唯除(1)
先日の聖典講座の内容に少しふれておく。
『観経』の『下々品』では、「十悪・五逆の罪人」の救いが説かれている。ところが、十八願文や『成就文』では共に、「唯除五逆、誹謗正法」と「五逆と正法を誹謗する」ものは、唯除するとのお誓である。同じ仏説なのに、一方は救われるとあり、もう一方は除くとある。これはどういただくのか。七高僧方も仏様の真意をお考えになったでのある。
まず、曇鸞様の『論註』(八番問答)では、「十八願文」には 「五逆罪」と「誹謗正法」の二種類の重罪を犯すから除かれるが、「下々品」では、「五逆罪」のみの単独(より軽い十悪)で、「謗法罪」は犯していないので、お救いに預かることができる。ならば単独が救われるのならば、もし「五逆罪」を犯さず、「謗法罪」のみの場合はどうなるのか。それは救われない。なぜなら、「謗法罪」のものは、如来の本願を謗り、それを聞くことがないからであるとのご教示された。
次に善導様は、『讃善義』で「唯除」を「抑止文」として、未造業と已造業と示されたのである。すなわち、「唯除」を「抑止(おくし)文を、「おさえ、とどめること」と領解された。つまり「五逆罪・謗法罪」が重い罪なので、それを犯させないためにも、往生できないと抑え止める意味があるのだと。まだ造っていないもの(未造)に誡められると共に、ではすでに犯してもの(已造)のものはどうか。その者には、その罪の重罪さを知らせ、廻心させて摂取しようという慈悲の現われそのものであるといただかれた。つまり、第十八願の「唯除」は「未造業の抑止」であり、観経の「下々品」は「已造業の摂取」とのお示しが『散善義』にある。
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