『仏敵』第8章
「仏書に親しむ会」、『仏敵』第8章を読んだ。
自粛解除後、5月後半から6月にかけて、法座参加者が多い。この仏書も、『仏敵』が終盤に入ってきてこともあって、これまでの倍(もともとが少ないが)の人出。3階研修場では車座になると一人一人の間隔が密になるので、道場での開催する必要があるようだ。
『仏敵』もいよいよ佳境である。光明の世界が真実信の天地だと有頂天であった伊藤先生の縁他力の喜びが、野口道場の念仏者によって徐々に剥がされていくところである。それしても、自力の執心は根強い。ウソの皮が剥がれて、握ったものを諦めるまでには、ずいぶんの葛藤がある。大方は、この壁を破れぬまま、有り難いところ、尊いところで留まるのだろう。その方が楽だ。第一、これ以上深く考えず、目を逸らしていくことも、けっこう我々はきるようだ。まあ、この先を破っていくのかどうかも、深いご因縁である。それには、善き知識、同行との出会いがあるのか、ないのかである。チクチク言われたり、居心地が悪いところから、理由をあれこれつけて、人は逃げて、近づかなくなる。この40年間、そんなケースをイヤというほど見てきたのである。南無阿弥陀仏
まあそれはともかく、ここでの伊藤先生も同じで、
「おれはよく小さなことで気に病む性だがら、今晩のことも案外くだらぬことが原因で疑惑が大きくなったのかもしれぬ。現におれの腹底には、このとおり清浄光明が輝いているのが感ぜられるではないか。これは本物だ。…」
そして、胸の黒雲を一時感情に過ぎないと否定していくのである。
ほんとうに仏敵の恐ろしさである。
法座では、ここは名所ぞろいなので、いろいろりろ尋ねた。
生死の苦海に流れる流木をつかむのかどうか、お念仏を喜んでいて、臨終最後に「しまった!」と叫んだお坊さんのことなどをどう味わうかを皆さんに問うた。いやはや、皆さん、ちょっと心もとない。これでは「国に一人、郡に一人」なちぬ、「華光に一人、支部に一人」だなーと、ちょっとチクリ。ここは誤魔化せずに聞き抜いていただきたいところ。
次回は、7月1日(水)夜18時50分~21時
第九章 深信の徹底
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