人を顕したりと、蓮は仏教にはゆかりの華。

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 この柳は小野道風ゆかりとあった。何度も何度も前を通っている後、この看板見逃していました。

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帰国!

 とにかく最後まで心配だった。まず飛行機が飛ぶのか。帰国後もPCRの結果は? 公共機関を使わないで無事に宿に入れるのか。などなど、簡単にはいかなかったが、とにかく無事に、長女がブラジルから日本に戻ってきた。

 このコロナ騷動下、感染拡大が続くブラジルからの帰国。予定日の飛行機は飛ばず延期となったが、別ルートでの飛行機になった。でもいつもどおりとはいかない。関空便はなくなり羽田到着。帰国後も、空港でのPCR検査後、14日間は自主隔離が要請されて、その間、新幹線や電車を含むすべての交通機関の使用を自粛が求めれている。自家用車で迎えに行き、自宅隔離も検討したが、もしもの時のリスクは大きい。会館には人の出入りもあるからだ。

 まずはブラジルの自宅を出てサンバウロまで飛行機で飛んで、そこで2日間待機。12時間かけてドイツ・フランクフルトへ。そこで乗り換えて、また12時間かけて東京羽田までのフライトである。無事にブラジルを出発しても、ドイツからの便が欠航するリスクも充分ある。念のため、ブラジルの母親はサンパウロに留まって、フランクフルト発まで待機してくれていた。

 羽田に到着後も、どうなるかは分からない。空港でのPCR検査の結果が分かるのは、当日か、翌日か、または2日間待たされることもある。万が一、陽性の時もある。陰性の場合でも、その後、2週間の自主待機は宿泊も交通も自前で準備しないといけない。連れ合いが、何度もブラジルと連絡を取り合って、日本国内の宿泊場所、交通、少しでも快適な方法はないか考えてくれた。それでも、当日でないと分からない不確定要素が多く、到着後も二転三転。宿の変更や、交通機関の変更などの手配をすべてやってくれた。

 トラブルもあった。ブラジルの出発が大幅に遅れ、ドイツでの乗り継ぎがギリギリになった影響で、一緒に飛んでくる荷物(スーツケース二個)が、フランクフルトで乗り遅れたようだ。行方不明にはなっておらず、数日以内に宿に届くようだが、2週間分の生活必需品も入っているので、しばらくは生活も少し不自由だ。しかし、ブラジルのお寺を出発してから、4日間を費やしたのだ。ドッと疲れたようだが、いまは独り暮らしを楽しんでいる樣子で、ひと安心。

 再会は、2週間後の楽しみだ!

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zoomでの広島・仏青合同法座

   またしても不思議な感覚の法座となった。まだリモート法座には慣れていないのもあるが、それだけではない。

 昨日は、4ケ月ぶりの広島でのご法座だったが、その翌日に、同じ人達とzoomでの法座となったからだ。1泊2日間の安芸高田市での支部大会(仏青合同)の計画だった。それが土曜日の半日法座。日曜日は、仏青合同でのzoom法座の計画が浮上したのだ。おかげで、昨日参加できなかった遠方の方、また仏青の10代の参加者もあった。ブラジルからも子供が参加したが、夜中の1時30分から早朝5時の時間帯。昨日あった人に交じって、10代仏青の方、ブラジルの子供、遠方の会員が画面上に写っているのだ。

 そんな人たちが一同で法話を聞き、語り合う。実際に触れ合うわけにはいかないが、それでも語り合うと充分に刺激を受ける。問いに沈黙が続くときは、それぞれがわが身に問おておられるのだろう。挑発的な言葉には反応させられる。その意味では、離れた人々が自宅にいながら、信仰座談会を行えるのである。

今回は、一方的な法話ではなく、ある新聞記事を読んで、各自か感想や思いを語りあった。ただ批判をするためではない。そこから真宗の聞法の要点が浮き彫りになると思ったからだ。逆にいうならば、いくら耳触りがよい言葉でも、要点を外すと真宗にも、仏教にもならないといことだ。
  「外儀は仏教のすがたにて
   内心外道を帰敬せり」

である。が、その外面があまりにも現代の要請にフイットしているだけに、厄介である。しかし、仏道でないのなは、それは外道とういわねばならない。そこは絶対に譲れない一線。

 

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4ケ月ぶりの広島法座

    4ケ月ぶりに新幹線に乗った。3月8日の広島支部法座以来。華光会館以外での法座も3月20日の大阪支部法座以来だ。一時は、今年の出張法座は難しいのではなかいと思っていた時期もあっただけに、再開はうれしい。一方でまた感染者数が増加傾向で不安もあるのだか、気持ちとしては前向きである。

 3月は閑散としていた京都駅や新幹線も、少し人出は戻っていた。が、これまでの週末の人出と比べようもない。

 広島では、久しぶりにお会いする人、ZOOMでお会いして身近になった方、さらに、いつもお会いする京都や大阪の同人の方も車で参加されていたりと、さまざま。でも始まれば、すぐにこれまでの法座の雰囲気になるのが不思議。ただマスクと、ソーシャルデスタントで、座談会はちょっと雰囲気は違うのは、慣れていくかしない。。

 巻頭言「心おさなく拙き凡夫へ」を材料に、『仏敵』のお味わいなどをお話した。
 
 コロナ騷動で、自分自身の凡夫の姿がありありと浮かび上がってきた。それは仏法とはかけ離れた情けない姿である。しかし、そこにこそ法蔵菩薩のご苦労があるのだ。決して、聖者になって救われていくのではない。阿弥陀様が阿弥陀様であるには、凡夫は凡夫のまま救いとられるのである。法蔵菩薩様には、精一杯、ご自分の勤めをしていただけばいいのである。

