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イタリア映画『幸福のラザロ』

 さて、Tジョンで観た昨年の名作、3本目は、イタリア映画『幸福なラザロ』 。再開後では初の他の観客なし。3度目の「一人がためなりけり」映画だった。

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 寓話的な要素がある不思議なストーリー。理解し難い部分もあるが、それはそれで味わうしかない。

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 欧米の映画ではしばしばあることだが、キリスト教の素養が求めれる。映画の主人公の名「ラザロ」とは、キリストの奇跡によって死後4日目に蘇生した聖人で、「甦りのラザロ」「復活のラザロ」として、ゴッホやレンブラントなどの有名画家の素材になっているという。この復活したこと、そして聖人であることが、この映画でもキーワードになている。

 舞台は、20世紀後半のイタリアの山深い渓谷の寒村。でも普通の村とはまったく違った。洪水によって村への道路が寸断されて以来、完全に孤立し、中世のままに時間がとまっているのである。小作制度の廃止を隠蔽された地主(伯爵夫人)に支配されたまま、物々交換に近い日暮らし。辛うじて電気はあるが電球程度。自給自足の生活で、村人は学校も、選挙も、電話やネットとも無縁。けっしてこの村から1歩も出ることなく、一生を終える。村を隔てる河を渡った先には、死があると代々固く信じられているだ。唯一、伯爵夫人の代理で収穫物を扱う男を通じて、収穫物と交換して最低限の生活必需品を支給され生きているのだが、村全体で多くの負債を抱えちると騙されて、支配されているのだ。
 そんな村人の中でも、人を疑わず、怒らず、欲しがらない、純粋無垢な男が主人公のラザロ。村人からは、愚か者とてし、バカにされ、都合よくこき使われていくのだ。

 そんな日、伯爵夫人の一人息子が母親とぶつかり、自らの狂言誘拐を決行した。そのことから、ついにこの村の存在が警察の知るところとなり、村人は解放されていくのだが…。

 前半がこんな感じのストーリーだが、なんでも80年代にイタリアで行った実話の事件が元になっているというである。

 さて後半。では、不法な小作制から解放された村人たちが、幸せで豊かな生活が待っているのか?

 ここからもストーリーは、ますます不思議度を増していく。結局は、新しい構造での弱者への搾取が続き、しかも今度の支配者は、穏やかな紳士の仮面を着けているので厄介である。自由や自己責任の名のもとに、巧みに弱肉強食の世界が広がっていくのだ。弱いものはどこまでも弱く、強いものはますます強くなっていく。そんな社会構造の皮肉も描かれ……。

 

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