 ところが、どこかで自分に値打ちをつける。ダメな心境をまとな心境に変えようと努力している。少しはましな自分になると自惚れているのである。しかし、残念ながら妄念・妄想しかないのが凡夫なのだ。「妄念はもともと凡夫の地体なり。妄念の他に別の心なきなり」と、源信僧都は仰っている。ならば、私も精一杯、凡夫の生地の目一杯で、格好悪くても、また恥ずかしい姿であっても、そのままで聞いていけばいいのである。立派な有り難い心境も、きれいなお味わいもいらない。こんな凡夫の口からでる、南無阿弥陀仏こそが、泥に汚されることのない蓮の華なのだと。南無阿弥陀仏

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~日程変更(7月18日)~講座「仏教カウンセリングを求めて」(3)案内

~日程変更版(6月から7月18日へ)~

講座「仏教カウンセリングを求めて」(3)~仏教カウンセリグから見た生・老・病・死~

 一昨年、昨年と大好評だった、講座「仏教カウンセリングを求めて」を、今年も、奈倉道隆先生をご講師に企画しました。これまでは、日本生まれで、独自の仏教とカウンセリグ・心理療法の統合を提唱された先哲(藤田清氏、森田療法、吉本内観法)を基盤に、浄土門の実践的な仏教カウンセリングを、参加者との対話や実践を通して学んでまいりました。

 今回は、まとめの意味を込めて、仏教カウンセリグのもつ実践性を、より具体的に深めてまいりたいと考えております。それで、「仏教カウンセリグから見た生・老・病・死」と題し、聞き手に西光義秀師を迎えて、老年科の医師であり、介護福祉士であり、また念仏者であられる奈倉先生との対談形式を予定しました。問題提起をもとに、参加者との対話やグループでの分かち合いなども通して、仏教カウンセリグ、又は真宗カウンセリグの実践的課題や、その可能性について考えてまいります。

 なお、懇親会は中止いたします。今回が初めての方も、奮ってご参加下さい。お待ちしております。合掌;

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日 時:2年7月18日(土)13時30分(13時受付)~17時

場 所:華光会館(075-691-5241)(近鉄十条駅徒歩1分)

京都市南区西九条東柳ノ内町22(?075-691-5241)

参加費:(一般)3,000円・(会員)2,000円

テーマ:~仏教カウンセリグから見た生・老・病・死~

ご講師:奈倉道隆先生 京都大学医学部卒。龍谷大学社会学部元教授。東海学園大学名誉教授(仏教概論・共生人間論担当)介護福祉士・老年科医師
    西光義秀先生(本会会員。浄土真宗本願寺派萬行寺住職)
コーディネーター 増井 信(本会会長)

〆 切:密を避けるため、20名定員になり次第〆切
    7月11日(土)までに華光会館内、増井 信まで

申込先:Eメール(mhg03073@nifty.com)、Fax(075-661-6398番)、又はハガキに、(1)氏名(2)連絡先(電話、メール)(3)会員の有無

主 催:真宗カウンセリグ研究会
〒601-8433 京都市南区西九条東柳ノ内町22華光会館内
 075-691-5241

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おみと様の一言

 昼間の発送に続いて、夜は、「仏書を親しむ会」。『仏敵』もいよいよ最終章の第九章「深信の徹底」である。名所が随所にあるが、伊藤先生に深信の徹底された後、同行たちの仏法讃嘆の一言である。

「なあ! 泣くは我、泣かすは親ぞ! 親の手許には五劫永劫のご苦労がある。坊んち(伊藤先生のこと)、大切にいただきましょう。いくら喜んでも喜び尽くせるものではない。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」

 静かなる道場の空気を震わせるすすり泣きの声は、一声一声の念仏と共に、鋭く私の魂の奥へ食い込んでくる。ああ! 祖聖親鸞の御同行は、この貧しき念仏道場にましませるか。久しく求めて得ざりし如来の家は、この狭く薄暗き小道場の中に建てられたるか。人間こそ光明よ。同行こそ我が善知識よ。

 そうなのだ。間違いなくこの100年前の貧しき念仏道場での念仏讃嘆の声が、いまこの華光会館の道場に「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と響き渡り、この私の胸に至り届いてきているのだ。

 「大切にいただきましょう。いくら喜んでも喜び尽くせるものではない。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」という、伊藤先生へのおみとさんの言葉は、私にかけられた言葉でもある。粗末に、片手間にご法を扱ってはいないか。ほんとうに大切に、大切にいただき喜ばせていただこう。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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79-3号の華光誌発送

7月1日、令和2年も、早くも半分過ぎた。2月からのコロナ禍の中で、例年とは異なる半年だった。

79-3号の華光誌発送を発送。今年はあと1冊になった(実質、新年号は12月末だけれども)。

今号は、誌上法話は木村先生の、特集は水谷さんの追悼号。他にも先輩同人のご往生が相次いだ。

また5月から9月に延期された「永代経法要」の案内も同封。こららも初めての延期、そして分散開催となった。4日間を、前期(1泊2日)後期(1泊2日)の日程で、定員を絞り、宿泊や食事、懇親会を中止して行う。ご熟読の上、お申込みください。

 

 

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